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一年分くらい泣いた話|映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』

今回の記事の続編としてこちらの記事も書いています。


※映画の内容に触れています。

見始めて、割と最初の方から、最後まで。涙が止まらなかった。

映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』。
アマプラにあったので、なんとなく見てみた。

映画でこんなに泣いたのは、いつぶりだろう。
さよならの朝に約束の花をかざろう』や『永遠の0』を観たとき以来だろうか。

私は、戦争もの、特に特攻隊を扱った作品には弱い。
でも、戦争を題材にしていれば何でも泣くわけではない。

今回は、単純に「戦争ものだから泣いた」というより、作品そのものの完成度が高かったのだと思う。

主演は、『正直不動産』にも出ていた福原遥さん。
可愛いし、演技も良かった。
ほかの出演者もみんな良かった。

特に、当時の日本人らしさというか、今の時代にはなかなか見なくなった、清くて真っ直ぐな純粋さのようなものが、ちゃんと表現されていたと思う。

もちろん、実際の戦時下の人々がみんなそんなに純粋だったわけではないと思う。
けど、この映画の中では、そういう「生き方」がとても強く描かれていた。
それが、今の私には眩しかった。

ずっと泣いていた


特攻隊員たちの生き方


特攻隊員たちは、ほぼ確実に死ぬことになる。

現代の私たちから見ると、「自爆じゃん」と思ってしまう。
『永遠の0』でも出てきたセリフだけど、実際、劇中でも主人公がそう口にする。

でも、当時を生きていた人たちにとっては、今とはまったく違う現実があった。

もしも戦争に負けてしまったら、その先に何が待っているのか。
国はどうなるのか。
家族はどうなるのか。
女性や子どもたちはどう扱われるのか。
知らなかった。

今の私たちは、歴史を知っている。
戦争の結末も、その後の日本も知っている。

だからこそ、
「そんなことをしなくても良かったのに」と思える。

でも、当時の人たちは未来を知らない。

夢があっても。
愛する人がいても。
死ぬと分かっていても。
それでも、日本という国を守るために、自分の役割を最後まで果たそうとする。

その姿を見ていて、涙が止まらなかった。


鶴さんの生き方


百合を住み込みさせてくれた、鶴屋の鶴さんも、良かった。
とても優しく、柔らかくしなやかで、強い女性だと思う。

特攻隊で近いうちに死んでいく人たちのために、ご飯を作る。
愛し、敬い、守り、送り出す。

いつ命が尽きるかわからない相手を思って、そんなふうに食べ物を提供したことがなかったと気付かされた。
飲食業をやっているけど、毎日の仕事の中で、そんなことを考えたこともなかった。

すでに亡くなったお客様もいるし、来なくなったお客様もいる。
人はいつ、会えなくなるかわからない。
そのことを、改めて思わされた。

だから、今ここに来てくれている人に、どう向き合うのか、考えてもいいのかもしれないと思った。


それでも「逃げた人」はいた


特攻隊の全員が、最後まで使命を全うしたわけではなかった。
一人だけ、出撃直前に逃げた人がいる。

劇中では、直前に病気が分かったということになっていた。
でも、本当の理由は別にあった。

家族をすべて失い、一生歩けなくなってしまい、自ら命を絶とうとした愛する許嫁のためだった。

彼は逃げた。
けれど、「国を守る」ことから逃げるという選択は、「愛する人を守る」ためだった。

使命を果たすことだけが正しいわけでもない。
逃げることが、必ずしも卑怯なわけでもない。

人間は、そんなに単純じゃない。

死を覚悟して飛び立つ人にも、それぞれの思いがある。
飛び立たない人にも、それぞれの理由がある。
どちらが正しい、と簡単には言えない。

当時、それぞれにそれぞれの思いを抱えていた。
そのことが、苦しかった。


百合と父親


そして、百合自身にも、物語の中で大きな変化があった。

百合はずっと、お父さんの死を恨んでいた。
自分たちがこんなに惨めな生活をしているのも、お父さんが死んだから。

自分たちを残して死んだお父さんのせいだ。
そう思って、ずっと不貞腐れていた。
お母さんに八つ当たりをして家を飛び出してしまうほどに。

お父さんが死んだ理由は、川に流された子どもを助けるためだった。
自分の命を投げ出して、誰かを助けた。

その生き方が、特攻隊員たちの姿と重なったのだと思う。
もちろん、戦争と日常の中で誰かを助けることを、同じものとして語ることはできない。

それでも、
「自分のためだけではなく、誰かのために生きる」
という姿を目の前にして、百合の中で何かが変わったのだろう。

ずっと恨んでいた父親の死を、きっと初めて違う角度から見られるようになった。

そして、母親に謝る。
これからは二人で協力して生きていこう、とご飯を作る。

私は、ここでも泣いた。

人は、過去に起きた出来事そのものを変えることはできない。
でも、その出来事をどう意味づけるかは、あとから変わることがある。

「あの人のせいで、私はこんな人生になった」
と思っていたことが、
「あの人は、あの人なりに誰かを守ろうとしていたのかもしれない」
に変わる。

それだけで、過去の見え方はまったく違ってくる。

百合にとって、この映画の中で起きたことは、戦争の時代を知ることだけではなかったのだと思う。


戦後81年の日本で


「戦争は恐ろしい」「二度と戦争を繰り返してはいけない」

それは、もちろんそうだ。

今年で戦後81年。
日本では、少なくとも物理的な戦争が起きていない。
平和になった。

平和ボケしている、と言われることもある。
骨抜きにされた、と言われることもある。

いろいろな考え方があると思う。
でも見た目は、それでいいのだと思う。

戦争を知らない。
爆弾が落ちてこない。
明日の命を心配せずに眠れる。
好きな人と一緒にいられる。
夢を見ることができる。

それは、とても幸せなことだ。
だから、平和であること自体を否定する必要なんてない。

ただ。
平和になったからこそ、失ってしまったもの。
でも、一人一人が失ってはいけないものもあるんじゃないだろうか。

うまく言葉にできない。

考え方なのか。
生き方なのか。
人を想う気持ちなのか。
自分の人生をどう生きるのかという覚悟なのか。
あるいは、「魂」と呼ぶようなものなのか。

昔の人たちが持っていて、今の私たちが失いつつあるものが、本当にあるのかどうかも分からない。

でも、この映画を観て、そんなことを考えさせられた。


エンディング


ここまで散々泣いて。

本当に、映画を観始めてから最後までずっと泣いていた。
一年分くらい泣いたんじゃないかと思う。

曲も良かった。
映像も良かった。
役者さんたちも良かった。

作品として、本当に、かなり完成度の高い映画だったと思う。

……エンディングだけを除いて。

最後に流れてきた歌を聴いて、
「なんか、しっくりこない、ねちっこい歌だな」と思っていたら。
福山雅治だった。もう、台無しだった。

ああ。なるほど。
私、この人が苦手なんだった。
キムタクと同じで、個性が強すぎる人が、どうも苦手なのだ。

作品によって演じ分けたり、歌い分けたりするより、「いつもの本人」が強く前面に出てくる感じがするから。

もちろん、これは完全に私個人の好みの問題。
でも、あれだけ作品に入り込んで泣いていたところに、急に「福山雅治です!」という歌が流れてきてしまって。

もっと嫌いになった。

……という、最後だけどうでもいい個人的感想で締めておく。

ちなみにこの作品に合うのは、もっと透明感のあるまっすぐな歌だと思う。

一年分くらい泣いた話|映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』

今回の記事の続編はこちら。


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凪瀬 紬 | 観測記録作家 迷ったりこじらせたりしながら、それでも生存してきた記録です。 「もう少し読んでみたいな」と思ったら、気が向いたときにチップで応援してもらえたら嬉しいです。