
子どもの育て方を考える、熊本な1日
日本滞在35日目のメモ。
熊本の県立美術館に行った。前川國男の建築空間を味わいたいと、16才の息子と出かけたのだが、木々の向こうにある美術館の佇まいが視野にはいった瞬間、思わず2人で「いいねぇ」。
何がいい?と美術館に入って息子に聞くと、「建築がコンテクストにすっぽり嵌っているし、光の使い方がすごくいいよね」とのコメント。こういうことを一緒に語りあいながら旅をできるようになって、ほんとうに嬉しい。
昼食は熊本の建築家・赤星文比古さんと久々に会い、3人で馬刺し定食を食べる。20数年前からの付き合いだ。彼はイタリア政府給費留学生でヴェネツィア大学で建築を学ぶ前、熊本アートポリスなどの仕事をしていた。日本に戻ってから、熊本市の下通アーケードの設計をやったことは聞いていたが、震災後の地元のさまざまな問題にどう直面しているのかを、今日はじめて知った。
今晩、羽田で飛行機を降りてから思ったことがある。
息子が小さい時、フランスやオーストリアで夏を過ごし、イタリアほどに子どもに甘くない国でわざわざバカンスを過ごす必要なんてないと思い、それから毎夏、ウンブリアの田舎のアグリツーリズモで遊ぶことにした。しかし「大きくなった時、いつか記憶として貢献するかもしれない」と願い、パリの美術展覧会に連れて行ったし、東北の震災の年、まだ津波の傷跡深い宮城県の海岸沿いに連れて行ったこともある。
ただ、その後、ぼくは、あまり子どもに「いつか役に立つかもしれない経験」を強いるのをやめた。学校で美術館に頻繁に連れていくし、たまにミラノ市内で日曜日にちょこっとデザインやアートに触れさせるだけで十分だろう、と。面白がる時に付き合ってあげればいい。
「ねぇ、熊本どうだった?」と聞くと「日本の地方都市がそれぞれに違うのを見るのは面白い」と話す。「小さい時、いろいろなところに連れていったけど、そういうのどう思う?」と尋ねると、「子どもの時、親は100%楽しいことを提供してくれればいい。美術館や博物館の見方はローカルで学べば十分」と答える。
昨年からぼくの講演会や大人の付き合いに同行させるようになったが、それは本人がそうしたことに興味を示すようになったからだ。
親が前のめりになってはいけない。