白猫と黒猫の瞳に、あなたの香りを乗せて。
【あらすじ】
この地が生まれて、早くも二千年の時が過ぎた……。
裕福な民と貧しい民の衝突は百年続き、一人の女性を生け贄に捧げることで争いは終結を向かえた。戦いの傷跡は大きく、今もなお残っている。かつて一つだった国は、二つに分かれた。
色彩を失った豊かな国「白と黒」
色彩を獲得した貧しい国「四季」
この二つの国を隔てる境界線「鏡の水底(みなそこ)」を舞台に、物語は色彩を帯びていく……。五感を取り戻す旅が幕を開ける。才能なき白の王女と、色彩に愛された平凡な青年が出会うとき、新たな力が世界を包み込む。
双子の姉妹と、不思議な二匹の猫、そして水の魔術に込められた想い。すべての物語を織り込んで。すべての色が重なるとき、ファンタジーは恋愛へと昇華する。軌跡の扉が、今開かれる……。
【本編の前編~白猫と黒猫と~】
色を忘れた世界の水底で、今日もあなたを待つ。
白い壁で囲まれた部屋には、今日も黒い風が流れ込む。
白いテーブルに文字を刻む。黒い心を乗せて、ゆっくりと。
白い葉に、黒い雫が滴り落ちる。
今日の私は何色か。
今日のあなたは何色か。
「桜(さくら)、今日は何の日か覚えている。」
艶やかな長い髪がそよ風に揺れ、大きな黒い瞳が私をじっと見つめる。もう一人の自分に問いかけるようにして、私は姉に笑顔で応える。
「勿論です。今日は成人の日でしょう。自分の将来が決まる大切な日です。」
「正解。さすが桜ね……。そして、父様と母様を失った日でもあるわ。」
「そうでしたね。将来よりも、大切なことでした。ありがとうございます……。」
私は長い髪をクルクルと回して団子を作る。母の匂いを噛み締めるようにして、ゆっくりと簪を髪にさす。私と姉の会話を遮るようにして、白髪の執事が話し掛ける。
「葵(あおい)様、桜(さくら)様。お二人とも大変、お美しいです。まさしく、チェス盤の女王でありますな。先王様がこの地に戻られたかと錯覚してしまうほどです。準備は整っております。水面(みなも)の神殿に参りましょう。」
二人とも同じ笑顔で一緒に返事をする。そして、私は後ろを振り向き独り言を呟く。
「お父様、お母様、行って来ます。帰って来たら、お二人が好きだったユリの花を花壇にお持ちしますね。」
天窓から差し込む柔らかな光が、心の雫をそっと包み込んだ。
トゥルルルルン。トゥルルルルン。
ぴーちっぴー。ぴーちっぴー。
水面に住む鳥たちと、音楽隊の演奏が合わさってオーケストラの音色を奏でる。亡くなった者たちへの感謝を込めて、成人を迎える若者たちへの賛辞となって……式典が幕を開ける。私は鼻から大きく息を吸い込み、ゆっくりと口から息を吐く。目を閉じて十年前のことを思い出す。
父と母が亡くなって、ちょうど一年後に水面で出会った少年のことを。私と同じくらいの歳の少年が、音を教えてくれた。白と黒しかなかった、この世界に……。そして、その日から父と母のために涙を流せるようになった……。私は両手を強く握り祈りを込める。
「桜、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。きっと、上手く行くから。もしダメだったら、二人で一緒に父様と母様に謝ろう……。でも、きっと。二人とも笑いながら『失敗して良かったね。これで安心して、普通の生活を送れるね。』って言ってくれると思うけど。」
「ありがとうございます。姉さんはいつも私に元気をくれますね。そうですね。もし才能がなかったら、インペリア様に次の王となってもらいましょうか……。さぁ、次は姉さんの番です。葵に。お父様とお母様のご加護がありますように。」
トゥルルルルン。トゥルルルルン。
ぴーちっぴー。ぴーちっぴー。
私は桜(妹)にガッツポーズをして、祭壇の前に立つ。今年は二十名の若者が成人を迎える。今のところ十八名全員、才能を開花させている。私は彼等、彼女等を超える才能を手にしたい。水面に両手をかざして力を込める。私の大きな叫びに合わせて、会場からも大きな声援が後押しする……。
黒い閃光がほとばしり、祭壇の水を一瞬で蒸発させる。司祭インペリアは立ち尽くし、祭壇の水の痕跡を恐る恐る確認する。探偵が犯人の証拠を確認するように、ゆっくりと。そして、司祭インペリアは口を開く。
「これは驚きました……。二つの力が開花いたしました。あなたの母君と同じ力です。黒い閃光と、香りを操る力です。おめでとうございます。きっと、母君もお喜びとなることでしょう。」
「ありがとうございます。叔父様。とても嬉しいです。」
「葵様。嬉しい気持ちは分かりますが、ここは公の場です。ご注意ください。」
「あ……。ごめんなさい。インペリア様。お導きいただき、ありがとうございます……。また後でね。」
白と黒を合わせたローブを身に纏った司祭は呆れた表情を浮かべ、私を見送った。
トゥルルルルン。トゥルルルルン。
ぴーちっぴー。ぴーちっぴー。
私の手は震えていた。成人の日を最後に飾る重圧と、葵(姉)の天賦の才を前に震えが止まらない。インペリア様の声も会場からの声援も耳に入らず、祭壇の前で立ち尽くしていた。そして、両手を祭壇の前に差し出す。
震えた両手に呼応するようにして水面も震え出す。水はゆっくりと姿を変えていく……。白い四角と黒い直線となって……。
「桜様。もう大丈夫ですよ。お疲れ様でした。手を下ろして、肩の力を抜いてください。」
「インペリア様。お導きいただき、ありがとうございました。私の才は如何でしょうか。」
「紙とペンです。誠に残念ですが、この才では王位は継げません。公文書の官職、もしくは職人としての道を選ぶことになりましょう。」
「そうですか……。私には才が何もないと思っておりました。いただけたことに感謝いたします。」
「桜……。いえ、桜様。何があろうとも、私はあなたの味方です。遠慮なく、いつでも頼ってください。」
見上げた空は雲一つなく、真っ白な空だった。
葵(姉)の国王即位を見届け、私は神殿を後にした。そして、水面に咲くユリを両手いっぱいに摘み、黒い土がついた手をずっと見つめていた……。
朝露をたっぷりと含んだ仮の葉に。
白緑(びゃくろく)と名前をつけて。
苔と光が合わさる瞬間に色彩を見る。
見上げた空と笹を混ぜて、白緑が季節を運ぶ。
願いを込めた緑の先と、白い銀河の輝きに想いを寄せて。
届かないと知りつつも。今日も私は色彩を送る。
この地に散った人々の想いを乗せて。
「さすが、泰心(たいしん)。色の調合上手いね。僕も君みたいな格好良いスキルほしかったな。」
ルネサンス期の絵画のような端正な顔が、爽やかな笑顔で私に話し掛ける。黒い眼鏡を軽く持ち上げて、私は呆れた口調で親友に応える。
「何を言っているんだ。色を調合するだけで、絵描きのスキルはないんだぞ。凄く地味で、一人では何も出来ないスキルさ。錬丹(れんたん)の音楽スキルの方がよっぽど素晴らしいよ。一人で独立して仕事できるし、何より人々を幸せにする重要なスキルだろう。」
「さすが、我が親友。ちょっぴり自信いただきました。感謝、感謝。でも、建物のペンキ塗りも大事な仕事だよ。もし、白と黒しかない世界だったら息詰まるだろう。この国が色彩豊かなのは、君のようなペンキ職人が沢山いるからさ。僕が幸せを運ぶ職業なら、君は幸せの空間を作る職業といったところかな。」
アクア・マリンの瞳が輝きを増していく。空と降り注ぐ強い日差しを吸収して、海の色が一面を覆い尽くす。この国の女性たちを魅了する瞳と声に、私も吸い寄せられそうになる。そして、彼はさらに言葉を重ねる。
「実は明日、水面の神殿の式典で演奏することになったよ。僕を含めて百人が参加を許された。かの有名なインペリア司祭からお声が掛かったのさ。『白と黒の国』に行くのは初めてだから興奮するよ。もし興味あれば、泰心も一緒に来るかい。君のスキルを応用すれば、こっそり侵入することも容易だろう。」
「白と黒しかない世界なんかに興味はないね。司祭にも興味ないし。昨年の成人の日でお世話になったとき、確かに凄そうな人だとは思ったけど。それだけさ。あと、俺のスキルはそんな変なことに絶対使いたくない。」
「あぁ嫌だ嫌だ。『四季の国』の人々って本当にドライだよね。なぜ、そんなにも他人に興味ないかな。泰心、あの国には絶世の美女がいるのだよ。」
「またその話か、何度も聞いたよ。錬丹も変わらないな。小学生の頃に会った少女のことだろう。水面の神殿に不法侵入して……子どもじゃなかったら俺たちは死刑だったんだぞ。」
「あの時はごめんね。若気の至りってヤツさ。今度は大丈夫、正式なオファーだから……。それでは、お土産話を楽しみに待っていてくれたまえ。」
錬丹はクリームソーダのような爽やか笑顔で私に別れを告げ、白と黒の国に向けて出発した。私は彼との話を終え、やれやれと独り言と言いながらペンキ塗りの作業に戻る。
先ほどまで輝いていた鮮やかな緑のグラデーションは……よもぎ饅頭柄に変貌を遂げていた。誰もいない壁に向かって、私は独り言をブツブツ話す。
「誰だ。せっかく白緑(びゃくろく)を調合したのに、色彩が台無しだ。また最初から塗り直しか。今日は残業決定だな……。」
にゃー。にゃー。
甘い声を上げながら犯人は、汚い肉球で壁をペタペタと触っている。私と目の合った黒猫は、路地裏に逃げて行った。
にゃー。にゃー。
私を呼ぶ声にイライラし、私は仕事を投げ出して黒猫の追跡を開始する。中世イタリアを彷彿とさせる石造りの街並みを、右、左、右、左……とリズミカルに走り抜ける。風になった気分で颯爽と。石の壁に肩がぶつかりながらも黒猫から目を離さない。三階建てのアパートと宿を繋ぐ円形のアーチを抜ける。私はさらに加速し、商店街に差し掛かる。
「おぉ、泰心。仕事終わったのなら、これから一緒に飲もうぜ。」
「泰心殿。今日こそはチェスで勝たせていただきますぞ。」
「あらあら、泰心さん。相変わらずお元気だね。今日もおかず持って行くかい。」
「注文していた野菜届いたよ。あれ、泰心さん、買わないの……。」
「泰心、今日、プラモデルの塗装手伝ってくれるんじゃないの……。」
「皆さん、ごめんなさーい。今日はなんか厳しそうですー。」
私は馴染みの顔たちに大声で謝罪会見をしながら路地裏を走り抜けて行く。左、左、右、右、上、下……。リズムが変わっても気にしない。黒猫だけを見つめ、全力で駆け抜ける。
海が黄昏の空に反射し、ヴェルサイユ・ブルーの色彩に輝く。海岸線を見つめながら体力の限界を感じる。追いつかない。少しずつ距離が開いていく……。
「仕方がない。誰もいないし、あれを使うか。」
私は独り言に合わせてポケットの中から小瓶を取り出す。小瓶の蓋を開封し、両手に水をかける。親指、人差し指、中指、薬指、小指の順番に指先が色彩を帯びていく。ブロン、シャンパーニュ、オール、ゴールド、オーロ・ヴェネツィアーノ、黄金のグラデーションが指先に広がる。そして、黄金の色彩を両足に塗る……。足に落雷の力が宿る。
アプリコットとビスクで彩られたクッキー柄の石畳を見つめ、そして前を向き黒猫を視界に捉える。右足に力を入れ、石畳を強く蹴る。オレンジ色とベージュ色の砂粒がサラサラと音を立てて広がっていく。私は黒猫との距離を一瞬で詰める。
犯人を捕まえた……そう思いながら黒猫を両手で掴もうとする……刹那、微かに声が聞こえる。
「なかなか筋がいい。褒美に面白いものを見せてやろう。」
大爆発と共に、私は意識を失った……。
薄墨の霧を掻き分けて、ゆっくりと進んでいく。身の丈の三倍を超す黒い針葉樹が周囲を取り囲み、私以外の訪問者の侵入を拒んでいるようにも見える。水面の神殿の式典(成人の日)での演奏を終えた私は、インペリア司祭に挨拶した後、帰国までの僅かな時間を思い出の地で過ごしていた。勿論、「鏡の水底(みなそこ)」に立ち入る許可は貰っている。
霧を超えた先に、純白の大きな湖が広がる。この湖、通称「鏡の水底」は、白と黒の国、四季の国を結ぶ境界線でもある。
私はこの地で彼女に出会った。艶のある白い髪と大きな白い瞳、あの時の絶世の美女が目の前にいる。ユリの花を手にした彼女の輝きはあの頃と変わらない。私は一目で確信し、爽やかな笑顔と声で話し掛ける。
「ユリの花がお似合いですね。」
「どちら様でしょうか。ここへの立ち入りは、原則として禁止されていますが。」
「失礼いたしました。私の名前は錬丹(れんたん)と申します。インペリア司祭から許可を得ております。この通り、証明書もございます。」
「確かに、インペリア様が発行した証明書ですね……。失礼しました。私の名前は桜(さくら)と言います。この国の王室の者です。」
穏やか白い瞳は私を見つめた後、少し落ち着かない表情を見せた。彼女の緊張をほぐすために、私はポケットから小瓶を取り出して蓋を開封する。中に入っている水の半分を飲み、残りの半分で両手を洗う。私は頭の中でクラリネットを想像し、目を閉じて楽器を吹くポーズをとる。
光が私を包み、音を生み出す。忘れた時を思い出すようにして、モーツァルトのクラリネット協奏曲が湖に響き渡る……。彼女の頬を伝う雫が、あの日の記憶を呼び覚ます……。
「素敵な音楽ですね……ごめんなさい。なぜか涙が出てしまいました。あなたとは初めて会った気がしません。その……どこかでお会いしたことありますか。」
美しい白い素肌が薄墨の色に変化していく。彼女は突然、私の手を握る……柔らかくて温かい。私が口を開こうとした瞬間、背後から声が聞こえた。彼女は急いで手を離す……。
「桜様。ここにいましたか、探しましたよ。」
「インペリア様。申し訳ありません。父と母の花壇にユリを飾りたくて……。」
「なるほど。それは大切な用事ですね。錬丹さんとはお知り合いですか。」
「どうでしょうか……。少し懐かしさを感じますが……。」
彼女は白い湖の水を両手いっぱいに掬い上げる。そして、優しく息を吹きかける。おぼろげな光と共に、水が白い紙へと変化した。彼女は白い紙を私に差し出した。私は何も考えずに素直に受け取る。
「錬丹様。今日はお会いできて、大変嬉しかったです。もっとあなたのことを知りたいです。その紙をあなたに差し上げます。その紙に文字を書くと私に直接伝わります。私の書いた文章は、その紙に印字されますので気になったら覗いてみてください……。またお会いできる日を楽しみにしています。」
彼女の笑顔は、あの頃の少女のままだった。白い紙を大切に懐に入れ、私は白と黒の国を後にした。
白い紙から歯車を回す音が微かに聞こえる……。
ボロ、ロンロンロン。ボロ、ロンロンロン。
カチャチャチャー。カチャチャチャー。
ボロロンロン。ボロロンロン。
花や植物、貝殻の模様が一面に広がる。純白の宮殿を彩る模様が生を帯び、訪問者を歓迎しているようにも見える。私はマスカットの甘い香りを肌で感じながら、ゆっくりと紅茶を一口飲む。後から来る強烈な苦味もじっくりと味わう。やがて苦味は消え、オレンジの甘い香りが現れる。二つの甘い香りが交互に重なり、新たな香りが広がっていく。人生を模した紅茶は飲む度に輝きを増す。私は桜(妹)を見つめる。
「桜(さくら)、久し振りね。元気そうで良かったわ。このダージリンティーの味わいはどう。」
「姉さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。ちょっと苦手かもしれません。苦味しか感じません。」
私はテーブルの上にあるグラスを取り、その中の水を親指と人差し指につける。スプーンをつまみ、桜のティーカップを少しかき混ぜる。そして、改めて桜にティーカップを差し出す。
「姉さん、凄いです。今度は甘い香りを感じました。砂糖を入れてないのに……不思議です。甘い香りと苦味が調和して素敵な紅茶になりました。好きな紅茶です。」
「それは良かった。ところで……。昨日、水面の神殿で『四季の国』の男と会ったと聞いたけど、本当なの。」
「はい。名前は錬丹と言います。素敵な音楽を奏でる男性でした。優しくて、どこか懐かしい感じがしました。」
「もしかして……ずっと探していた少年だとか。小学生の頃に会った四季の国の……。桜、ちょっと乙女すぎないかな。」
「大丈夫です。そんなことは考えていません。あの時の彼に感謝はしていますが、私はもう大人ですから。もう少し現実を見ていますよ。進路は姉さんの秘書を選びましたし……。ただ、錬丹さんのことは気になるので、まず文通をしようかと思います。」
成人の日を終えてから、桜の瞳の輝きは日増しに強くなっている。王女の頃とは比較できないほどに表情も豊かになった。私は才能のない妹を初めて妬ましく思った。四季の国の文化に触れれば、私もさらに強くなれるだろうか。そんな妄想をしながら腕を組み、目をつぶる。
ダージリンティーの香りが鼻から口へと伝う。何かが足りない。私は覚悟を決め、目を開く。
「一週間、ここを留守にするわ。四季の国に行ってくる。桜、公務の代理をお願いね。」
「姉さん、それは良くないと思います。一歩間違えれば戦争になります。まず、私の才で四季の国と文通してはいかがでしょうか。」
「大丈夫。何とかなるわ。実際に見ないと分からないこともあるから……。あと、叔父様には言っておいて。頼んだわよ。」
私は掌に水をつける。床にそっと触れて力を込める。行ってきますの声と共に黒い閃光が、白い壁を一瞬で黒く染め上げる。黒い閃光が消えるタイミング合わせて、私は四季の国へと向かった。
錬丹様
お身体の調子は如何でしょうか。
二つの国を行き来する際、身体的負荷が大きく掛かると聞きました。
お元気であることを祈っております。
先日は楽しい音楽を聞かせていただき、ありがとうございました。
成人の日で失敗をしてしまい、私は落ち込んでいました。
あなたの音楽を聞いて目が覚め、迷いが突然消えました。
自分の才を愛することができそうです。
音楽が好きになったので、クラリネットを購入しました。
楽器はこれまでに触った事はありません。
オススメの練習法などがあれば、教えていただけませんか。
白と黒の国
王の秘書 桜 より
「私はどうしたらいいのだ。」
病院内に大きな声が響き渡る……。小麦肌の、恰幅の良い男性看護師が病室の扉を勢いよく開けて、私に怒鳴る。包帯グルグル巻きでミイラ状態の私は、ベッドから体を起こす。空気察して、ひとまず、ご馳走さまのポーズで謝罪する。
彼は大きな声を出した張本人に目もくれず、私に十分ほどの説教をした。追い打ちを掛けるように、なぜか親友は私を睨みつけている。私は人生の不条理を噛み締めながら、小さな声でやれやれと呟いた。
「錬丹、さっきも言ったけど。良い機会だから、文章を書く練習すればいいだろう。王女様は、変な文章書いても気にしないと思うよ。楽器は仲良くなるための口実だから、そんなに身構えなくても大丈夫……。というわけで、早く帰ってくれ。一週間は絶対安静の身分なので。もうこれ以上のトラブルは御免こうむりたい。」
「泰心(たいしん)、そんな冷たいこと言わないで……。私たち、親友ですよね。何でもしますから、泰心様お願いしますー。」
「では、今すぐに。付き合っている女性と別れて、王女様と下手くそな文章で文通しなさい。自分のスキルを悪用するからこんなことになるんだよ。もっと誠実に生きられないものかね。」
親友に説教をしながら私自身もスキルを悪用したことを後悔していた。高々、黒猫一匹になぜあんなにも腹を立てたのか分からなかった。そして、爆発的の瞬間に聞こえた不思議な声と、自分に降りかかった禁止の魔術が頭から離れない。そんな私の気持ちをサラッと払うようにして、錬丹は私を見つめる。
「分かりました。別れます。あと、今日から誠実に生きますので、泰心様お願いしますー……。」
「本当だな。一人残らず。付き合っている女性全員だぞ。王女様に一途でいられるのか。」
「勿論でありますー。私はあなた様の従順なる僕です。どうか、よろしくお願い申し上げますー。」
錬丹は私に敬礼のポーズを取り、大きな声で誓いを立てる。私はため息を漏らし、泣く泣く了承した。端正な顔立ち、甘い声、素直な性格、そして、人たらしの才能と音楽スキル。神はこの男をどこに導きたいのだろうか……。
クリームソーダのような爽やかな笑顔に勝てる者なし。錬丹は上機嫌で私の病室を後にした。そして、私は顔も分からない王女との文通を開始する。怪我が完治するまでの期間限定だが……。
桜 様
早速、お手紙を書いてくださり、ありがとうございます。
身体を心配していただけたことに感激しています。
私もあの時のことを思い出していました。
アラバスター調のフワフワの絨毯に座るあなたを見て、言葉を失いました。
白ユリの花のような純粋な瞳は、今も私を離しません。
言葉を連ねるのは苦手で、得意の音楽で気持ちを表してみました。
気に入っていただけたようで大変嬉しいです。
クラリネットの扱いは難しいです。
まずはカスタネットでリズムを練習しては如何でしょうか。
次にお会いする時に、直接クラリネットを教えて差し上げます。
桜様もお身体ご自愛ください。
四季の国
宮廷音楽家 錬丹 より
「桜様。本日はいつになく上機嫌ですね。何か良い事がありましたか。」
葵(姉)が白い宮殿を離れて、早くも一週間の時が流れた。この白い宮殿は、四季の国では「ロココ調」と言われており、人と自然の調和(共生)を象徴する建築様式である。遠くから見るとただの白い壁、近くで見ると貝殻や植物が顔を覗かせる。矛盾を取り込む不思議な建築物。
錬丹様との文通もちょうど一週間を迎えた。手紙を毎日書いている。色彩豊かな文章表現に心が踊り、また手紙を書いてしまう。最近は、文章よりもこの目で直接色彩を感じたいと思うようになった。私は戸惑いながら、インペリアを見つめる。
「インペリア様。ごめんなさい。変な顔していたかしら。最近、白が白に見えなくて……。この王室の壁は、四季の国ではアラバスター調という色らしいです。知っていましたか。」
「はい。存じております。先王から伺いました。桜様の母君は、四季の国の出身ということもあり、大変お詳しかったのです。二つの国を隔てる鏡の水底(湖)の水に特殊な力を与えたのも先王でした。白と黒の国では才能と、四季の国ではスキルと呼ばれております。私のような鏡の水底を守護する存在、いわゆる『魔術師』たちは魔術と呼んでいます。」
「なるほど。魔術師となれば、二つの国を自由に移動できるようになるのですか。」
「はい。魔術師の使命は戦争を回避することにありますから、こまめに訪れて情報収集を行っています。とはいえ、魔術師は百名にも満たないので、日々の業務に骨が折れます。まさか、桜様。魔術師になりたいのですか……。」
「そうね。ちょっと興味あるかもです。ただ、私の才能では厳しいと分かっています。確か、魔術師になるためには最低でも二つの才能を持たないとダメだとか。インペリア様は、その中でも五指に入ると言われていますが本当ですか。」
「はい。その通りです。魔術師にためにはいくつかの条件を満たした上で、二名以上の魔術師からの推薦が必要となります。私自身、五指に入るほどの力量があるとは思いませんが、火、水、土、風、雷の基本元素を操ることを得意としております。制約の多い職業ですから、あまりお勧めはいたしません。」
私はインペリアをじっと見つめる。パール・ホワイトの瞳は、窓から差し込む一条の光を吸収して輝きを増していく……。インペリアの頬から白い雫が滴り落ちる。私に背を向け、インペリアは少し考える。頭をかきながら呆れた声で言葉を重ねた。
「はい。分かりました。どうしても、四季の国に渡りたいと……。双子揃って好奇心の強さは母親譲りですね。葵様の外出を許可しましたので、公平に桜様の願いも叶えましょう。」
「さすが、インペリア様。お母様が一番信頼していた魔術師様ですわ。いえ、天才魔道士様。」
「分かりましたから落ち着いてください……。ただし、条件をつけます。葵様は現在、王の立場にあります。王との約束を破れば重たい処分が下ります。つまり、秘書の仕事を投げ出して、四季の国に遊びに行っていることを王に悟られるわけにはいきません。そこで、二つの誓約をあなた様に与えます。一つは『滞在期間は一日のみ』、もう一つは『猫』に化けることです。ちなみに、滞在時間を超過した場合は一生猫の姿のままです。いかがでしょうか。」
私は二つ返事で了承する。インペリアの瞳はブラック・ダイヤモンドの輝きを放ち、黒い霧が部屋全体を覆い尽くす。ポケットから小瓶を取り出し、水を私に振りかける……。私の体は少しずつ小さくなり、フワフワ、もこもこに変化していく。言葉が話せない……。
「あなた様は本当に運がいいです。昔、我が師匠から貰った『変身の水』が、あと一本だけ残っておりました。これまでの感謝を込めて差し上げましょう……。可愛い白猫よ、楽しんで来てください。」
にゃー。と、私は返事をして黒い霧の導きのまま、鏡の水底を渡り四季の国へと入る。言葉が話せなくても、あなたをきっと探し出す……。
アラバスター調の毛並みに、細やかな祝福を。
【本編の後編~四季彩は誰に微笑む~】
横長の一枚のキャンバスに、上から順に色を乗せていく。
上段にはパステルの白、黄、オレンジを縞模様に並べて。
中段にはパステルの水色を。少し白を多めに溶かして。
上段との境目は、濃い紫ではっきりと。
下段にはパステルの緑と茶を、やっぱり縞模様に並べて。
虹ではない……。今度は少しずつ黒を混ぜていく。
焦らないで、筆先をポンポンさせて色を重ねていくだけ。
白は溶かして、黒は添えるだけ……。
そろそろ、終わりが見えてきた。頑張って……。
レンガ色のカップに、バニラのアイスクリームを山盛りに入れて。
二つのカップを両手に持って。
恋するあなたに右手を差し、私の分は左手に。
夕日の柔らかな光が、二つのカップに生を与える。
私は病室に飾られた一枚の絵を見ている。クロード・モネの絵画「ジヴェルニーの積みわら 夕日」は、その後に登場する積みわらシリーズ(連作)の先駆けとなった作品で、二十五枚の歴史的絵画の原点でもある。私の人生を決めた作品の一つだ。
そして、人生を決めたもう一つは、この作品の裏にある。この絵画の構図(絵の輪郭、配置)をそのままして、色彩だけを変更した絵画「ジヴェルニーの積みわら 白霜」である。夏の終わりの夕方と、冬の始めの朝方、相反する二つの絵はチェス盤を彩る白と黒の女王のように鮮やかだ。時間を操る究極の魔術のような……二枚で一対の軌跡を生む作品。
「そういえば、昔……。黄金の瞳をした少女に、同じ話をして笑われたんだ。何を言ってるか、全分からないって……。もし、いつか会えたら預かっているもの返さなくては。」
誰もいない病室で、私は独り言をもらす。包帯をゆっくりと外しながらあの時の場面を思い出す。右手を見つめ、グッと力強く握る……。細やかな幸せを奪う音が、窓の方から聞こえてくる。
にゃー。ゴロゴロ。
ゴロゴロ。にゃー。
「またアイツか。今度こそ、容赦しないからな。」
私は急いで身支度を整える。白い紙と、桜(王女)との文通の記録を懐にしまい、窓から勢いよく外に出る。小麦肌の看護師に別れを告げて、病院を後にした。
朝日が昇り、この間の事件現場をゆっくりと照らしていく。海岸は宝石のように輝き、ブル・カープリの色彩に変化する。爆心地は、アプリコットとビスクで彩られたクッキー柄の石畳で舗装されている……。
おかしい……。この国に修復の魔術を使える人はいない。たった一週間で元通りになるはずはない……。私は混乱していた。夢を見ているのか、それとも近くに魔術師がいるのか。分からない……。
にゃー。ゴロゴロ。
ゴロゴロ。にゃー。
オーロ・ヴェネツィアーノの瞳が私を見つめる。黄金色の中でも最も好きな色が、現在最も嫌いな黒い毛並みを守護している。私はため息をつき、二回戦目の負けを認める。黒猫に背を向けて、家に帰ることを選択する。
にゃー。ゴロゴロ。
ゴロゴロ。にゃー。
「もうこれで三回目だぞ、いい加減に……。」
私が振り向くと、黒猫の毛並みは鮮やかなカスティリアン・レッドに変化していく。赤猫と呼べばいいのだろうか。そんな悩みを置き去るように、毛並みは次々と変化していく。虹色の配色を持つ猫……。いや、そんなはずはない。私は大声を上げる。
「お前。もしや、魔術師だなー。」
猫が笑っている気がした。にゃーの甘い鳴き声と共に、毛並み白へと変化する。最後の追跡劇が幕を開けた……。
手紙に書かれていたアクア・マリンの海は、想像した景色と少し違っていた。いや、この言葉で表現できない繊細な表現の青色をアクア・マリンと呼ぶのだろう。私はこの景色を一日中見ていたいと思った。私の頬を撫でる水も、この色のように輝いているのだろうか。
私は、錬丹様が毎日のように訪れるという商店街を目指した。私の住む国とは違って、建物や人々の服装を見ると少し質素な印象を受ける。ただ、様々な色があることで香りや味、人々の温かさを肌で感じることができる。店の前で立ち話をする人、昼寝をする人、食事をする人、喧嘩をする人……この国は活気で満ちている。
先ほど通り過ぎた青年は、黒猫を捕まえただろうか。
「葵さん。ちょっと待ってよ。さっきの女性は違うのさ。」
「錬丹。何が違うというの。あなたって本当に最低。」
「だから、さっきの女性は元カノで。一週間前に別れたよ。今は君に一途さ。いつもみたいに、オシャレなカフェで一緒に紅茶飲もうよ。」
「本当かしら。出会った時は、私と桜(妹)を間違えるし……。しかも、桜とは文通もしているのでしょう。」
「大丈夫、でありますー。私は文章を書くのが苦手なので、我が親友に任せてありますー。」
「私って、なんでこうも男性見る目ないのかな……。やっぱり、叔父様(インペリア)を狙うか……。あなたはこれまで会った男性の中で、断トツで最下位よ。もう顔も見たくないわ。」
男女の痴話喧嘩だ。どこか聞き覚えのある声がする。私は建物の陰に身を潜め、成り行きを見守っていた。思わず発した姉さんという言葉は、にゃーに変わる。私は冷静さを取り戻し、二人の会話に耳を澄ませた。詳細は不明だが、錬丹様が姉さんの逆鱗に触れたようだ。
ダージリンティーの香りはいつしか消え、黒い稲妻の柱が錬丹様を直撃する。賑やかだった商店街は一瞬にして凍りついた。そして、姉さんは口を開く。
「桜(妹)に免じて、最小限の力にしてあげたわ。感謝しなさい。」
黒い霧が商店街を取り囲む。姉さんの姿を見失った。私は急いで錬丹様のもとに向かい、にゃーにゃーと鳴きながら傷口をなめる。錬丹はヨロヨロと起き上がり、独り言をもらす。
「恐ろしい女だった……姿も顔も桜と一緒なのに……。なんだ、この汚らしい猫は。私に触るな、汚いぞ。」
私は十メートルほど突き飛ばされた。壁に頭を打ち付け、真っ直ぐに歩けない。
それ以上に、汚いと言われたことが辛かった……。
好きな人から言われた言葉を受け止めてきれない……。
早くこの地を去りたい……。
私は足を引きずり、鏡の水底を目指す。
どこからか、男性の声が聞こえた……。
「やれやれ。呆気ない幕引きだな。三回戦は俺の勝ちか。お前から聞きたいことが沢山あるんだ。まだ死ぬなよ。」
温かい……。お父様とお母様を思い出す。汚い毛並みで、血だらけで、才能もなくて……それでもこんな私をあなたは抱いてくれる。服に血と泥の臭いがついても、ギュッとしてくれる……温かい。あなたの心臓の音が聞こえる。懐かしい音が、忘れていた音が聞こえる。顔の見えないあなたに感謝を伝えたい……意識が消えていく……。
ボロ、ロンロンロン。ボロ、ロンロンロン。
カチャチャチャー。カチャチャチャー。
ボロロンロン。ボロロンロン。
不思議な音が聞こえる。目を開けると、私は大きな四角いテーブルの上に寝ていた。木の木目をなぞりながら、自分の生を確認する。ミイラと間違えるほどに、私の体は包帯でグルグル巻きにされている。一生猫の姿であろうとも後悔はない。命が助かったことに、私は感謝の祈りを捧げた。
私は鼻をヒクヒクさせる。ミルクの甘い香りと、嗅いだことのない芳醇な香りが漂っていた。机の上には光るお皿と大量の本、メモ帳、そして白い紙が置いてある。あと、白いカップに入った黒い水も気になる……白い風が黒い水を守護していた。突っ伏して眠っている彼を起こさないようして、ゆっくりと近づく。白い紙には、私の字が印字されている。錬丹に渡したはずの手紙を、なぜ彼が持っているのだろうか。
私の思考を遮るようにして、彼は突然起き上がり私に話し掛ける。
「良かった。治ったみたいだな……。どうだ恐れ入ったか、必殺『ミイラ返し』だぞ。いくら毛並みを変えようと、お前の瞳は特徴的過ぎる。一発で分かったよ。オーロ・ヴェネツィアーノの瞳……何度見ても鮮やかだ。個人的には、今のフロスト・グレイの毛並みが一番好きだけど。何も知らない人が見ると、汚らしい灰色に見えるだろうな。しかし、冬の季節、もしくは強い日差しがあると鮮やかな白銀の色に変化する。矛盾を抱えた魅力的な色彩。」
彼は私の体を優しく触っていく。頭、首、背中、腹……尻、脇、首……胸……。温かい手が私を包み込んで、これまでに感じたことない世界に私を連れて行く。もっとほしい……私はご褒美ほしさに甘い声を出す。
にゃー。キュッキュッ。
にゃー。キュッキュッ。
アクア・マリンの瞳と、オーロ・ヴェネツィアーノの瞳がゆっくりと重なる。忘れた時を思い出すように。そして、私は至福の時を迎える……。
「なにか違う気がしてきたな。お前、本当に黒猫の魔術師なのか……。性格が全然違う気がする。でも、その瞳は……。」
ボロ、ロンロンロン。ボロ、ロンロンロン。
カチャチャチャー。カチャチャチャー。
ボロロンロン。ボロロンロン。
「残念だ。わしの見込み違いだったかな。」
白い閃光と共に、白猫の瞳と同じ瞳を持つ黒猫が突然現れた。艶のあるサラサラとした黒の裏側に、時折見せるミッドナイト・ブルーの輝きがなんとも鮮やかだ。
白猫が甘い香りを漂わせ私の頬をペロペロ舐める。私は現実に帰還し、言葉を発する。
「猫が喋っている。というか、やはり魔術師だったか……。つまり、白猫はただの猫か……。」
「泰心(たいしん)と言ったな。色々誤りがあるぞ。まず、わしは黒猫ではない。」
柔らかい白い閃光が私の部屋を覆う。光が消えると同時に、机の上に足を組む女性の姿が見えた。ブロンのショートヘアに、ミッドナイト・ブルーのワンピースを身につけた私と同じ歳くらいの女性が笑っている。彼女はさらに言葉を重ねる。
「というわけだ。それから、名は『ミモザ』という。わしは魔術師ではない……『魔導士』だ。さて、次は貴様の番だぞ。泰心よ、なぜ平凡な男がこんなに大量の魔術書を持っているのだ。残念だが、わしは騙せんぞ。一見すると絵画や建築の本だが、魔術を上塗りしているな。あと、わしと初めてあったときに使った魔術は使用を禁止とされている。なぜ、古代魔術を扱えるのだ。」
ミモザの鋭い瞳に心臓を捕まれ、私は息ができなかった。頭痛と悪寒、倦怠感が私を襲う。ミモザは机の上に置いてある、建築家フランク・ロイド・ライトのデッサン集に手を触れる。本の中に、新たに光るページが差し込まれる。本のタイトルも光る字で新たに加わる。少し読みにくいが、「火の魔術を構成する基本色について」と読める。私は恐る恐る口を開く。
「禁止魔術を使用したことは謝罪いたします。確かに、分かっていて使用しました。どんな罰でも受ける所存です。しかし、なぜ古代魔術を使えるのかはお答えできません。死の間際であろうと、この力は誰にも渡さない。」
「困るな、泰心よ。その力は強大だ。貴様のような平凡な才の者には扱えない力だ。わしは、その力がほしい訳ではない。白と黒の国、四季の国の均衡を崩す力だと考えている。封印するか、消滅させたいね。」
「いいですよ。死を受け入れます。この力は私のものではありません。大切な人から預かった、いずれその人に返す力です。まだ死にたくないですが、誰かに取られるくらいなら死を選びます。」
私は目をつぶって両手を強く握る。痛みなく一瞬でこの世を去ることを願っていた。
誰かが私を強く抱きしめる……。柔らかい。私の胸にマシュマロのような柔らかな感触が広がる。ベルガモットの香りが私を包み込む。甘い香りに誘われて、私は思わず目を開ける。
ミッドナイト・ブルーのワンピースが見える……。そこから、大きな谷間が見える……。両手は動かない。心臓が今にも飛び出しそうだ。ミモザの瞳に吸い寄せられる。私の舌にベルガモット香りが絡みつき、私を紅茶に染めていく。頭が真っ白になり、ミモザの潤んだ瞳がさらにほしくなる。
「はい。ここまで。真面目な顔して、貴様は意外に積極的なのだな。わしの好みのタイプだから、続きしてもいいけど……。契約が先か。」
「え……。どんな契約ですか。」
「わしの弟子となれ。魔術の制御の仕方教えてやる。あと、わしは魔術師じゃないから、貴様を処罰する立場にないわ……。わしは魔導士。」
「ミモザ。魔導士と魔術師は何が違うのですか。」
「良い質問だな。魔導士は『魔術を作る者』で、魔術師は『魔導士が作った魔術を使う者、あとは一般人に魔術の片鱗を与える者』かな。つまり、絵の具を作る者が『魔導士』で、絵かきが『魔術師』だ。話の続きは後。契約は寝室でしようか……。」
私はミモザに手を引かれ、フラフラと歩き出す。ベルガモットの香りが部屋一面に広がるのを感じる。甘い香りに対抗するように、甘い声が響き渡る。白猫が鳴いている。
にゃー。キュッキュッ。
にゃー。キュッキュッ。
「そうであった。そなたの存在を忘れていた。」
ミモザは小瓶を取り出し、白猫にたっぷりと水をかける……。白い霧が広がり、部屋を包み込む。霧が消え、少しずつ人の影が見えてくる。ミモザと同じくらいの背と、同じくらいの歳の女性の姿が見える。
フロスト・グレイの長い髪が鏡の水底のように穏やかに流れる。すぅーと指を抜ける艶のある髪。二重の大きな瞳に、オーロ・ヴェネツィアーノの光が差し込む。ミモザにも引けを取らない美しい顔立ち、ルネサンスの画家ラファエロの絵画「小椅子の聖母(マリア)」を思い出す。
彼女は私を見つめていた。そして、私も。
白い霧が完全に消え、彼女の白い素肌が現れる……。細い手足に、ブロンズ像のような引き締まった肉体美と、小さな尻と……少し小さい……。
彼女の悲鳴と共に、私は気を失った。
四季の国の基本的なルールは私の国と変わらない。民が貧しいこと、色の種類が豊富であることを除けば同じ世界だ。魔術を使わなくても、香りや味を楽しめる世界は魅力的だ。その代わりに食材や料理を一瞬で生み、空を飛ぶなどの生活の効率を上げるような魔術は殆ど存在しない。
あと、私の国には存在しない職業も沢山ある。特に、ペンキ塗りという職業には驚かされた。色のついた砂粒を組み合わせて、言葉では表現し難い色を作り出していく。街の人々はそれを「色彩(しきさい)」と呼んでいる。色と色彩の違いは未だに分からない。ただ、人の心を変えていくような不思議な力を感じる。
私はミモザと契約し、白と黒の国、四季の国、鏡の水底(境界線)の歴史と文化を教えてもらった。気がつけば、本当の双子のように、本当の親娘のように会話をしていた。世界に一人しかいないと言われる存在は、とても魅力的だ。ミモザから紅茶と珈琲、野菜スープの作り方も教わった。気がつけば、また朝を迎えていた……。
「泰心様、ごめんさない。思わず、置いてあった本で叩いてしまいました。」
「いえ。こちらこそ。目をつぶれたはずなのに、閉じなくて申し訳ありませんでした。ミモザに引き続き、白猫まで人だったとは思いませんでしたよ。変身に関するものは、禁止魔術であったと記憶しています。まさか、あなたも『魔導士』ですか。」
「いえ。全然。ただの秘書です。名前は『桜』と言います。」
「桜様ですか。素敵な名前ですね。まさか、王女様とお会いできるとは光栄です。」
彼は変なことを口走る。私はここに来てから一言も彼に自分を王女と名乗ったことはない。なぜ、彼は私のことを知っているのだろうか。アクア・マリンの瞳は輝きを失い、挙動不審の動きを見せる。私は彼に嫌われないよう、聞いてなかった振りをして応える。
「名前褒めていただき、ありがとうございます。大変嬉しいです。母がつけてくれた大事な名前です。今は才能のない、ただの王の秘書です。桜とお呼びください。」
「桜、ありがとうございます。では、私のことも泰心でお願いします。いや、その……。先ほどのこと、ごめんなさい。知っていれば、あんなことしなかったのですが……。」
「泰心、敬語もなしで。ミモザとは最初から普通に話しているのに、私とは話せないと……。」
私は泰心を困らせたくて、睨みつける振りをする。彼は両手をパーの状態で左右に揺らし、謝罪の言葉を言いながらも私と目を合わせない。彼の汗の匂いから、本当に困っていることがよく分かった。酸っぱくて少し嫌な香りだが、心が落ち着く。
アクア・マリンの瞳に浮かぶ小舟。
大海を右に、左に揺れながら。
大海を前に、後ろに進んでいく。
浜の香りに耳を澄ませ、渦巻き状に進んでいく。
あなたの肌に日焼け止めの塩を塗って。
私の肌にアタバスターを塗って。
肌と肌を合わせていく。一回、二回、三回と。
時間を止める魔術の代わりに、何度でも……。
私の心に矛盾した、珈琲の香りを添えて。
私は頭に突然浮かんだ色彩を、白い紙にしたためる。この国の人々が使う言葉、色彩が少しずつ分かってきた。楽しくなってきた私は、さらに秦心を困らせようと質問を重ねる。オーロ・ヴェネツィアーノの瞳に、さらに力を込めて泰心を見つめた。
「泰心。さっきの、ごめんなさいの意味が分からなかったから、もう一度詳しく聞きたいな。教えてよ。」
「桜。その……。桜が白猫のときを思い出したんだ。ミモザと会う直前のこと……。その……色んなところをペタペタと触ってしまったと……ごめん。」
私の肌と汗が、金木犀の色彩を帯びていく。彼に追い打ちを掛けたことを後悔しながら、私は自分の体をペタペタと触った。触られたことよりも、あのとき考えていた妄想の方が恥ずかしい……。私と彼の間を沈黙が支配する。言葉に詰まりながら、私は大丈夫と言いたかった。しかし、運命はそれを許さない。
「ほぉー。いつの間に仲が良くなったのだ。師匠を差し置いて、二人だけの密会とは……。泰心に罰を与える。今日は、わしの寝室で寝なさい。」
「ダメです。ミモザ。それはパワハラというのよ。師匠が弟子をたぶらかすなんて聞いたことないわ。」
「ほぉー。桜。お前もわしの弟子のくせに、師匠に楯突くとは。また白猫に戻してやろうか。そうすれば、泰心にまた良いことしてもらえるぞ。」
「もう。ミモザ、最低。なんで世界で一番偉大な人が、こんな変態なのよ。」
「ちょっと。桜もミモザも落ち着いて。一旦、お二人とも深呼吸しましょう……。というか、ミモザってそんなに偉いのか。」
「そうよ。変態魔導士だけどね。あのインペリア様(司祭)の師匠でもあるし。鏡の水底(境界線)の王様みたいなものよ。」
「ほぉー。インペリアの小僧も知っているのか。益々、お前たちは興味深いな。」
「そうよ。インペリア様は、私の教育係を務めていた方よ。姉さんよりも、両親よりも一緒にいる時間長かったかも。」
「なるほどね。ということは。桜とインペリア司祭は付き合ったりしていたの。」
泰心は本当に鈍感だ。いや、天然なのかもしれない。デリカシーのない人だけど……。でも、嫌われたくない。私が慎重に言葉を選んでいると、ミモザが悪魔の笑顔を見せる。
「泰心、大丈夫だ。インペリアの小僧はわしに夢中だよ。なんせ、あやつを男にしたのは、わしなのだから……。」
「この外道。尻軽女。どこまで最低なのよ。ミモザ、あなたのような人は『魔導士』ではなく『魔女』というのよ。」
「桜、なんだその珍妙な名前は。だが、音の響きは好きだな。その名前、有り難く使わせてもらうぞ。では、選ばせてやろう。秦心とインペリア、どちらがほしい……。」
私の頭は真っ白になった。気がつけば、私は色彩に取り込まれていた。白と黒の国にいたときには感じなかった感情の渦が見える。言葉と色が溶け込んでいく。私は二人のことをどう思っているのだろうか。よく分からない。ただ、ミモザのようになりたくない。気がつけば、私は泰心の部屋を飛び出し、鏡の水底(境界線)に向かっていた……。
スゥー。ホヨホヨ。
スゥー。ホヨホヨ。
頬を伝う雫は輝きを失い無彩色となる。水面に映る双子を見つめながら、私は白と黒の国に戻ろうとしていた。感情の揺らぎに心が押しつぶされそうになる。力なき自分を戒め、四季の国を、彼を諦めようと思った。
鏡の水底を守護する魔術師は、歳を取らない。契約したときの容姿のまま、生きていかなければならない。死ねない体と共に。偉大なる力の代償は計り知れない。魔術師は呪われた存在なのだ。二つの国の均衡を保つために、己のすべてを生け贄捧げる。しかし、強靭な肉体を持つ魔術師も死に抗えない。生きる意思、魔術を使えなくなったときに死は訪れる。
魔導士はさらに重要で過酷な職業だ。魔術の源を創る。この不思議な水を創る。魔導士は亡くなった人々の魂を「水」へと変える。魂を天空へと導く存在。魔術師の中から一名だけが魔導士に選ばれる。ミモザが二代目、初代は私の母。私は鏡の水底に話し掛ける。
「本当は。私もお母さんのようになりたかった……。ねぇ。お母さん。ミモザを知っているでしょう。ミモザってお母さん、そっくりなんだよ。美しくて、強くて、優しくて……男好きで、たまにイライラするけど、太陽みたいな人。まぶしすぎて……ちょっと逃げ出しちゃいました。私に素敵な感情を沢山くれました。でも、あの方の後は継げそうもありません。才がないのです。そして、それがないことで好きになった男性も失いそうです。もう、どうしたらいいか分からないです……。」
スゥー。ホヨホヨ。
スゥー。ホヨホヨ。
「大丈夫さ。諦めるにはまだ早いよ。」
「泰心。どうして……。」
「君に大事なことを話そうと思って。気を失っているときに、色々と思い出したよ。なぜ、ミモザと君に無意識と惹かれるのかも分かったんだ……。俺と君はここで一度会っている。君の心臓の音、俺の本当の才能が共鳴したから分かるんだ。安っぽい言葉だと、フィーリングっていうのかな。俺は一年前の成人の日に、この湖の前で死んだのさ。そのとき、君が救い上げてくれたのさ。」
「泰心。ごめんね……。何を言っているか、全然分からないよ……。ごめんね……涙が止まらない……。」
「大丈夫。あのとき、約束したから憶えている。辛い記憶だから魔術で消したんだ。感情は消えなかったようだけど。辛い思いさせて、ごめんね。桜、手を出して。これでもう楽になるから。預かっていた才能を、あなたにお返しします。」
状況が全然分からない。ただ、泰心の手をとってはいけないことは本能的に分かった。神様、なぜいつも私を地獄に落とすの。私は王家ではなく、普通の家庭に子どもに生まれたかった。
「ダメ。泰心。才能なんかいらないよ……その力はあなたにあげるわ。だから、生きてよ。」
「ありがとう、桜。でもダメです。これがないと、あなたが死にます。本来、切り離していけない力です。当時のあなたは運命に抗って、初めて会った少年のために禁術を施しました。あなたは本来、魔導士となるべくして生まれた存在。だから、これまでに散った多くの魂を救済するために、この手をとってください。」
「無理だよ。大切な一人の命を捨てて、知らない多数の命を救えというの……。」
「そうです。大丈夫。俺もその多数に入っていますから……。だって、あなたは……あのとき、知らない魂を救ってくれたでしょう。あのときと同じですよ。」
フロスト・グレイの霧が一面に広がり、すべてのものを灰色に染めていく。私の心も。
頬を流れる灰色の雫は止まらない、溜まった雫は鏡の水底の色彩を変化させていく。私は動けなかった……。アクア・マリンの瞳は、ウルトラマリン、ラピスラズリに変化する。輝きを増す瞳を前にして、私は指一つ動かせない。そして、私は叫ぶ。
「だめ……。だめだよ……。泰心。」
「ごめんなさい。桜。ミモザに禁術を使わないと言いましたが、約束を破ります。これが預かっていた、あなたの本当の力です。『四季彩(しきさい)』の力に愛される魂に救済を、そして祝福を……。短い人生でしたが……桜。あなたに会えて本当に幸せでした……。さよなら。」
オーロ・ヴェネツィアーノの瞳と、ラピスラズリの瞳は最短距離を結ぶ。二つの舌で、一つの珈琲の香りをゆっくりと味わいながら。走馬灯の奏でる音に合わせて……マンデリンの香りを楽しんで。
二つの心臓の鼓動は、やがて一つに溶けていく。灰色溶かす、白銀の風となって。風は天空へと上がり、白銀はいつしか「銀河」と呼ばれるようになった……。
一年に一度の奇跡を噛み締めて、一年に一度の軌跡に想い寄せて、私は空を見上げる。届きそうで届かない手を見つめて、心臓と瞳に宿る最短距離を見つめて、私は矛盾を秘めた四季彩を愛する。
「桜。ようやく一つになれたようだな。」
「ミモザ。苦しいよ……。泰心に会いたいよ。」
「桜。その心臓では満足出来ないのか。」
「ミモザみたい大人じゃないから……。あの人に触れたいの。声が聞きたい。四季彩の力もいらないし、魔導士にもなりなくないよ。」
ミモザは大声で笑い出す。涙を浮かべ、少女のようにゲラゲラと音を立てる。我が子を見つめる黄金の瞳は、温かい。
銀河から差し込む僅かな光は、天使の梯子となって鏡の水底を照らす。
水面(みなも)はラピスラズリの輝きを放ち、霧を一瞬でかき消す。
懐かしい声が聞こえる……。
「ミモザ。ギリギリだったぞ。生きているということは、俺にもまだ魔術師の才能があるということか。」
「勿論だ。元々わしは、四季彩の力とは別に貴様の才を認めている。そなたも、新しい力を肌で感じているのだろう。」
「ちょっと待ってよ。泰心の心臓は……。」
「勿論。わしの分を半分渡した。お前のような未熟者と違って、わしは天才だからな。寿命はきっちり半分ずつにした。そういえば、さっき恥ずかしい詩を読んでいたみたいだが……。これで、織姫(おりひめ)の座はわしのものだな。瞳の色はお前と一緒だし、ラピスラズリを貰い受けるぞ。」
「なんで詩の知っているのよ。この変態魔導士。ミモザ、絶対にラピスラズリは渡さないんだから。」
「お二人とも、何の話をしているんですか……。ちょっと怖いです。あと、ラピスラズリって何ですか。」
「泰心、うるさい。」 「貴様は、黙っていろ。」
いつも幸せを噛み締めて……。
やっと出会えた幸せを噛みしめて。
目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をする。
吹き抜ける風を肌感じ、耳で音を感じる。
吹き抜ける風の香りを鼻と舌で感じる。
黒いキャンバスが白へと変わる。
白は色彩を帯びていく。
色彩は変化し、私の心となって広がる。
ゆっくりと、目を開ける……。
すべての空間に愛されたあなたを見つめて。
私はミモザの花のような笑顔を送る。
「おかえりなさい。四季彩の香りは、お好きですか。」
