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あらっ、日本滞在最終日だよ。

    日本滞在47日目メモ。しばらく日があいてしまった。

    先週、名古屋で輸入紳士服の店をやっている林啓成さんと話していて、「青木とか、単なる安物の店という評価しかしない人が多いですが、品物は悪くないし、決して安くないです。青木が安さでプロモーションをしたので、皆、そう思っているだけです」とのセリフを聞いて、ああ、やられたと思った。

    そう、見る人が見ると、そういうことが言える。サイゼリヤを高校生の行く店と馬鹿にする人が多いが、コスパは最高だ。都内のいい加減なイタリア料理屋より、料理の味やワインもコスパの点でマシだったり。

    そういえばイケアの家具も、イタリアの高級家具と同じ工場で生産しているものがあり、「イケアを下にみる人が多いが、品質はそこまで悪くない」とその道の専門家に言われたことがある。

    そうなんだ。素人はいつも高いモノも安いモノも、自分の目ではなく、ブランド側にいいように振り回されている。だから、そこそこ目のある人は、またはそのブランド構造に気づいた人は、低価格のモノに正当性を見出し、かつ中レベルの適当なモノに注目するわけだ。

    先月、三宅秀道さんに紹介いただいた合田真さんの『20億人の未来銀行 ニッポンの起業家、電気のないアフリカの村で「電子マネー経済圏」を作る』を読んだが、この本にある「現実」と「ものがたり」の関係の説明はとても分かりやすい。安物が世の中を制覇していると嘆く前に、ぼくたちが目を向けるべき点はもっと他にたくさんあるのかもね。

    今日で1か月半の日本滞在も終わり。

    この2週間少々、高校生の息子と多くの時間を過ごし「社会経験」を共にした。この1年間、週1でImpact HUB Milanoに修行させてきたが、それが思いのほか、「活きている」のが分かった。もちろん凸凹でちぐはぐなところがあるのは仕方がない。

    ただ、さまざまなシーンで彼の言葉に耳を向けると、とても適切だ。社会的な意味・価値をつくる側に立たないと、自分の強みが発揮できないことも承知している。客観的にみると(あるいは平均的にみて)イタリアの学校教育に辛い点がつくのは百も承知のうえで、「日本の教育よりはマシな結果を得られるはず」と10数年間確信してきたことが、あながち間違っていなかったと実感している。

    (自分自身を省みても、子どもの教育には終わりがないことは自覚していることを踏まえ・・・)

    言うまでもないが、あくまでもぼくたちの子の場合だ。やはり親はその国の文化・生活経験を積んでいないと、そういう確信をもちにくいし、さまざまな選択肢を子どもに提示できないとの判断ミスをするので、そうした条件も加味する必要がある。

    今晩、息子と野毛、みなとみらい、中華街、元町を歩き、「ロマンティックだけど、フォトジェニックじゃないね」との彼の感想。横浜の中途半端さは、ぼくがずっと感じてきたところなので、「あらまあ、言われちゃったね」と返す。

     
     
    モバイルクルーズ株式会社/De-Tales ltd. ミラノ/東京。著書『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(共著)『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?』、その他。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。訳にエツィオ・マンズィーニ『日々の政治』

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