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文学とラノベの読書体験の違い。Web小説はなぜ「毎話の気持ちよさ」が求められるのか|書籍化ログ(#創作論 #Web小説 #note #エッセイ#なろう #文学)

こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

先日、第175回芥川賞・直木賞の受賞作が発表されましたね。

私は直木賞を受賞した
朝倉かすみさんの『けんぐゎい』が気になって、
早速オーディブルの予約をしました。

文学作品を読んでいるとその表現方法に圧倒されることばかりで、
自分では到底到達できない高みに、
もはや「尊敬」という言葉では足りず、
ただその筆致の前に立ち尽くすしかないような
そんな畏れにも似た感動が湧き上がってきます。

一方、ライトノベルは読んでも先ほどのような
「畏れにも似た感動」といった
文章に感服してしまうような感覚にはなりません。
文学のように文章を味わうという感じではなく、
どちらかというと体験を味わうの感覚に近い気がします。

同じ物語でも、文学作品とライトノベルでは
読み味が全然変わってきます。

ではその違いはどこにあるのでしょうか。


●文学とライトノベルは、どこが違うのか


一番は「表現方法」だと思います。

そもそも、一般的な文学作品では、
登場人物の感情がそのままストレートな言葉で
説明されることは多くありません。

そのため、読者は必然的に、
少し離れた第三者的な視点を
持たざるを得なくなる構造になっています。

「ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢から目をさますと、ベッドの中で自分が巨大な虫に変わっているのに気がついた。」

カフカ『変身』

このように衝撃的な状況が提示されているにも関わらず、
主人公の感情はほとんど説明されません。

文学は何気ない仕草や風景の描写といった間接的な手がかりから、
「この人は今、何を思い、なぜこんな行動をとったのだろう」と
推察しながら読むことになるのです。

言い換えれば、
あえて直接書かれなかった行間を自らの頭で読み解き、
他者を理解していくその過程そのものを味わう
のが、
文学ならではの楽しみ方なのだと思います。

しかし、
ライトノベルはそうした読み手との距離感を
極力ゼロに近づけるよう、
文章そのものが意図的に設計されています。

先ほどのカフカの例でいくならば、

「え……は?俺、虫になってね!?おいおいおいおい、ちょっと落ち着こうか俺。いやいや、こんな状況落ち着いてられるかよ!」

という感じで、
主人公のその時の感情や思考が
読者に直接伝わるようなライブ感のある
表現方法が主体となります。

そのため、
主人公が驚けば読者も驚き、
嬉しければ一緒に嬉しくなる。

考えるより先に、一緒に体験する。

心情を間接的に匂わせて読者に想像させるのではなく、
主人公の感情の揺れ動きや思考のプロセスを、
より直接的な言葉で描写して、
一緒に楽しむ設計です。

私はこの違いがとても面白いと思っています。

●「なぜ、ざまぁしないんだ!」と言われて気づいたこと


そして、このライトノベルの特徴を
実際に体験したできごとが一度だけありました。

私の作品を読んでいる読者さんから、

「なぜ、ざまぁしないんだ!」

という主旨のお怒りコメントが届いたのです。

そのときは正直、とても戸惑いましたし、
ものすごく腹も立ちました。

「批判される筋合いはない!」とさえ思ったくらいです。

私の作品では、
「力を持っていること」と「その力を使っていいこと」は
別の問題として描いていました。

だから主人公は、理不尽な目に遭っても
法や倫理を無視して力任せに相手を叩き潰すことはしません。

もちろん最後には救われますし、
仲間たちとの絆や友情もあり、
物語としても決して救いのない展開ではありません。

それでも、その読者さんは強い怒りをぶつけてきました。
当時は、まったくその理由がわかりませんでした。

でも、時間が経ってから思い至ったのです。

ひょっとすると、その読者さんは
主人公を「読んでいた」のではなく、
「主人公になっていた」のではないだろうか、と。

もし自分自身が理不尽な扱いを受けたら。
力はあるのに使わなかったら。

そう考えると、あの怒りも少し理解できる気がしました。
主人公は、その読者さんにとってアバターだった。
だから主人公が我慢することは、
自分が我慢させられている感覚になってしまった。

もしそうだとしたら、
「ざまぁしてほしい」という願いは、
悪役を倒したいという話ではなく、
「この不快な状況を今すぐ終わらせたい」という、
とても自然な感情だったのかもしれません。

web小説の読者さんでときどき見かける強い怒りの背景には、
作品への没入が深すぎたからこそ生まれる苦しさもあるのではないか。
そんなふうに考えるようになりました。

●Web小説と書籍では「求められる体験」が違う


そして、この話は「読者心理」の話だけでは終わりません。
書き手として考えると、もう一つ大きな問題が見えてきます。

Web小説は、
一話ごとに続きを読んでもらわなければいけません。

つまり、
読者さんと主人公の心地よい接続が、
毎話続いていることがとても大切になります。

一方で、書籍になる作品は少し違います。
一冊読み終えたときに、
「読んでよかった」と思える読後感
や、
「この物語は忘れられない」と感じる余韻が求められます。

その余韻は、気持ちよさを積み重ねるだけでは生まれません。

読者さんの体験を最大化するための、
不安や葛藤、焦りといった「負荷」が一定期間続き、
それが最後に解放される流れが必要になります。

特に最近は、
選評を読んでいてもこうした部分の
「深み」や「厚み」といったものが
強く求められているように思います。

ここが、とても難しいところです。

毎話気持ちよく読める作品と、
一冊読み終えたあとに深く心に残る作品。

この二つは、相反する性質を持っているからです。

毎話気持ちよく読めるということは、
不快を持ち越さないということでもあるからです。

けれど、
そういう設計では読まれるかもしれないけれど、
賞にはたどり着けない。

だから私は最近、
「どちらかを選ぶ」のではなく、
「どうやって繋ぐか」を考える方がいいのではないか、
そういう風に思うようになってきました。

●AI時代だからこそ、読者体験を考えたい


序盤はできるだけ読みやすく。
早めに小さなカタルシスを積み重ねながら、
読者さんに「この主人公と一緒なら大丈夫」と思ってもらう。
その信頼関係ができてから、少しずつ物語を深くしていく。

最初はエンタメとして楽しめて、
読み進めるほど作品の重みが増していく。

そんなグラデーションのような構造が作れたら理想だな、
と思うのです。

もちろん、これが正解とも限りません。

でも、AIが文章を書くことが当たり前になり、
物語の数そのものはこれからますます増えていく時代だからこそ、
「読者さんがどんな気持ちで主人公と向き合っているのか」を考えることは、
以前よりずっと大切になる気がしています。

私はこれからも小説を書きながら、
その答えを探し続けていきたいと思っています。



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