なぜ、5年ぶりにイタリアへ行くのか:自分の中のイタリアと、もう一度出会い直す
2021年10月にイタリアから帰国して以来、5年ぶりにイタリアの地を踏もうと決めた。
なぜ、今イタリアなのか。
自分でもまだ、すべてが言葉になっているわけではない。ただ、ここ数年、自分自身と向き合い続けてきた中で、最後に表現されずに残っている3つのものがある。その1つが、私にとっては「イタリア」なのだと思う。
そこで今回は、イタリアに行く前に、自分の中にある想いと出会い直し、それを残しておくためにも、記事にしてみることにした。
目的①:イタリアと出会い直す
私にとって、「イタリア」とは何なのか
私にとって、「イタリア」とは単なる土地・国ではない。
もっと大きな概念であり、いくつもの価値を包括するものだ。
Italianità という言葉に象徴される、大いなる愛・情熱の発露・クリエイション=創造・イマジネーション=枠を打ち破る想像・共鳴・共振・響き合い・深い絆・amicizia・つながり・カラフル=色彩・多様な生命の舞踊・生命の祝祭・表現・expressiveness・生の肯定=謳歌=生への深い敬意。そして、それらと共存する深い沈黙性・憂鬱性・内省の深さ・哲学性。
外へ向かって大きく表現することと、内側へ深く沈んでいくこと。その両方が同時に存在している。
私にとって「イタリア」は、陰陽両極端の表現の許しなのかもしれない。
大共鳴。大共振。大表現。大いなる愛。大いなる悲嘆。大いなる喜び。大いなる抱擁。
原色に近い色のままの表現と、エレガンス・調和的な美。その両立。
「思いっきり出していい」と、許可を与えられている感覚。それと同時に、「自然と出てしまう」、そんな感覚。自然なる大表現の許容と奨励。
私にとってのイタリアとは、そういう諸価値を包括する概念なのだと思う。
目的②:自分の中のイタリアと出会い直す
その愛は、高校生の頃から始まっていた
私のイタリア愛に火がついたのは高校生の頃だった。
元々、兄の影響で『紅の豚』『ゴッドファーザー』『ニューシネマパラダイス』といった、イタリアに関連する世界観の影響を受けて育った。その土壌もある。
そんな中、ある日、偶然図書館で手に取った一冊の本をきっかけに、イタリアオペラと出会った。そして、ルチアーノ・パヴァロッティの、あの爆発的な表現に魅了された。
あの「爆発的な全身表現」。
声だけではない。身体全体、感情全体、存在そのものを使って表現しているように見えた。
日本の地で生まれ育ち、包み込む温かさや笑顔、ちょっとした悪戯心を持ち合わせつつも、どこか枠の中に留まり続けていた「清田彬仁」という一人の人間にとって、あの枠をぶっ飛ばした全身を使った表現や、圧倒的な感情の爆発は、とても魅力的だった。
「あんな風な姿を、自分の中にも取り込みたい。」
そんな気持ちが、当時の自分の中にはあったのだと思う。
大学受験の傍ら、イタリア語を独学で勉強し、高校の授業中に内職でイタリア語を学んでいたことは、今でも一部の同級生の間では語り草である。
それくらい、私はあの頃からイタリアに魅了されていた。
大学時代には、長期で何度もイタリアに滞在した。イタリア全土の愛すべき家族たちと共に時間を過ごした。ボナッソーラのビーチで出会った女の子と恋に落ちた。
ただ、愛していた。情熱に溢れていた。
そして、大学時代には片っ端からイタリア映画を観た。イタリア音楽を聴いた。そんな中で、イタリアの哀愁・美・悲嘆・憤怒・・・と出会った。
ヴィスコンティの『山猫』、フェデリコ・フェリーニの『青春群像』。あらゆる映画から人生のあらゆる色彩を感じ取った。
そして2017年から2021年まで、実際にイタリアに住んだ。
運命的な出会いからのイタリア移住だった。
トスカーナの海沿いの街、ViareggioやLivornoで働き、スーパーヨットの世界で仕事をした。
あれほど憧れていたイタリアに、実際に住んだ。
イタリア・ナポリで結婚もした。海沿いの街で、海にぷかぷか浮かびながら、浜で寝そべってゆったりと過ごしていた。
それなのに私は、イタリア愛を見ないふりをしてイタリアに滞在していたのだと思う。
パートナーシップや安心の懐に安住しすぎていた。まだまだ未熟だった私は、自分自身の中に息づくイタリア愛や、自分の中にある衝動を、思う存分尊重し、発揮しながら、パートナーシップの中を生きることができなかった。
頼まれてもいないのに、自分で自分を黙らせてしまった。
その結果、本当は愛していたはずの、そこにあるものを十分に味わい、見つめることができないまま、イタリアを離れて日本へ帰ってきてしまった。
そして今、長い時を経て、あの頃の自分の中にあったものが、改めて蘇ってきている。
目的③:イタリアを通じた日本への願いと出会い直す
イタリアの向こうに、私が見ている日本
私は、単にイタリアに触れていたのではない。
自分自身にとって大切なたくさんの価値のうちでも、特に大切なものを包括する「イタリア」に触れ、そんなものを大切にしている自分自身に出会い直し、そして、その先にあるこの世界への願いとも出会い直したいのだ。
私は英語ができる。イタリア語もできる。
でも、もしも私が船に乗り、仲間を集めて航海に旅立っていったとしたら、その先、はるか彼方にある大陸のようなものは何なのだろう。
そうやって眺めてみたとき、私の目に浮かんできたのは、「黄金の国・ジパング」だった。
もちろん、これは例えである。
なぜ黄金の国なのか。
それは、個が光り輝き、光り輝く個と個のフュージョン・共創によって、ますますその光輝が燦々と輝いているからだ。
そんな土地は、黄金の国に見えてくるのではないか。
私は、日本にそんな姿を夢見ているのかもしれない。
一人ひとりが、その無限の可能性を個として発揮している。そして、思考にとどまらず、全身すべてが表現したがっているように表現している。
表現。爆発的なまでの表現。
それは、事業かもしれない。理想のキャリアかもしれない。アートかもしれない。子育てかもしれない。誰かに言葉をかけることかもしれない。ただその場に佇むことかもしれない。
どんな形でもいい。
その人の中にあるものが、その人自身の表現として、この世界に現れている。
そして、個を無限に発揮することを前提として、本気本音の共創が発生する。
本気本音同士の共創だからこそ、爆発的な相乗効果が生まれ、クリエイションと大表現が起こる。
こうして、世の光となる事業も、あらゆる形と色彩の表現も、次々と創発されていく。
個も集団も生命力を爆発させている。自由である。楽しんでいる。共に没入している。没頭している。パッションに溢れている。熱い気持ちが伝わってくる。生を謳歌している。生きている。
生きているもの同士のオペラが鳴り響いている。
生命の祝祭劇場かのようだ。
そんな姿を、日本に夢見ているのかもしれない。
自分の世界への、そして日本への願いには、どうも「イタリア的な概念」が大きく関係している。
だからこそ、この度のイタリア行きは、自分の人生にとっても大きな意味があると感じている。
目的④:次に進むため
ここ数年、私はずっと自分と出会い直してきた
2024年から、この2026年まで。
私は、とてつもない勢いで、あらゆるアプローチから自分自身と出会い直してきた。
コーチングの学び。声の合宿。アート合宿。ヴィパッサナー瞑想。集中内観。ヨーガ修行。サウンドヒーリング修行。NVC(非暴力コミュニケーション)合宿。タイマッサージ修行。エクスタティックダンス。ブレスワーク。即興劇。歌詞作り……etc.
いろいろな入口から、自分の内側にあるものに触れてきた。
その過程を経た今ここにいる自分が感じているのは、自分の中にあるあらゆる過去や気持ちとの再会と抱擁、そして友人=Amico化である。
心の中にあるものを、無かったことにしない。
過去も、感情も、弱さも、悲しみも、喜びも、愛も、情熱も。
「ああ、お前も俺の一部だったんだな」と、一つひとつと再会して、抱きしめて、友人になっていく。
そんなことを、ここ数年ずっとやってきたのだと思う。
そして今、自分の心の中に残っている最後の大きな穴の1つは、イタリアなのだと感じている。
ぼんやりとしている。影がかかっている。まだ、その正体がはっきりとは見えていない。そういう意味での「穴」だ。
だから、イタリアに行く。
この穴と出会い直すために。
かつての自分がイタリアに何を見ていたのか。何を求めていたのか。何を受け取り、何を置いてきたのか。
そして今の自分は、そこから何をもう一度受け取り、これからの人生に持っていくのか。
それに出会い直してみたい。
この穴はブラックホールかもしれない。もう戻れないかもしれない。
この穴は過去の色彩で彩られた、もう意味のないものかもしれない。
この穴を直視すること。全身で感じること。そのすべてには、少し怖さもある。
それでも、この穴に出会いにいかなければ、AkiはAkiの生命に半ば嘘をついて生きることになるのではないか。
とまで思っている。
そして、その先へ
実を言うと、本当に、本当にグッと次に進むのは、パートナーと出会い直して、パートナーシップを再び歩み始めた時のような気もしている。
でも、それは今ではないと感じている。
今は、まず走り出す。
自分の人生を、自分の足で走り始める。
世界に出て、人と出会い、表現し、創り、愛する。
そして、走り出してから、そこから出会うんだろう。
私の直感は、そう告げている。
だから、今はイタリアへ行く。
5年ぶりに、イタリアの地を踏む。
かつての自分が愛したイタリアと。
かつての自分が置いてきたイタリアと。
そして、今の自分の中に生きているイタリアと。
もう一度、出会ってこようと思う。
Ciao, Italia.
Mi sei mancata un sacco.
Ti voglio bene assai.
Così tanto assai.
Ti vado a trovare.
Aspettami.
Un abbraccio.
Aki
