短編|好きって何グラムですか?#1 「隣の席の甘党男子」
「千佳ちゃん、クレープ食べたい!」
甥の琉生が指を差した先には、ピンクと白のパステルカラーのキャンピングカーがあった。
「さっきポップコーン食べたばかりでしょ」
「それは別腹なの!」
千佳が窘めると、琉生は頬をふくらませた。姉の口癖まで真似る姿にため息をつく。
姉が友人の結婚式に出席するため、今日は琉生を預かっている。
前から言われていたが、当日まですっかり忘れていた。
お世辞にも綺麗とは言い難い部屋で過ごさせるのは教育上よろしくないと思い、遊園地に連れてきたのだ。
姉にメッセージを送ると『あまり買い与えないでね』と返ってきたのに、気づけば色んなものを買わされていた。
日常ではまず使わないであろう、遊園地のマスコットキャラクターのカチューシャやフィルムバルーン。昼食にはお子様ランチを注文し、ポップコーンまで買ったというのに、これ以上甘やかせば姉にまた小言を言われるだろう。
「千佳ちゃん! おねがい」
「……しょうがないな」
甥っ子のお願いには弱い。
千佳が財布を取り出すと、琉生は途端に笑顔になった。
まったく現金な子だ。それでも喜んでくれるに越したことはない。
姉から小言を言われる覚悟で、クレープを買った。
「ありがとうございました」
店員からクレープを受け取り、琉生に手渡す。
「千佳ちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして。あっちで食べようか」
「うん!」
クレープを持った琉生と手を繋ぎ、広場の隅にあるベンチに向かった。
(……ん?)
ベンチに座る一人の男性に見覚えがあり、思わず足を止める。
「千佳ちゃん、どうしたの?」
琉生の声に反応し、男性がこちらを見た。
職場の同僚・真壁幸人だった。
「……こんにちは」
目が合い、千佳は軽く会釈をする。
真壁はスクエア型の眼鏡の縁を指先で摘み、クイッと押し上げた。
「こんにちは。明日菜さん、奇遇ですね」
真壁の手には、琉生に買ってあげたものと同じクレープが握られている。
シャープな整った顔立ちは、眼鏡も相まって神経質な印象を与える。休日だというのに、職場と代わり映えのない白いワイシャツに紺色のスラックス姿。
無表情で、ポップな紙に巻かれたクレープを持つ姿は、あまりにもシュールだった。
絶対、テイクアウトのホットコーヒーのほうが似合う。
「知ってるひと?」
琉生が千佳の服の袖を引っ張った。
「そう。一緒に働いてる人だよ」
「そうなんだ!」
「明日菜さん、お子さんがいらっしゃったんですね」
二人のやり取りを見て、真壁は目を丸くした。
「いえ、甥っ子です。姉に用事があって、預かっているんです」
「そうですか。それは失礼しました」
「……いえ」
「お兄ちゃんもクレープ好きなの?」
真壁の隣の席に腰掛けながら、琉生が尋ねる。
「うん。甘いものが好きでね」
真壁がフランクに話す姿を初めて見た。職場では同期にも後輩にも、必ず敬語で話している。
これはネタになりそう。
そんな不謹慎なことを思った。
「琉生も好きだよ!」
誰に対しても物怖じしない琉生は、真壁ともすぐに打ち解けた。
千佳は隣のベンチに一人腰を下ろし、二人の会話に耳を傾ける。
「明日菜さんはクレープ食べないんですか?」
琉生を挟み、真壁がやや前のめりになって尋ねてきた。
「ええ。甘いものは苦手で」
「なるほど」
千佳の返答に頷き、真壁は姿勢を戻した。
「千佳ちゃん、お菓子作るの得意なんだよ」
琉生、余計なことを言わなくていい。
思わずそう言いたくなった。
「明日菜さん、料理が得意なんですか」
「いえ、そんなことは……」
人並みに料理はできるが、作ること自体好きじゃない。
まず、一人分の料理を作るのが面倒臭い。仕事の日は、コンビニで買ったもので食事を済ませることが多く、休日でもカップラーメンやレンジで温めるだけの料理ばかりだ。
お菓子作りを覚えたのは、当時付き合っていた彼氏が甘いもの好きだったからだ。彼に好かれたい一心でお菓子教室にまで通ったが、もともと作ることも、甘いもの自体も好きではなかった。
(スナック菓子とか、酒に合うつまみのほうが、断然いいし……)
「琉生ね。千佳ちゃんの作ったマドレーヌが一番好き!」
琉生、空気読んで……。
千佳は心の中で呟いた。
「それは興味深いですね」
真壁が眼鏡のブリッジを押し上げる。
逆光でレンズが白く光り、ただでさえ変化の少ない表情が、さらに読みにくくなった。
なぜだか嫌な予感がした。
変なスイッチを入れてしまったような……そんな気がする。
「本格的なものではありませんよ。ホットケーキミックスで作れる簡単なものですから」
聞かれてもいないのに、思わず言葉を返した。
「なるほど。それなら僕にも作れそうですね」
その時、時刻を知らせるメロディーが流れた。
腕時計を見ると、午後三時だった。
「姉が迎えにくるので、そろそろ失礼します」
千佳はベンチから立ち上がり、琉生に声をかける。
「琉生、帰ろう」
「うん」
姉が恋しかったのか、琉生はぐずることもなく素直に頷いた。
「では、また職場で」
真壁に向き直り、小さく頭を下げる。
「はい」
真壁は小さく会釈を返した。
「お兄ちゃん、ばいばい!」
琉生が手を振ると、真壁も小さく手を振り返した。
子供好きなのか?
一人で遊園地に来てクレープを食べるほどの甘党といい、真壁の意外な一面を見た日だった。
◇ ◇ ◇
週明け。
「くっ……全然直らない……」
トイレの鏡を睨みながら、千佳は跳ねた髪を整えていた。
朝は時間がなく、手ぐしで一つにまとめることが多い。水をつけて、なんとかアホ毛を寝かせる。
「でさ」
トイレの扉が開き、二人の社員が入ってきた。
鏡越しに軽く会釈をする。二人は個室に入るわけでもなく、鏡の前で会話を続けた。
「真壁さん、主任に昇進するって噂よ」
「すごっ、スピード出世じゃん」
「ね、明日菜さんはもう聞いた?」
「え……いえ、知らなかったです」
急に話を振られ、千佳は戸惑いつつ正直に答えた。
真壁は徹底した効率主義で、仕事が早い。無駄な残業もしなければ、納期に遅れたこともない。そのうえ整った容姿も相まって、女子社員からの人気も高かった。
会話もそこそこに切り上げ、千佳はそそくさと外へ出た。
濡れたままの手でポケットを探るが、ハンカチが入っていない。
(まぁ、いいや)
ズボンで手を拭く。
「明日菜さん」
声をかけられ、振り返ると真壁が立っていた。
なんてタイミングの悪い。
「何でしょうか」
平然を装って尋ねる。
「課長が探していました」
「分かりました。すぐ戻ります」
「あ、これを」
真壁はポケットからハンカチを取り出し、差し出してきた。
千佳は思わず、それをじっと見つめる。
「使ってください」
ズボンで手を拭いていたところを完全に見られていた。
羞恥心で、その場から逃げ出したくなる。
「いえ、大丈夫ですので」
差し出されたハンカチを手で押しとどめる。
「洗い立てです」
「いえ、そういうことでは……」
「いつも二つ常備しているので、心配いりません」
そう言って、真壁は反対側のポケットから二枚目のハンカチを取り出してみせた。
嫌味ではないのだろうが、自分より女らしい真壁に敗北感を覚えた。
このまま押し問答していても仕方がない。
「では、お借りします」
「はい、どうぞ」
受け取ったハンカチで手を拭く。
「洗ってお返しします」
「いえ、そのままで構いませんよ」
真壁が手を差し出す。
「私の気がすまないので、洗わせていただきます」
千佳はきっぱりと言い切った。
ちゃんとクリーニングに出そう。
そう決意すると、真壁が不思議そうに首を傾げた。
「後日お返ししますので」
「そこまで言うのなら……分かりました」
「では、先に戻ります」
踵を返したところで、真壁が再び声をかけた。
「明日菜さん」
「はい?」
「厚かましいようですが、一つお願いがありまして」
千佳は思わず首を傾げた。
◇ ◇ ◇
日曜日。
千佳はキッチンに立ち、久しぶりにエプロンを身に着けた。
『マドレーヌを作ってほしいんです』
週の始め、真壁からそう頼まれていた。
甥の一言で、真壁が甘いもの好きなのは知った。同時に、自分がお菓子を作ることも知られたわけだが、まさか素人の作ったものにまで興味を持つとは思わなかった。
ハンカチを借りた手前、断りにくかったこともある。
遊園地で見た真壁の意外な一面も、少なからず影響していた。
甘いもの好きなのもそうだが、甥と話していた時の彼を思い浮かべると、作ってもあげていいと思った。
面倒臭いとは、正直思う。
それでも、誰かに作ってほしいと頼まれたのは久しぶりだった。
珍しく、少しだけやる気が出た。
「よし、やるか」
千佳は腕まくりをすると、ボウルを手に取った。
◇ ◇ ◇
「ハンカチ、ありがとうございました」
千佳は小さな紙袋を真壁に手渡した。
「わざわざクリーニングしてくれたんですか」
袋の中を見て、真壁は目を丸くする。
「ええ。それで返すのが遅くなりました。すみません」
「いえ、こちらこそ手間をおかけしてすみませんでした」
互いに頭を下げる。
早朝の職場には、千佳と真壁以外、誰もいない。
人目を避けたくて、出勤時間の三十分前に真壁を呼び出したのだ。
「それで、これが例のものです」
千佳がもう一つの紙袋を差し出すと、真壁の口元がわずかに緩んだ。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。あっ! それは家で食べてください!」
透明な袋に包まれたマドレーヌを一つ取り出した真壁に、千佳は慌ててそう言った。
袋越しに、ほのかにバターの香りがする。
「……分かりました」
手元のマドレーヌを見つめたまま、真壁はわずかに肩を落とした。
目の前で食べられるのは恥ずかしかった。
「味の保証はできませんので」
思わず、そんな保険をかける。
前もって味見はした。それでも自信がなかった。
そのまま自分のデスクへ戻り、椅子に腰を下ろす。
相変わらず整理整頓されていないデスク。
ファイルは立てかけず、机の上を占領するように平積みになっている。パソコンには、もう不要になった付箋が貼られたまま。引き出しに至っては物が挟まっているのか、きちんと閉まり切っていない。
自分って本当にだらしない。
つくづく思う。
デスクを見ただけで、がさつな女だと分かるのに、よくお菓子を作ってほしいと言ってきたものだ。
一方、隣の席――真壁のデスクは、すべてに定位置があるかのように綺麗に整頓されている。
服装や所作も、真壁はきっちりとしている。
対する自分は、相変わらず手ぐしで適当にまとめた髪。服装だって、特別きっちりとしているわけではない。
作ったマドレーヌも、綺麗にできたとは言い難い。
熱が冷めきる前に型から外したせいで、表面が剥がれたものが多い。比較的、形が綺麗に残ったものを選んだつもりだが、やっぱり売り物のような仕上がりではない。
真壁の整然としたデスクを見ていると、急に自分が渡したものまで不格好に見えてきた。
「それ、見てわかると思いますけど、失敗したんです」
千佳は俯いたまま呟く。
「形も悪いし、味も大したことないです」
つい、自嘲するような言葉が口をついた。
「僕はまだ食べてません。勝手に決めつけないでください」
真壁の声に、かすかな苛立ちが滲んだ。
千佳は思わず、立ったままの彼を見上げる。
真壁の表情からは、何を考えているのか読めない。だが、眼鏡越しの目元はわずかに険しく見えた。
「……すみません。お手洗いに行ってきます」
真壁はそう言って千佳から視線をそらすと、早足でその場から離れていった。
食べる前に美味しくないと言われたら、誰だっていい気がしない。
表立って感情を見せない真壁も、さすがに気分を悪くしたのだろう。
久しぶりに人に作ったせいで、少し神経質になりすぎていたのかもしれない。
真壁はそんな自分の心の内など知るはずもない。
せっかく真壁との距離が少し近くなった気がしていたのに、たった一言で気まずくしてしまった。
でも、彼と自分は真逆な性格だ。
もともと住む世界が違うのだ。
そう言い聞かせても、一度胸に空いた穴が塞がることはなかった。
◇ ◇ ◇
心ここにあらずでぼんやりと動画を見ていると、メッセージの通知が表示された。
真壁からだ。
――お疲れ様です。
すぐにトーク画面を見る気にはなれなかった。
しばらくすると、また通知が届く。
――マドレーヌ食べました。
――朝は謙遜してたんですね。美味しかったです。
ぽつ、ぽつ、とメッセージが続く。
お世辞かもしれない。
それでも、簡潔に書かれているのが、いかにも彼らしい気がした。
千佳は自然と口元を緩めた。
――嬉しかったです。ありがとうございました。
――では、また明日。
それきり、画面が静かになった。
返信の言葉を考えているうちに、千佳はそのまま眠りについた。
◇ ◇ ◇
「……おはようございます」
「おはようございます」
結局返信できず、千佳は気まずさを感じながら挨拶を交わした。
真壁のほうは普段通りだった。
「明日菜さん」
パソコンを立ち上げていると、真壁から声をかけられた。
「……何ですか」
嫌々ながら横を向く。
「次はこれをお願いします」
真壁が差し出したのは、お菓子の本だった。
開かれたページには付箋が貼られている。
「カヌレ……」
千佳が読み上げると、真壁は大きく頷いた。
「バタースイーツ好きなんですか?」
思わず聞き返す。
「好きです」
即答。
「……また作れと?」
「はい」
千佳は瞑想するように目を閉じた。
ここで断らないと、永遠に頼まれるのではないか。
そんな予感しかない。
「……何かお返しくれるんですか?」
この世はギブアンドテイクだ。
「おすすめのスイーツ専門店に連れていきます」
「私、甘いものが好きじゃないんですけど」
「この店なんですけど」
千佳の言葉を無視して、聞いてもいないのに真壁はスマホの写真フォルダを見せてきた。
胸焼けしそうなほど、たくさんのスイーツの写真が並んでいる。
(……ん?)
その中に、見覚えのあるマドレーヌが一枚だけ混ざっていた。
「……」
「スイーツ店を回るのが趣味でして。SNSにも投稿してるんです」
「え、そうなんですか?」
それは驚きだった。
SNSをやっていることより、その投稿内容が気になる。
「興味が出てきましたか?」
真壁が弾んだ声で聞き返す。
スイーツより、真壁の生態が気になり始めた。
「まぁ、少しだけ」
素直になれず、千佳はそう答えた。
一話完結型のオフィスラブコメシリーズです。
