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来たるべきもの

私は確かにゴリラに憧れていた。寝っ転がって庭の方を眺めていた。い草のむせる香りがした。水滴が窓の向こうを滲ませた。雨はひたすら降っていた。屋根を打つ音が続いていた。庭の草は雨に倒れて、向こうの空までずっと続いていた。

「ゴリラ雷雨だね」

弟がこちらを見た。私はそのまま頷いた。雨が降るたびにそう言った。私たちは庭を眺めていた。


畳の上には段ボールが隙間なく積まれていた。窓際には古い扇風機が立てかけてあった。私はカーテンの端をめくった。扇風機を覆う袋に皺が寄った。雨は門の下を流れていた。ふと頭に何かがよぎった。


椅子が軋んだ。指先のスクロールが止まった。もう一度最初から読み直した。

私は全身に鳥肌が立った。せめてミドルネームの部分を分けてほしいと思った。私の足取りは大きくなった。しかしそう思った自分の浅はかさにすぐさま思い至った。肩が浅く上下した。袖を捲って押し上げた。切り揃えられた爪は袖の中を掻い潜ると、今度は手首のあたりを弄って、白く粉を吹いた筋を何本か作っていた。

私はしばらく窓を見ていた。名を継ぐということは並大抵のことではない。ゴリラ・ゴリラ・ゴリラにも、私には分からないものがあるのだろう。気づけばゴリラと括られる。ゴリラからすれば、自分がゴリラであることなど、どうでもいいのかもしれない。人間付き合いでさえ難儀なのに、ゴリラ付き合いまでとは。私は目を細めた。窓の端から西日がせり出していた。私は冷凍庫までふらふらと歩いた。立ち上ってくる冷気が私の顔を心地よく冷やした。アイスを一本取り出した。

袋の中は霜が貼り付いていて、まるでこれはスノードームのようだから色がなんだかよく分からなかった。実際味もなんだかよく分からなかった。パイナップルの芯を食べているようであった。切り口を何度か試行錯誤したが、私は反対側から切ることにした。

袋はずいぶんくちゃくちゃになった。アイスは既にぬるくなっていた。手の甲に一滴垂れてきた。私はしばらくそのままだった。ティッシュを何枚か取り出すと、私はアイスの棒をその上に落として丸め込んだ。ゴミ箱へさっさと捨ててきた。

私はそのへんに座り込んだ。放り出した足がソファに当たった。少し足の角度を変えてみた。私は徐々に立ち上がると、冷蔵庫まで吸い寄せられた。ペットボトルを一本引き抜いた。コップを引き出しから取り出した。

コップは軽くなってしまった。私はもう一度ペットボトルを持ち上げた。水が注がれた。響く音は徐々に低くなった。水面に浮かぶ泡が一つ消えた。蛍光灯を反射していた。底の茶渋がくっきりと映っていた。

私は冷えた両手を握り込んだ。手のひらに爪あとがうっすら残った。テーブルの上には、袋からはみ出たパンが見えた。私は膝を伸ばした。袋を裏返すと、賞味期限はとうに過ぎていた。その隣にはスコーンがあった。私は両方手に持って、キッチンへ向かった。換気扇のスイッチを入れると、アルミホイルを切り取って、網目の上へ敷いた。スコーンがほろほろと欠けた。細かい欠片がアルミホイルへ散った。私はトースターの時間を設定すると、しばらくぼんやりとしていた。

パンの焼ける匂いがした。私は瞬きをして、冷蔵庫を振り返った。タッパーがいくつか詰め込まれていた。私は適当に引っ張り出してきた。そのうち一つの蓋を開けると、箸でつまんでトースターの中へ入れた。指先が一瞬引っ込んだ。

パンのてっぺんにはうっすらと焦げ目が付いていた。これが山だったら、初雪のようで上品だと思った。とはいえなだらかで優美なのも確かであった。やっぱり山だったらよかった。どこか遠いところの山だったら、私は今より良かったかもしれない。

私は食器棚を開けた。白い皿が多かったが、青い皿はちゃんと見つかった。やはり一番上に出しておくべきだった。それでも埋もれてしまうのは、白い皿ばかり使うからだろうか。私はアルミホイルごとトースターの中身を出した。パンくずがぱらぱらと落ちた。やはり黄色いものが多いから、青い皿が一番だ。私は一番手前に塩パンを、右奥にスコーン、左側にはさつまいも天を配置した。スコーンのはちみつはよく照っていた。青い皿は実によく引き立てていた。私は塩パンへ手を伸ばした。バターの塗られた表面は弾力があった。じわじわと喉の奥へ染み込んだ。私はいささかばかりの幸福を味わった。

カップの縁が口から離れた。底の液体が回った。やはりスコーンにはこれが一番よく合う。とはいえこれは和紅茶の葉であるから、分からない。私は冷たい肉を箸でつまんだ。目の前の棚には、調味料の入った瓶が不揃いに並んでいた。その右端に、小さく「バーニャカウダ」と書かれたラベルを見つけた。バーニャはアイルランド語で牛乳だった。私は全てが繋がったような気がした。分かっていたのだ。窓を開ければ向こうのパブからフィドルの音が流れてくる。私は耳を澄ませた。遊牧民が馬の乳搾りをして、ゲルの隣で鍋を煮込んでいる。私は息を大きく吸った。風に吹かれて心地よい。草原はずっと続いている。雲が厚く埋め尽くしている。私は、この低い空を隅から隅まで見渡せた。そこら中を駆け巡った。両手を大きく伸ばした。肩の凝りが取れたような気がした。後ろから物音がした。

草むらの中で、子供が二人遊んでいた。私は目を逸らした。手綱を引っ張った。更に遠くへ馬を走らせた。雨に打たれた体が冷えてきた。水分を含んだ髪がじっとりとうねった。私は空を見ていた。向こうには山がある。馬は勝手に進んでくれる。小屋だ。しんと張り詰めた空気の中、ダーチャで収穫した野菜を使っているのだろう。木の匂いが漂ってくる。分厚い雲の切れ目から出た太陽をいそいそと使うのは、緑がとても映える。このラベルの装飾も、ボルシチからわずかに浮き出た酸葉のような繊細さがある。皿の装飾も美しい。雪の結晶のフラクタル構造のようだ。私は蓋の縁をなぞると、裏返して隅々まで見た。

原産国:イタリア

しばらく何も考えたくなかった。橙色の人参がよく磨かれていた。湯気が立ち上って野菜を包んでいた。瓶の蓋が金色の光を返していた。ラベルの隅には小さな花まで描かれていた。どの野菜も形が揃って互いを引き立てていた。瓶は傷一つなく表面に艶を持っていた。

私は冷えた指先をすり合わせた。親指で人差し指の先を押し込んだ。押し付けられた指先はまだらに白くなった。血管がドクドクと打った。私は頭に手をやった。髪の根本はへたって重くなっていた。雨が窓枠に打ち付けていた。

私はブラインドを上に上げた。自分の顔が映った。向こうの顔がまばたきを返した。ルーバーはやけに埃っぽかった。水道で手を洗ったが、タオルは汚れが浮いて目立っていた。ドレッシングは残り少なく、ひっくり返さないとあまり集まらなかった。私は冷えた野菜にぶちぶちとかけた。野菜の断面は色褪せて酸化していた。キャベツの繊維が口からはみ出した。バーニャカウダを見たくもなかった。あの調味料に浸かった温野菜は許せなかった。私を太陽の真下に連れて行った。全身がかゆみに襲われた。


私は食料棚を開けた。一番手前にそうめんがぎっしりと詰まっていた。イタリアの白壁のようで恐ろしかった。しかしそれは束の間のこと、これは漆喰の剥げた壁に等しかった。私はそうめんを手の甲で横にどけた。奥には何もなかった。何もないのに埃が積もっていた。私は鼻がむず痒くなった。そばはいくら探してもなかった。そうめんはどれも六束が袋に隙間なく収まっていた。私は呼吸が浅くなった。そうめんがこちらに押し寄せていた。私は食料棚の扉を大きく開けた。影の中に、一袋のそうめんがあった。六束のうち一束の先が欠けていた。私はそれを素早く鍋に放り込んだ。あっという間に鍋の中へ溶けた。そうめんは洗うとみずみずしかった。私は目眩を覚えた。真っ白に蛍光灯を反射して、端のほうが少しだけ揃っていなかった。ホチキスの針が光っていた。真ん中で丁寧に折り目が付けられて机の上に置かれていた。私は原稿用紙を全て見た。数枚めくると印刷が斜めにずれたものが一枚混じっていた。これは白紙だからよく手垢が付いていた。「流しそうめんの亜種」と併記した。私はまだ欄外に、名前と住所しか書いていなかった。私もゴリラにあやかりたかった。

流しそうめん・流しそうめん・流しそうめん。

私はそうめんを温かい汁に絡めることにした。しかし余計にばらけてしまった。表面の艶は溶けてしまった。私は箸でかき混ぜた。麺が一本箸に絡みついた。箸先が鍋底に当たって響いた。映り込んだ顔が歪んだ。麺は一本短くちぎれた。そうめんは汁を吸ってふやけていた。

雨脚が強くなった。私は火を止めて階段を駆け下りた。和室からまた雨漏りをしていた。私は前かがみになって雑巾を往復させた。雑巾は濡れて重くなっていた。私はその場で絞り直した。畳へ灰色の汁が流れていった。私はそれをせき止めに行った。膝は擦りむけてくすんでいた。視界を髪が覆った。雑巾の繊維から灰色の汁が滲み出た。雨粒が首筋に落ちてきた。私は雑巾に爪を立てて顔を拭った。



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