今日ときめいた言葉434ー「戦争記憶のあり方を問い直す」
(2025年8月13日付 朝日新聞 戦後80年「歴史をいかに物語る」
作家 奥泉 光氏の言葉の言葉から)
この記事で奥泉氏は日本国民が受容している戦争記憶を問い直す必要があると語る。
今、ロシア、中国、米国が自国中心主義に傾き、従来の国際秩序が崩れつつあるなか、「戦後体制の基盤となった戦争記憶のあり方を問い直さなければ、昭和の『戦前』とは違う、戦争をしないための新たな『戦前』体制を構築できない」のではないかと言っている。
「日本だけが『戦後◯年』の言い回しを続けられたのは、先の大戦に私たちが向き合ってこなかった端的な証左です。米国の意向で天皇が免罪され、西側の国々が賠償請求を放棄することで、日本は戦争責任を見つめる必要もなく国際社会に復帰し、経済成長に邁進できた」
また、「日本は戦後『戦争をしなかった』と言うが、米国の戦争に間接的に参加してきた」そのことも含めて、なぜ戦争記憶が問題なのか、奥泉氏の「戦争記憶」について概要をまとめた。
・戦争記憶の継承に問題がある?
「戦死者の大半が餓死や病死という非合理な作戦、誰もが戦争を始めた自覚がない『無責任の体系』、銃後の民の体制協力、鬼畜米英への敵意をあおった新聞、、、。そうした『失敗の本質』を表す数々の『体験』は、国民集団として反省的に共有され『経験化』されることはなかった」
・何が「経験化」を妨げてきたのか?
国民国家の統合には何らかの『物語』が必要である(明治国家が神話を用いたように) 戦後日本は、尊い犠牲を礎にゼロから再出発し平和と民主主義を手にした、という「建国神話」が核になった。そこでは、戦争の元凶は軍部であり、民衆や天皇はイノセントな存在になった。
この物語はGHQと政府の合作だが、定着に最も大きな役割を果たしたのは受難の語りを主調としたメディアと小説などの文化芸術作品だった。例えば、名作「ビルマの竪琴」は、戦争の主体である国家の姿と植民地支配の歴史は消去されている。戦友の弔いのために僧侶となり残った主人公はあくまで犠牲者である。
・国民はなぜこうした物語を積極的に受容したか?
「一つは、加害者を忘却し犠牲者としての自画像に安住するのが好都合だから。もう一つは、戦後の一国平和主義に適合的だったから」司馬遼太郎の「坂の上の雲」は輝かしい明治と明るい戦後、両者に挟まれた「狂った戦前」を嫌悪し戦争は嫌だと語るが植民地支配された人々は戦後日本人の物語からは消えてしまった。
・そうした歴史物語は、実証的な歴史学の知見で正されるのではないか?
史料の分析を通じて史実を提示する歴史学の役割は大きい。それでも「事実」を見出し、記述するのは単純な作業ではない。歴史家と対談して共に確認したのは歴史と文学の近似性だった。
物語というのは人間の基本的な認識の枠組みである。私たちは物事を因果関係などの物語構造で捉える。その多くは虚構である。それでも私たちは物語なしでは現実を語れない。ものを語るという行為そのものが避け難く物語を呼び込む。
歴史叙述も物語と無縁ではない。故に歴史は客観的だという神話を解体することが重要である。史実と物語のせめぎ合い。それでも実践的に実現していくしかない。その方法は「対話」だけだと思う。優れた歴史書は複数の視点や声を含有し、それぞれを相対化する多層性がある。
戦争を扱う文学にしても単一の物語に閉じ込めるのではなく、複眼的に見て歴史に押し流された小さな声を聞き再現することは小説家の大きな使命だ。文学の持つ力は人々を突き動かすほど大きい。戦時下、文学者が「満蒙は日本の生命線」「無敵皇軍」、特攻や玉砕を美化する物語に加担してきた。
80年という時間の経過は、直接の体験者による反証を不可能にしてしまい、都合の良い歴史のつまみ食いによる物語化が進む。人は信じたい歴史しか信じないという傾向が広がるなかにあって、「人々の記憶とその痕跡である記録を媒介に、それぞれの物語に対して批評性と対話性を持つことで歴史修正主義を退場させていくことはできるはずだ」
「国家は支配の正統性のため、あるいは国民を束ねるため、歴史を作る、、、。教科書検定もある意味そうだが国家による『正史』つまり『正しい物語』の独占や、歴史語りの規制は、極めて不健全で危うい」
「硬化した物語を解毒するには、繰り返し問いかけられるべき対話の『場』を粘り強く解放し続けなければならない。それは、誰しも間違いうることを前提とし、失敗から学ぶことができる民主主義というシステムを維持することと、同義のはずである」
8月14日ポツダム宣言受諾の日に寄せて
