見出し画像

ダイブする

先日も、数件のヒーリング施術を行ったが、その感覚を「潜る」もしくは「ダイブする」、という表現が一番しっくりくるかもしれない。

ダイブの意味は「頭から飛び込む」だけど、ニュアンス的に「飛び込んで潜る」というイメージがある。

潜る、ダイブする、で真っ先に思い出すのは、フリー・ダイビングの世界を描いた名作、リュックベンソン監督の「グランブルー」。

それとフリーダイビングの世界記録に挑む女性のドキュメンタリードラマの「ディープブレス」。この二つとも、どちらもすごく興味深かった。

深海にまっすぐに潜っていく。素潜りで、100m潜るのだ。100mをいかに早く走るか?の競技も、トップのアスリートになるとすごいものがあるが、なんの装備を持たずに100m深海に潜るというのは、正気の沙汰ではない。

当然、息を止め続けるわけだが、そこでは余計な思考一つでも、体内の貴重な酸素を消費させ、命取りになる世界なのただ。思考する、とは、運動なのだということがわかる。

だからダイバーたちは「禅」や「瞑想」の極意を会得していないとできないとも言われている。

僕が伝えたいのは、物理的な水の中に潜るわけではないが、何か通ずるものがあるという感覚がある。

息を止めているわけではないが、自分の意識活動のある一部分は停止、ないし、極限までスローにする。そして、時に危険を感じることもある。

人の意識の底の底。光の届かない、奥へ奥へと、潜っていく。

最初から、そんなことをしようとしたわけではない。やろうと思ってはじめたわけではない。

ただ、自分自身の中に潜ることを覚え、それが日課のようになっていたことが大きな理由だ。

そして、自分の中の深い深い場所は、他の人の深い深い場所と繋がっていると、ある日気づいた。

だから、結果として、人の意識の奥へ潜るようになった。

我々が「思考」と呼ぶもの。「感情」と呼ぶもの。それらは独立していて、階層になっていて、重なり合い、干渉し合い、深い部分では完全に繋がっている。

そこにはさらに「肉体」も同等レベルで存在し、これもまた階層があり、思考や感情と干渉し合っている。

それらの相対として、その人の「性格」や「個性」、「人間性」や「人格」と自覚し、他者から評されるものを形成している。

しかし、その全体像そのものが階層があり、我々の思考では表層部分しか認識したり感知することはできないし、実際に、表層部分が日常の50%〜90%
を運営していると言ってもいい。

50〜90と振り幅が大きいのは、自分で自分を統制し、感覚機能に鋭敏で、潜在的思考や感情にも、なんらかの認知や気づきを持って生きている人ほどその数値は小さくなる。

それとは逆に、潜在的な思考や感情に全く無頓着で、社会で身につけた情報と、その反応だけで漠然と生きている者ほど、その値は大きい。

つまり、底のない、浅い人間ほど表面的な自己でしか生きておらず、奥行きがあり、人生に深みがあり、自分を生きている人間は、より深い領域の自己を使って生きているということだ。

ただ、それでも無意識と呼ばれる領域や、なんなら意識と名付けられない領域も、人間は持っている。そこはブラックボックスだ。

人それぞれに、いくつものその中に階層があり、その階層ごとの世界が形成されている。

ストーリー的な世界もあれば、深くに行くほど、時間や空間という概念のない、いや、超越した領域の中で、幾何学的、記号的な世界を持っている。

それらは本来、一番深い領域から、表層的な次元の領域まで、曇りなく、滞りなく貫かれている。

何が貫いているのか?

それはうまく言えない。魂、真我、愛、神性…。どの言葉もそのほんの側面しか表現できないが、ここでは便宜的に「エネルギー」と呼ぶ。

エネルギーが貫かれ、その人の人格を形成し、思考や感情、肉体のバランスを保ち、それが外の世界に放たれて、干渉し、人生において創造を起こす。

しかし、エネルギーがうまく流れていなかったり、どこかで詰まっている、滞っていることで、本来のその人の可能性が著しく制限されていたり、本来のその人の持つ魂の資質や目的と外れた人格を想起させてしまっていることがある。

上の階層と下の階層は、互いに干渉し合う。

下の階層が上の、つまり表層意識に与える影響の方が強いのだが、時に上の階層で起こる、強く、荒々しい衝撃は、下の階層に歪みを起こす。

結果として、下の階層でズレや滞りが起きて、それそのまま上の階層にフィードバックされてしまう。

それが、表層的にも「違和感」や「不調」や「無気力」「無力感」「自己否定」「不安」「喪失感」などを起こす。

その歪みを調えるために、できることがある。元のあるべき状態を取り戻すこと。

その副産物として、表層の意識がクリアになり、肉体は巡りを取り戻し、思考と感情に落ち着きを取り戻す。

ヒーリングとは、やる方、受ける方、それぞれの解釈があり、そこには様々な技術もあるだろう。

潜った先では、技術の通用しない世界であり、ただ「在り方」が問われる。
 
どうして、二十代から坐禅をするようになり、精神世界に興味を抱き、深く瞑想にのめり込み、神秘を知るための旅をして、山に行き心身を調えてきたのか?

このためにあったのかもしれないが、確信があるわけではない。確信なんて、所詮思考の世界だ。

僕が納得しようがしまいが、起こるべく起こる。

以前、ヒーリングを受けてくれた方が、

クラニオセイクラル・セラピーに似ている、とnoteにちらっと書いていますが、確かに、少しだけに似ている点はあるかもしれません。

施術中に脳脊髄液が動いているような感覚を持つことがあるからです。

そして、施術を受けた方で、頭が軽くなり、スッキリするというのは、共通します。

しかし、それが実際に脳脊髄液の流れを直接感じているのかどうかは分かりませんし、僕の意図するところは、もっと深海の領域です。


30代女性 施術1週間後に
40代女性


詳細はこちら

お申し込み


いいなと思ったら応援しよう!

大島 ケンスケ サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。