第5話 五千年後のいただきますー縄文の習わし
縄文時代を代表する火焔型土器。口の上に四つの突起が立ち上がり、燃え上がる炎のような造形を持つ。岡本太郎が「なんだ、コレは!」と叫び、教科書に載り、国宝にもなった。縄文は火焔型土器の縄を張り付けた意匠から来ている。火焔の模様とも水流の模様ともいわれている。火焔型土器とはいったい何のために作られたのだろうか。
火焔型土器は、新潟県の信濃川流域から産出される。ほかの地域には見られない。期間も短い。およそ500年。5300年前から4800年前の間である。縄文時代はおよそ1万4000年続いた。その28分の1でしかない。
信濃川中流域の集落跡から発掘されるのは火焔型だけではない。装飾のない、地味な深鉢が9割以上を占める。これは、煮炊きのための、日常品だ。だから、火焔型土器は希少なものといえる。
同じ信濃川中流域の集落から発掘される、二種類の土器の用途は何であったろう。
東京大学の吉田邦夫が、火焔型の内側に残ったおこげを、炭素と窒素の同位体で分析した。出てきたのは、食材の痕だった。植物と動物を、煮ていた。
新潟県立歴史博物館の宮尾亨が、もう一歩踏み込んだ研究を行った。火焔型から、海産物由来の脂肪酸が検出されることがある。海から遠く離れた信濃川上流の遺跡でも、同じ脂肪酸が出る。上流で、海の魚はいない。海で育ち、川を遡ってくる魚——サケ。火焔型で煮られていたのは、サケである可能性が高い。
火焔型土器は祭祀の器で、サケの遡上を祝う秋の祭礼のために使われた器、ではないかとの仮説が立てられる。
ところが、同時期の縄文土器を日常使うのに便利な簡素な土器も含めて調べた研究では、どちらの土器でもサケが煮られていたようだ。サケは祝祭のための特別な食べ物ではなく、日常から食べられていたようだ。
となると、特別な食材を、特別な器で煮ていた祭礼のためという仮説は成り立たなくなる。特別でない器でも同じことをしていたからだ。
同じサケを、二種類の器で煮る理由は何か。
仏壇に上げるご飯。新嘗祭で天皇が神とともに食す米。お供え、神饌、と呼ばれてきた。
まず神に、同じものを供える。神が食す。その後、人が同じものをいただく。神と人が、同じ食事を、時間差で分かち合う。神は別の食事を別の場所で食べる存在ではない。同じ釜のものを、人と共に食べる存在として扱われる。
5000年前の信濃川の集落で、神饌が行われていたと考えるとしっくりする。
火焔型土器が特別な祝祭の日の為に用いられたとすれば、一割という希少性が説明できない。祝宴であれば日常より多くの食器を使うだろうからだ。無地の土器より数多く出土しても不思議ではない。数の偏りは、同じ日に火焔型土器と無地の土器が別々の目的の為に使われたからと考えるのが自然だ。
火焔型の鍋でサケを煮る。燃え上がる装飾、川の流れのような渦——それは神に捧げる食事の器として、最も手をかけ、最も美しく作られた。神に捧げるものは特別でなければならない。一方で自分たち人間が食べる器は実用的なもので足りる。
神の器と人の器。同じサケが両方の土器から出るのは、神と人が同じものを分け合った証である。火焔型の異常な装飾は、それが神の前に置かれる器だったからだ。
ところが、話はここでは終わらない。神の器は、一種類ではない。火焔型と地味な深鉢のあいだに、もう一つの層がある。火焔型ほどに極まった装飾は持たないが、無装飾の深鉢とも違う、ほどよく文様を持つ深鉢の群れ。これも神の器ではないか。
伊勢神宮では、外宮の鎮座以来およそ1500年間、朝夕の神饌が一日も欠かさず続けられている。神に捧げる御飯や御塩や御水は、専用に作られた素焼きの土器に盛られる。素焼きは簡素だが、神の器である。祭礼の日には、それよりも手の込んだ特別の器が用いられる。
信濃川の集落で、神饌が毎日行われていたとすると、祭礼の日と日常の日は伊勢と同様に分けていたと考えるのが自然である。神の器は、祭礼の日に火焔型、日常の日に中間の層の器。そして人の器は、地味な深鉢と、三種類の土器はそれぞれの役割があったと考えられる。
祭礼と毎日、ハレとケを分ける、この神饌の構造の原型が、5000年前の信濃川にすでにあった。火焔型土器は神へ捧げる、ハレの日の神饌に使う特別な土器であった。
話は現代に戻る。私たちは、食事の前に手を合わせて、いただきます、と言う。
いただきます、とは元来、頭の上に押し戴く所作を指す。目上の存在から受け取る言葉である。いただきますは、長く、食材の命や、それを作った人々への感謝として教えられてきた。この感謝は目上の者への感謝とは違う。ありがとうございますの方がより相応しい。いただきますは神に対してという方が、言葉の本来の使い方としては正しい。
「いただく」は、8世紀後半に成立した万葉集に、すでに用例がある。約1250年前。
「母刀自(あもとじ)も玉にもがもや伊多太伎(いただき)て角髪(みづら)のなかにあへ纏(ま)かまくも」
母を玉として、頭の上に押し戴きたい。母への敬愛を、その動作で表している。最古の文字記録の段階で、「いただく」はすでに今の意味で使われていた。
言語学では、基礎語彙(基本動詞ー食べる、飲む、行く、来る、見るという毎日繰り返される言葉)儀礼語彙(儀礼の言葉ー祭、祈り、神に関する共同体で繰り返される言葉)は最も変化しない種類の言葉と言われている。双方の特徴を持ついただきますは、二重の意味で、変化が起こりにくい。
この言語学的現象から、いただきますの語源が5000年前の縄文時代にまで遡れる可能性は十分考えられる。
神に捧げ、神が食したあと、その下がりを人が頭の上に押し戴いていただく。いただきますは、神からいただきます、の意である。
私たちが毎日、手を合わせて言うこの一言は、縄文時代から、5000年にわたり受け継がれてきた所作である。日々の生活では、神に特別な器で、食物をささげることはほとんどなくなった。しかし、いただきますは5000年後の今でも生きている。
お箸を持ち、いただきますと手を合わせて感謝することは、神への感謝を意味する。私たちが毎日言葉にするいただきますは、伊勢神宮で毎朝夕欠かさず行われている神饌の儀式と、同じものだった。そして、その所作は、縄文時代から続いている。
神と共に生きる。私たちの中に縄文人が生きている。
学術論文
Craig, O. E., Saul, H., Lucquin, A., Nishida, Y., et al. (2013) “Earliest evidence for the use of pottery.” Nature 496(7445): 351–354. 縄文土器101点の付着炭化物を分析。大半が海水・淡水の水産資源由来。「魚を煮ていた」の一次根拠。
Lucquin, A., Craig, O. E., et al. (2016) “Ancient lipids document continuity in the use of early hunter-gatherer pottery through 9,000 years of Japanese prehistory.” PNAS 113(15): 3991–3996. 800点超を分析。縄文を通じて土器が一貫して水産資源に使われた。「サケは日常食」を支える。
Yoshida, K., Kunikita, D., Miyazaki, Y., Nishida, Y., Miyao, T., Matsuzaki, H. (2013) “Dating and stable isotope analysis of charred residues on the Incipient Jomon pottery (Japan).” Radiocarbon 55(2–3): 1322–1333. 吉田邦夫・宮尾亨が並ぶ実在の共著論文。土器付着炭化物の年代測定と炭素・窒素同位体分析。
公的資料
文化庁 文化遺産オンライン「火焰型土器」。儀礼用説と、おこげ・吹きこぼれ跡による煮炊きの証拠。 新潟文化物語 file-107「国宝・火焔型土器はアートか?」。宮尾亨氏の見解、調理鍋としての用途。 長岡観光ナビ「火焔土器のエネルギッシュな造形から」。火焔型のおこげ分析で植物性・動物性を検出、信濃川のサケ漁。 日本遺産「『なんだ、コレは!』信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化」(文化庁)。年代・分布・岡本太郎・国宝指定。
