ある「進学校」という名の野獣の檻――電車内で見た、知性偏重教育の末路と失われた道徳観
⚫️電車内での出来事:偏差値と品格の乖離
先日、電車のボックスシートに座っていた時のことです。発車間際、ある有名進学校の生徒たちが雪崩れ込んできました。その瞬間、胸をよぎった嫌な予感は、すぐに現実のものとなりました。
⚫️他者への想像力が欠落した光景
彼らは周囲の乗客など目に入らないかのように振る舞い、私に強くぶつかりながらも平然と席を確保しました。それだけに留まらず、一人の膝の上に別の生徒が座り、私の頭上越しに大声で談笑を始め、通路を塞ぎ、挙げ句の果てには私に向かって鞄を放り投げてくる始末。当然、誰一人として「すみません」の一言もありません。
あまりの居心地の悪さに席を立つ際、足を引っ掛けられそうになりましたが、彼らはそれすら気に留める様子もありません。私が空けた席に滑り込み、「ラッキー」と言わんばかりの得意顔を見せる彼らの姿に、私は激しい憤りと、それ以上の絶望感を覚えました。
⚫️偏差値の高さと、人間の品格は比例しない
彼らが通うのは、社会的には「優秀」とされる進学校です。しかし、そこで行われているのは、他者がどう感じるかという「想像力」を育てる教育ではなく、ただ試験の点数を競わせるだけのシステムなのでしょう。
これでは学び舎というより、知性の欠落した空間です。彼らの振る舞いの背景には、学歴至上主義がもたらした歪みを感じざるを得ませんでした。現代社会は、ハラスメントという言葉を盾に、大人が子供を諭すことが難しい環境を作ってしまいました。その結果、生まれているのが、こうした「社会性を欠いたエリートの予備軍」たちではないでしょうか。
⚫️私たちはどう生きるべきか
どれだけ勉強ができ、将来的に高い社会的地位を得たとしても、他者への敬意や公共心を失った人間は、本質的な意味での「知性」からは程遠い存在です。
社会のモラルが揺らぐ今だからこそ、私たちは周囲の乱れに流されることなく、誰が見ていなくても自らを律し、「お互い様」という美徳を貫く。そんな人としての矜持(きょうじ)を持ち続けなければならないと、強く再確認させられた出来事でした。
