作風の話
わたしは感情を表に出すのが苦手だ。
もちろん、喜びもするし、怒りも、憤りも感じる。
だが笑いはするものの、怒りについては自分の中で分析してしまい落としどころをみつけてしまう。憤りについても同じだ。ありえないと心の内で思っていても、表面ではわからない。
それは大人としては慎み深くて良いとされるが、ただの見栄ではないのか。漠然とした悩みが、眠りにつく寸前のわたしを襲った。
水を飲もうと、ベッドを出て台所へ向かう。
ひんやりした床が心地よい。
それはわたしの書くエッセイにも表れている気がしている。なにか引っ掛かりが弱いというか、忘れ去られてしまうような文章のようだと。
なぜこんなことを感じたのかというと、ベッドに入る前に林真理子氏のエッセイを読んでしまったからに他ならない。
すっかり眠気も冷めてしまった。
午前2時を過ぎたというのに。
女史の書くエッセイの迫力に呑まれてしまった。
同じ土俵で比べるなどおこがましいが、わたしと対極にいる人だと感じた。感情をむき出しというか、妬み嫉みまで包み隠さず赤裸々な文章だった。
とてもじゃないけれど、わたしには一文も書けないと思ってしまった。当たり前だ。そんなことは百も承知だが、あまりの作風の違いに恐れおののいてしまったのかもしれない。
読ませる力もすごかった。
口語体なのにダレることなく、ぐいぐいと引き込まれるような文章。読まされているという表現がしっくりくる。
あんな風に感情を書いてみたい。
真似すらできないが、今後の指針になったように思う。
今、作風に悩んでいるというか、個性を持ちたいと考えていた。文章に感じる個性って何だろう。
わたしはそこから始めることになるだろう。
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