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欲望は、自分の中にあるのではなく、関係の中で育っている

『欲望の見つけ方』から考える、村長としての実感と、これからの社会実装

ルーク・バージスの『欲望の見つけ方』を読み返して、改めて、とても面白いと思った。

この本の中心にあるのは、
人は、自分で欲しがっているつもりで、実は誰かの欲望を欲しがっている
という考え方だ。

お金が欲しい。
認められたい。
成功したい。
自由になりたい。
影響力を持ちたい。
あの人のように生きたい。
あの会社のようになりたい。

そう思っている時、自分はそれを「自分の欲望」だと思っている。

でも、本当にそうなのだろうか。

もしかすると、その欲望は、自分の腹の奥から自然に湧いてきたものではなく、誰かの背中、社会の空気、まわりの期待、時代の評価軸から受け取ってしまったものかもしれない。

この視点は、かなり深い。

なぜなら、欲望を考えることは、単に自己理解を深めることではないからだ。

欲望を考えることは、
人は何によって動かされているのか
社会は何を欲しがるように設計されているのか
これから、どんな欲望を育てる場をつくるべきなのか
を考えることでもある。

自分は、バリ島で村長として暮らし、村の中で人がどう関わり、どう助け合い、どう争い、どう許し、どう日々を積み重ねていくのかを見てきた。

その経験から考えると、欲望とは、個人の中だけにあるものではない。

欲望は、関係の中で育つ。
場の空気の中で伝染する。
誰かの生き方を見て、静かに移っていく。

つまり、欲望とは、社会の燃料であり、共同体の土壌でもある。


人は、本当に「自分の欲望」を生きているのか

現代社会では、「自分らしく生きよう」とよく言われる。

好きなことをしよう。
やりたいことを見つけよう。
自分の夢を追いかけよう。
自分の人生を生きよう。

もちろん、それは大切だ。

でも、ここで一度立ち止まりたい。

その「やりたいこと」は、本当に自分の奥から出てきたものなのか。
それとも、誰かが欲しがっているものを見て、自分も欲しいと思ってしまったものなのか。

たとえば、SNSで成功している人を見る。
自由に旅をしながら働いている人を見る。
大きな事業を立ち上げている人を見る。
華やかな人脈の中にいる人を見る。
投資家から評価されている人を見る。

すると、いつの間にか、そういうものが欲しくなる。

でも、それは本当に自分の欲望なのか。

もしかすると、自分が欲しいのは、その人が持っているものではなく、
その人が欲しがられている状態
なのかもしれない。

ここが怖くて、面白い。

人は、モノそのものを欲しがっているようで、実は、そのモノを欲しがっている人、あるいは、そのモノを持つことで周囲からどう見られるかを欲しがっていることがある。

欲望は、単独で生まれない。
欲望には、たいてい「モデル」がいる。

誰を見て、何を欲しがるようになったのか。

この問いは、かなり重要だ。

薄い欲望と、濃い欲望

ルーク・バージスの本を読んでいて、特に活かしたいと思ったのが、欲望には「薄い欲望」と「濃い欲望」があるという視点だ。

薄い欲望とは、外から感染しやすい欲望だ。

あの人より上に行きたい。
もっと稼ぎたい。
もっと有名になりたい。
もっと評価されたい。
負けたくない。
取り残されたくない。
すごい人だと思われたい。

これらは、とても強く見える。

でも、実は薄い。

なぜなら、誰かとの比較の中でしか存在できないからだ。
他人の視線や評価がないと、燃え続けることが難しいからだ。

一方で、濃い欲望がある。

何度も忘れようとしても、なぜか戻ってくる問い。
損得を超えて、気づいたら関わってしまうもの。
評価されなくても、なぜか続けてしまうこと。
子どもの頃から、ずっと身体が覚えているような関心。
うまく言葉にできないけれど、そこにいると自分が生きている感じがするもの。

濃い欲望は、派手ではない。
すぐにはお金にならないことも多い。
他人から見ると、わかりにくいこともある。

でも、強い。

薄い欲望は、火花のように燃える。
濃い欲望は、炭火のように残る。

自分の場合、事業づくりや社会実装に関わる中で、何度も「稼げるか」「スケールするか」「投資対象になるか」という問いに向き合ってきた。

もちろん、それは大切だ。

でも、自分の奥にある濃い欲望は、そこだけではない。

自分が本当に惹かれているのは、
人と人の関係性が、もう一度、生きもののように呼吸し始める場をつくること
なのだと思う。

役割や肩書きだけで人がつながるのではなく、存在ごと関われる場。
誰かの弱さが、排除ではなく関係の入口になる場。
お金だけでは測れない価値が、ちゃんと循環する場。
使えば使うほど減る資産ではなく、使うほど増える共通資源が育つ場。

そこに、自分の濃い欲望がある。


バリ島の村で見た「欲望の違い」

バリ島の村で暮らし、村長として関わってきた経験から思うのは、社会によって「人が何を欲しがるか」は本当に違うということだ。

都市では、欲望のモデルがわかりやすい。

稼いでいる人。
影響力がある人。
効率よく成果を出す人。
有名な人。
強い人。
勝っている人。

そういう人が、欲望のモデルになりやすい。

もちろん、それ自体が悪いわけではない。

でも、その欲望だけが強くなりすぎると、社会は痩せていく。

人は比べ合い、焦り、勝ち負けに追われる。
見えない役割は軽く扱われる。
弱い人は自己責任にされる。
関係は、成果を出すための手段になる。
場は、効率のために整備される。

でも、村では少し違う。

もちろん、村にもいろいろな問題はある。
理想郷ではない。
人間が集まる以上、嫉妬もあるし、誤解もあるし、面倒なこともたくさんある。

それでも、都市とは違う欲望のモデルがある。

誰がよく人の世話をしているか。
誰が困った時に動くか。
誰が見えないところで支えているか。
誰が場の空気を壊さないか。
誰が子どもや老人にちゃんと関わっているか。
誰が土地や祈りや共同体の時間とつながっているか。

そういう人が、静かに尊敬される。

つまり、村では、
何を持っているか
よりも、
どう在るか
が、人の評価や憧れに関わっている。

これは、欲望のモデルが違うということだ。

人は、ただルールで動くのではない。
人は、その場で「何がかっこいいとされているか」に影響される。

だから、場づくりとは、単に人を集めることではない。

その場で、何を欲しがる人が増えるのか。
何を美しいと感じる人が増えるのか。
何を真似したくなる人が増えるのか。

そこまで設計することなのだと思う。


村長とは、欲望の編集者である

この本を読んで、自分の中でかなりしっくりきた言葉がある。

村長とは、欲望の編集者である。

村長というと、何かを決める人、まとめる人、代表する人のように思われるかもしれない。

でも、村長の本質は、権限ではない。
村長の本質は、空気に関わることだと思っている。

その場で、何が大事にされるのか。
誰の声が聞かれるのか。
何に拍手が起きるのか。
何が恥ずかしいこととされるのか。
何が誇らしいこととされるのか。

そういう見えない基準を、日々の態度や言葉や振る舞いで少しずつ整えていく。

それが、村長の仕事なのだと思う。

もし、村長が金儲けばかり欲しがれば、村は金儲けの空気になる。
もし、村長が名誉ばかり欲しがれば、村は序列の空気になる。
もし、村長が対立を欲しがれば、村は敵を探し始める。

逆に、村長が、人が育つことを欲しがる。
関係が続くことを欲しがる。
困っている人が孤立しないことを欲しがる。
見えない役割が報われることを欲しがる。
土地や場や記憶が次の世代に受け継がれることを欲しがる。

そうすると、その欲望は、静かに場に移っていく。

リーダーとは、ビジョンを語る人ではないのかもしれない。

リーダーとは、
その場で、何を欲しがることが美しいのかを体現する人
なのだと思う。

だから、リーダー自身の欲望は、とても重要だ。

何を欲しがっているのか。
誰の欲望を真似しているのか。
その欲望は、まわりの人を自由にするのか。
それとも、まわりの人を比較と競争に閉じ込めるのか。

これは、あらゆる組織、地域、プロジェクトに必要な問いだと思う。


事業づくりは「ニーズ発見」から「欲望モデル設計」へ

この本の視点は、事業づくりにもかなり活かせる。

多くの事業開発では、まずニーズを探す。

誰が困っているのか。
どんな課題があるのか。
いくら払うのか。
市場規模はどれくらいか。
競合優位性は何か。

もちろん、これらは大事だ。

でも、これからの事業づくりでは、それだけでは足りないと思う。

もっと大事なのは、
この事業は、人にどんな欲望を生み出してしまうのか
という問いだ。

たとえば、あるサービスが便利だったとしても、そのサービスによって人がますます孤立するなら、それは本当に良い事業なのか。

ある仕組みが儲かったとしても、その仕組みによって人が誰かに勝つことばかり欲しがるようになるなら、それは本当に育てたい事業なのか。

あるコミュニティが盛り上がったとしても、その中で承認欲求や序列ばかりが強まるなら、それは本当に健全な場なのか。

事業は、単にモノやサービスを提供しているのではない。

事業は、人の欲望を設計している。

「これが欲しい」
「こうなりたい」
「あの人みたいになりたい」
「あの場に関わる自分でありたい」

そういう欲望を生み出している。

だから、事業づくりの問いは、こう変わる。

この事業は、誰をモデルとして立てるのか。
この事業に関わると、人は何を欲しがるようになるのか。
その欲望は、薄い欲望なのか、濃い欲望なのか。
人を奪い合いに向かわせるのか、共創に向かわせるのか。
次世代が真似しても大丈夫な欲望なのか。

この問いを持つだけで、事業の質はかなり変わると思う。

自分が関わっているWAB、Pair First、Upcycle Magazine、コタツデ、地域連携、共同体づくり、AIを使った個性や関係性の再設計のような取り組みも、すべてこの視点で見直せる。

「何を提供するか」だけではなく、
この取り組みによって、人は何を欲しがるようになるのか
を見る。

これは、これからの事業プロデュースにおいて、かなり重要な視点になると思う。


欲望をIP化する社会から、IR化する社会へ

自分はこれまで、よく
IPからIRへ
ということを考えてきた。

IPとは、囲って守って稼ぐ資産。
IRとは、使うほど増える共通資源。

知識も、場所も、関係性も、物語も、地域も、本来は囲い込むだけではなく、使い合い、育て合い、循環させることで価値が増えていくものだと思っている。

今回、この本を通じて、ひとつ大きくアップデートされた感覚がある。

それは、
欲望もIR化できる
ということだ。

今の社会では、欲望はIP化されやすい。

自分だけが勝ちたい。
自分だけが有名になりたい。
自分だけが稼ぎたい。
自分だけが特別でありたい。
自分だけが選ばれたい。

この欲望は、競争を生む。
比較を生む。
嫉妬を生む。
分断を生む。

もちろん、それが人を動かす力になることもある。

でも、その欲望だけで社会が動き続けると、どこかで疲弊する。

一方で、IR化された欲望がある。

自分が学びたいから、学びの場が生まれる。
自分が挑戦したいから、仲間の挑戦も始まる。
自分が地域とつながりたいから、地域の人も外とつながる。
自分が事業をつくりたいから、眠っていた人や場所や知恵が動き始める。
自分が誰かを応援したいから、応援する文化そのものが育っていく。

これは、使うほど増える欲望だ。

誰かひとりの欲望が、まわりの人の可能性を増やしていく。
誰かの挑戦が、他の誰かの挑戦のモデルになる。
誰かの勇気が、別の誰かの一歩になる。

そういう欲望は、共通資源になる。

これからの社会に必要なのは、欲望を消すことではない。

欲望を悪者にすることでもない。

必要なのは、
欲望の向きを変えること
だと思う。

奪い合う欲望から、育て合う欲望へ。
比較される欲望から、関係が深まる欲望へ。
囲い込む欲望から、使うほど増える欲望へ。

これが、欲望のIR化だ。


これから必要なのは、欲望を耕す仲間である

この本を読んで、改めて思った。

社会を変えるには、制度だけでは足りない。
お金だけでも足りない。
テクノロジーだけでも足りない。
正しい理念だけでも、まだ足りない。

必要なのは、
人が何を欲しがるのかを変えていくこと
だと思う。

どんな人をかっこいいと思うのか。
どんな関係性に憧れるのか。
どんな場に関わりたいと思うのか。
どんな未来を、自分ごととして欲しがれるのか。

そこが変わらない限り、社会の形だけを変えても、また同じ欲望に戻ってしまう。

だから、自分は、これからの仕事をこう捉えたい。

事業をつくること。
場をつくること。
共同体をつくること。
地域と企業をつなぐこと。
AIやテクノロジーを活用すること。
新しい仕組みを社会実装すること。

そのすべては、
人が何を欲しがるようになるかを耕す仕事
なのだと思う。

欲望は、悪ではない。

欲望は、社会の種だ。

ただし、その種をどんな土に植えるかで、奪い合いにもなるし、共通資源にもなる。

金だけを欲しがる社会は、関係が痩せていく。
正しさだけを欲しがる社会は、人を裁き始める。
効率だけを欲しがる社会は、弱い人の居場所を失っていく。

でも、誰かの幸せを少し欲しがる社会。
次の世代の余白を欲しがる社会。
関係が壊れずに続くことを欲しがる社会。
見えない役割が報われることを欲しがる社会。
土地や場や記憶が、次に手渡されることを欲しがる社会。

そういう社会は、きっと強い。

そして、きっと面白い。

自分は、そういう欲望を育てる場をつくっていきたい。

囲って奪い合う欲望ではなく、使うほど増える欲望。
誰かを負かす欲望ではなく、誰かの可能性を増やす欲望。
ひとりで勝つ欲望ではなく、関係性ごと豊かになる欲望。

これからの社会実装とは、便利なサービスを増やすことだけではない。

人が、何を欲しがるかを、もう一度、人間らしい方向へ耕し直すこと。

そこに、自分の関心がある。

そして、この思考に面白さや可能性を感じる人と、一緒に動いていきたい。

事業でも、地域でも、教育でも、福祉でも、まちづくりでも、組織づくりでも、AIでも、アップサイクルでも、どんな入口でもいい。

大事なのは、
どんな欲望を社会に増やしたいのか
という問いを持てるかどうかだと思う。

この問いを一緒に考えたい人。
この視点で何かをつくってみたい人。
自分の事業や地域や組織に、この考え方を取り入れてみたい人。
一緒に行動できる仲間になれそうだと思った人。

ぜひ、直接連絡をください。

欲望は、ひとりの中で完結しない。
欲望は、関係の中で育つ。

だからこそ、これからは、
どんな欲望を、誰と育てるのか
を大切にしたい。

その先に、まだ見たことのない村のような社会が、少しずつ立ち上がってくる気がしている。


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