読んでくれて当たり前になったら、たぶん終わりやと思う
どもども、柴犬アンやで。
今日はちょっと、アンが最近ずっと考えてることを風太郎としゃべってみる。
「風太郎」
「なんや」
「アンな、有名になりたい」
「急にでかい夢ぶっこんできたな」
「世界的大作家犬や」

「作家犬てなんやねん」
「サイン会したら長蛇の列。映画化。アニメ化。アンの銅像。アンまんじゅう。アンせんべい。アン温泉」
「後半、観光地になっとるぞ」
まあ、それは半分冗談や。
半分なんかい。
でもな。
もしアンがいつか、今よりたくさんの人に作品を読んでもらえるようになったとしても、絶対に忘れたくないことがある。
それが、
「読んでくれて当たり前にしない」
ということや。
きっかけは、明石家さんまさんの話やった。
さんまさんは、街や駅でファンに声をかけられても、できる限り写真を撮ったり、サインしたりすることで知られてる。
あれだけの大スターやで。
テレビつけたらおる。
正月もおる。
夏もおる。
たぶんテレビの裏側にもおる。
「最後のは怖いわ」
それでも、
「今の自分があるのは
ファンのおかげ」
という気持ちを持ち続けてる。
アンが特にええなと思ったのが、
さんまさんにとっては
毎日のようにある30秒でも
ファンにとっては
一生残る30秒かもしれん
、という感覚や。

昔サインしてもらったものを、何十年も大切に持っている人もおる。
「風太郎」
「うん」
「アンが肉球スタンプ押した紙、20年持っててくれる人おるかな」
「まずインク踏むな。家じゅう赤なる」
さんまさんだけやない。
小林幸子さんもすごい
大御所歌手やのにコミケへ参加して、自分でCDを手売りした。
売り切れたあとも、買えなかった人のところへ行って握手したり、声をかけたりしたという。

しかも、
「私はスターで、あなたたちは客」
みたいな空気やなくて、
「ここではみんな参加者」
という感覚を大切にしてる。
アン、これめっちゃ好きや。
「作品を作る人」と「作品を受け取る人」。
上下やない。
一緒にその場所を作ってる。
手塚治虫先生の話なんか
さらにすごい
高校生の漫画ファンと会ったとき、
「ほなサインしたるわ。さいなら」
やない。
まず話を聞こうとした。
喫茶店でケーキを食べながら、長い時間、漫画についてしゃべったという。

しかも自分の作品の自慢をするんやなく、
「どんな漫画が好きなんですか」
「これはどう思いますか」
と、読者側の話を聞く。
「風太郎」
「なんや」
「漫画の神様やのに
人の話聞くんやで」
「そこに驚くな」
「神様やったら普通、雲の上から『読むがよい』とか言うやろ」
「どんな神様像やねん」
でも、ほんまにすごい。
読者を、
「自分の漫画を買ってくれる人」
として見てへん。
「漫画を一緒に好きな人」
として見てる。
藤子不二雄A先生も、
漫画家は読者が読んでくれて成り立つ、という考えを持っていた。
高橋留美子先生も、ファンレターを読んで、読者がいることが描き続ける力になると語っている。
尾田栄一郎先生の『ONE PIECE』なんかもそうや。
単行本のSBSで、読者の質問に答える。
真面目な質問だけやない。
「なんでそこ聞いたん」
みたいな質問にも本気で付き合う。
世界的大ヒット漫画になっても、作者と読者が遊べる場所が残ってる。
アンはあれを、
「作品の外にある縁側」
やと思ってる。
漫画を読み終わったあと、
作者がお茶飲みながら、
「なんや、まだおったんか」
って座ってる感じ。
「ええな、それ」
「アンも縁側欲しい」
「まず家のローンから考えよか」
アイドルの須田亜香里さんも、一人ひとりのファンに向き合うことで「神対応」と呼ばれた。
握手するときにも相手がどう感じるかまで考えていたという。
飯島直子さんはInstagramで、ファンからのコメントへ一つ一つ返していた時期がある。
これも今の時代らしい。
昔ならサイン会。
今ならコメント欄。
場所が違うだけで、
「来てくれた人をちゃんと見る」
というところは同じや。
トム・クルーズも、プレミアイベントで長い時間をかけてファンにサインしたり、写真に応じたりすることで知られてる。
B’zも、あれだけ長いことトップにおるのに、ライブへ来てくれる人への感謝を忘れへん。
江頭2:50さんも、テレビで見る姿とはまた違って、ファンを大切にする人として知られてる。
『弱虫ペダル』の渡辺航先生なんかは、自転車イベントに参加するから、
「漫画家と読者」
というより、
「同じ自転車好き」
として出会える。

これもええ。
「風太郎」
「ん?」
「有名人って、遠くなる人と
近くなる人がおるんやな」
「人気が出たから遠くなるんやなくて、本人がどうするかなんやろな」
たぶん、そこやと思う。
有名になると、
1人。
100人。
1000人。
1万人。
10万人。
数字がどんどん増えていく。
フォロワー10万人。
再生100万回。
スキ500。
コメント100件。
数字として見たら、大きな塊になる。
でも、その10万人って、
「10万人」
という生き物が1匹おるわけちゃう。
1人が10万人おる。
みんな仕事したり、学校行ったり、家事したり、疲れたり、眠かったりする中で、
「ちょっと読んでみよ」
と思ってくれた人や。
長い記事なら、その人の10分をもらってる。
小説なら20分かもしれん。
シリーズを全部読んでくれたら、何時間もくれてる。
コメントまで書いてくれたら、
記事を読んで、
考えて、
文字を打って、
送ってくれてる。
「風太郎」
「なんや」
「時間って返されへんもんな」
「せやな」

お金なら返せる。
物なら返せる。
でも、その人がアンの記事を
読んでくれた15分は
もうその人の人生から
使われた15分や
そう考えたら、
「読んでくれてありがとう」
って、ただの挨拶ちゃうねんな。
ほんまに、
「時間をくれてありがとう」
なんやと思う。
そしてnoteは、これがもっとおもしろい。
noteって、
「作者」と「読者」
が固定されてへん。
昨日アンの記事を
読んでくれた人が
今日は自分の記事を書いてる
今日はアンがその人の記事を読む。
コメントをくれた人のところへ遊びに行ったら、その人にも物語がある。
エッセイがある。
写真がある。
詩がある。
仕事の話がある。
家族の話がある。
犬の話もある。
猫の話もある。
たまに晩ごはんだけ載ってる。
「アン、それ好きやろ」
「好きや。特に唐揚げの記事」
「文学どこいった」

つまりnoteでは、
「私が書く人。あなたが読む人」
だけやない。
今日は読者。
明日は作者。
明後日はコメント欄でアホなこと言う人。
「最後、お前や」
だからこそ
相手を雑に扱うと分かる
自分の記事には毎回来てもらってる。
でも、自分は相手の記事をほとんど読まない。
本文をちゃんと読まず、
どの記事にも使えそうなコメントを置く。
交流してるように見えて、
最後はいつも自分の記事の宣伝。
フォロワー数が多い人には丁寧。
少ない人には適当。
昔はちゃんと話してたのに、人気が出てきたら急に対応が変わる。
これって、1回なら分からへん。
忙しい日もあるし。
読めない日もある。
コメント返せない日もある。
アンも全部できるなんて思ってへん。
でもな。
積み重なると見えてくる。
「あ、この人にとってアンは
人やなくてスキ1個なんかな」
そう思った瞬間って、
怒るというより、
ちょっと寂しいねん。
「風太郎」
「うん」
「腹立つんとは違うんや」
「分かるで」
「嫌いにもならへん」
「うん」
「ただ、もうええかなってなる」
それで、フォローを外す

ケンカせえへん。
文句も言わへん。
ブロックもしない。
ただ、
「ここにはもう来んでええかな」
って離れる。
noteって
たぶんこういう別れが
一番多いんちゃうかな
大騒ぎして去る人より、
何も言わずに来なくなる人。
だから怖い。
数字だけ見てたら、
フォロワーが1人減った。
それだけ。
でも本当は、
「この人の記事、また読みたいな」
と思ってくれてた1人が、
「もうええかな」
に変わったのかもしれん。
もちろん、人間やから全員と同じようには付き合えへん。
時間にも限界がある。
100人にできたことが、1万人になったらできなくなることもある。
全部読むなんて無理な日も来る。
全部のコメントに長文で返す必要もない。
アンが大事にしたいのは、
「全員に同じサービスをすること」
やない。
「雑に扱わないこと」
や。
読んでへんのに、読んだふりをしない。
適当に褒めない。
相手の記事を自分の宣伝場所にしない。
有名な人だけ大切にしない。
昔から来てくれてる人を、
「どうせまた来る人」
にしない。
これ、めちゃくちゃ大事やと思う。
「風太郎」
「なんや」
「アンが10万人に読まれるようになったら、どうしよう」
「まだ心配せんでええ」
「即答すな」
「まず今日読んでくれた人を
大事にせえ」
それや。

結局そこへ戻る。
有名になったらファンを大切にするんやない。
今いる1人を大切にする。
さんまさんも、手塚先生も、小林幸子さんも、
やり方は違う。
サインする人。
話を聞く人。
握手する人。
コメントを返す人。
一緒に遊ぶ人。
でも根っこはたぶん同じや。
「この人が、自分のために
時間を使ってくれた」
それを忘れへん。
アンも、そうなりたい。
もし10年後。
アンの作品がめちゃくちゃ有名になって。
本屋に平積みされて。
アニメになって。
映画になって。
アンまんじゅうがサービスエリアに並んで。
「まだまんじゅう諦めてへんのか」
そのとき、昔から読んでくれてた人が来てくれたら、
普通に言いたい。
「また来てくれたんか」
「ありがとな🐕」
って。
初めて来てくれた人にも、
「見つけてくれたんやな」
って言いたい。
読者さんがおるから
アンは物語を続けられる
創作者仲間がおるから、自分だけでは見えなかった世界も見える。
コメント欄で笑ったり。
誰かの記事で泣いたり。
知らん町を知ったり。
知らん人生を少し覗かせてもらったり。
noteって、数字を集める場所にもできる。
でもアンは、
人と人が行ったり来たりする商店街みたいな場所にしたい。
「あ、今日も開いてるな」
って覗いて。
「またアホなこと書いとるわ」
って笑って。
たまに長居して。
帰るとき、
「ほなまたな」
と言える場所。
「風太郎」
「なんや」
「アン、有名になっても変わらへんで」
「その前に散歩行くで」
「今日は休載」
「散歩に休載あるか」
「世界的大作家犬は忙しいねん」
「世界的大作家犬、さっきから玄関でリード見て尻尾振っとるぞ」
バレた。
ほな、散歩行ってくる。

今日ここまで読んでくれた人。
ほんまにありがとう。
読んでくれて当たり前なんて、思わへん。
今日もあなたの時間を
アンにちょっと分けてもろた
その時間に負けへんくらい、
また読みに来たくなるもんを書きたい。
人気が出ても。
数字が増えても。
目の前には、いつも1人
アンは、それを忘れんとこな。
「ほな風太郎、散歩のあと、おにぎりな」
「なんでお前も食う前提やねん」
「読者を大切にするには、まず作者の体力管理や」
「都合ええことだけ覚えんな」
