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人を傷つけるのも人なら、人を救うのも人だった

SNSの誹謗中傷。
プロスポーツ選手への執拗なヤジ。
教員や医療スタッフ、公務員への行き過ぎたカスタマーハラスメント。
こんなことが日常茶飯事の世の中に、誰がした。

みんな、安全な場所から、
叩きたいだけ、叩いて、殴って。
火祭りを楽しんだら、次の火祭りに参加する。

自分は、カスタマー側だから偉いと勘違いしてるのだろうか。
そこに金銭が発生しても、していなくても、
人と人の対話に、上も下もないはずなのに。

する側の「そんなつもりはなかった」。
聞き飽きた、そんな台詞。
どんなつもりでも、相手の気持ちを想像できない時点で、
大人として終わっている。
「セクハラするつもりがなかった」なら、お尻触っていい訳ないじゃん。
それと同じだ。
それすら想像できない、かわいそうな大人達。

誰がどこで、被害者になるかわからないこの世の中。
立場の不均衡さを逆手に、勝手な憂さ晴らしの対象にされる。
やった方は、すっきりして帰って、寝れば忘れるのだろう。

でも、された方は、心も体もボロボロだ。
された方の傷は、そう簡単には癒えない。
再起不能になるリスクすらある。

それなのに、暴力などの形に残る傷がないからって、
なんの処罰もできないなんて。
こんな、世の中、理不尽にもほどがある。
くそ食らえだ。


「ちゃんと言われたこと記録をつけといて」
「そんなに正論で立ち向かうなんて偉いなぁ」
「早く忘れなよ」
「戦う女みたいでかっこいい」
周囲の心配顔をしたどんな言葉も的外れだ。
心にナイフが刺さったまま、まだ血が止まらないのに。

そんな絶望的な気分の中でも、多少のお腹はすく。
ご飯を作る気力すらなく、ふらっと出向いたお店で。
懐かしい顔を見つけた。

普段なら、昔の知り合いに会うのは嫌な質だが、
その人は、私の中で恩師と言ってもいい人だった。
直接の上司ではなかったが、社会人なりたての頃の未熟な私を、
一人の人間として尊重し、プロジェクトを任せてくれたりした。
時に口は悪いし、烈火のごとく怒ることもあったが、
どんな他者へもリスペクトをはらい、面倒見が良くて、
人を肩書きではなく、一人の人間として見てくれる人だった。

そんな恩師から、
「久しぶり。こんなところで。
今も、僕の部屋の真ん中に、あのときの写真が飾ってあるよ。
うちに戻ってこない?」
冗談8割だろうが、言ってくれたこの言葉は、
私の絶望的に傷ついた血だらけな心に、ガーゼが差し出されたようだった。


言葉の暴力は、
あとからあとから、何度だってフラッシュバックして、
された側への刃になって突き刺さる。
実際、正しい対応をしたとしても、
対応が間違っていたのではないか、他の誰かならもっとうまく対応できたかも……。
どんどん、自分を責める言葉ばかりが脳内を埋め尽くす。


でも、そんなときに、恩師に会えた。
「君とまた、働きたい」
その言葉は、悪い言葉ばかりが渦巻く自分の真っ暗な闇な心の中に、
そっと希望の火を灯してくれた。


あとから送られてきたメールを読む限りは、彼の中には、
未熟だったけど、やる気と情熱で突っ走っていたあの頃の私が、
どうやら残っているらしい。

恥ずかしいけど、
そんな私を覚えていてくれたこと、
そして、いま、声をかけてくれたことが、
私の冷え切った心を、あたためる。

結局、人を傷つけるのも人だが、
人を救うのも人だ。

今は、人と関わるのが怖すぎる。
でも、それを恐れすぎて、誰とも深く関わることを辞めたとき、
私の中の大切なにかも壊れてしまう。

またいつか、人を信じられる日が、もう一度来るだろうか。


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