子どもだから責任が軽くなるなら、大人の責任は重くなる
問題の大きさは、言った側より“受け取った側に何が起きたか”で見た方がいい
「子どもの言うことだから」
「まだ5歳だから、意味もよく分かっていない」
そう言いたくなる場面があります。
たしかに、
子どもは大人と同じように言葉の重さを理解しているとは限りません。
でも、
だからといって、
受け取った側の痛みまで小さくなるわけではありません。
ふて猫は、「子どもだから」と書かれた小さな箱を見ています。
その中には、
思ったより大きな傷が入っています。
「人間は、やった人が幼いと、その行為まで小さく見積もってしまうことがあります」
横浜市の認可保育園に通っていた男児をめぐり、
第三者委員会が、
他の園児から受けた行為について
「いじめに相当すると考えられる行為」
と位置づけました。
男児は5歳児クラスだった2024年度、
「太っている」とからかわれたり、
「ママ消えればいいのに」と言われたりしていました。
さらに卒園間近には、
「しね ばか だいきらい」
と書かれた手紙を渡され、
「ゴキブリをつけてやる」
とも言われていたことが確認されています。
今日はこのニュースを入口に、
「やった側の幼さ」と「傷ついた側の痛み」は、どう考えればいいのか
を少し考えてみます。
合言葉は、
読んで納得、明日ちょっとドヤれる。
5歳だから、意味が分かっていないかもしれない
まず、
ここは大切です。
5歳の子どもが、
「しね」という言葉を、
大人と同じ意味で理解して使ったのか。
そこは簡単には決めつけられません。
どこかで聞いた。
意味を深く理解せず使った。
強い言葉として覚えただけ。
そんな可能性もあります。
ふて猫は、言葉を投げた子どもの手元を見ています。
「子どもは、言葉の大きさを知らないまま、大きな言葉を使うことがあります」
だから、
大人と同じように責任を問えばいい、
という話ではありません。
でも、
そこで終わってはいけません。
「分かっていなかった」と「傷つかなかった」は別
言った側が、
意味をよく分かっていなかった。
悪気もなかった。
それは、
あり得ます。
でも、
受け取った側が傷ついたこととは、
別の話です。
ふて猫は、「悪気なし」と書かれた札の横に、「でも痛かった」と書き足します。
「言葉の重さは、言った人がどこまで理解していたかだけでは決まりません」
これは、
大人の世界でも同じです。
「冗談だった」
「そんなつもりじゃなかった」
「軽い気持ちだった」
それでも、
相手に残ることがあります。
意図と結果は、
別々に見た方がいい。
「子どもだから」が、便利な言葉になることがある
子ども同士のトラブルを見ると、
大人はつい、
「よくあること」
「子ども同士だから」
と思います。
もちろん、
けんかやすれ違いはあります。
全部を重大事件のように扱えばいいわけでもありません。
でも、
「子どもだから」が、
問題を見ないための言葉になってしまうことがあります。
ふて猫は、「よくあること」の下に、小さく何度も繰り返された跡を見つけます。
「人間は、“よくあること”という言葉で、誰かにとっての“つらいこと”を小さくしてしまうことがあります」
一度なら、
たまたまかもしれない。
でも、
何度も続いている。
本人の様子が変わっている。
そんなときは、
少し見方を変える必要があります。
「いじめ」と呼ばなければ、問題はなくなるのか
今回、
一つ特徴的なのが、
未就学児は「いじめ防止対策推進法」の対象ではないことです。
そのため、
第三者委員会は、
年齢を除けば法律上のいじめの要件を満たすとして、
「いじめに相当すると考えられる行為」
としています。
制度上の区分としては、
必要なのでしょう。
でも、
ここには人間のクセも見えます。
ふて猫は、「これはいじめ?」と書かれた札をひっくり返します。
裏には、
「本人は困っている?」
と書かれています。
「人間は、名前がついていない問題を、“まだ問題ではない”と思いやすいことがあります」
いじめと呼ぶか。
トラブルと呼ぶか。
からかいと呼ぶか。
名前も大切です。
でも、
もっと先に見るものがあります。
その子が、
どうなっているか。
です。
園側は放置していたわけではなかった
今回の報告書では、
園側は問題が起きるたびに、
他の園児を指導していたとされています。
そのため、
「放置したとまでは言えない」
と評価されています。
ここは大事です。
何もしていなかった、
という話ではありません。
一方で、
「しね」などと書かれた手紙について、
園が認識してから、
保護者が問い合わせるまで説明がなかったことについては、
「事案の重大性の認識に欠けていた」
と指摘されました。
ふて猫は、「対応した」の横に、もう一つ欄を作ります。
「重大さを共有した?」
「対応したこと」と「十分に問題を理解していたこと」は、同じではありません。
ここも、
職場や学校でよくあります。
注意した。
声をかけた。
一応対応した。
でも、
問題そのものを軽く見ていれば、
同じことが繰り返されます。
子どもの問題ほど、大人の仕事が増える
5歳の子に、
「相手の人格を傷つける言葉を絶対に使うな」
と説明して、
一度で全部理解してもらう。
それは、
簡単ではありません。
だからこそ、
大人の役割があります。
なぜその言葉を使ったのか。
どこで覚えたのか。
何が起きていたのか。
言われた側はどう感じているのか。
周囲で同じことが起きていないか。
ふて猫は、子ども同士の間に、大人用の小さな椅子を置きます。
「子どもだから責任が軽くなる場面ほど、大人の責任は少し重くなります」
子どもを悪者にするのではなく、
学べるようにする。
傷ついた子も守る。
その両方が必要です。
「どっちが悪い?」より先に見るもの
子どものトラブルが起きると、
つい、
どちらが悪いのか。
誰が先にやったのか。
を知りたくなります。
もちろん、
事実確認は大切です。
でも、
それだけでは足りません。
ふて猫は、「犯人探し」と書かれた虫眼鏡を置いて、子どもの表情を見ます。
「人間関係の問題では、“誰が悪いか”を探している間に、“誰が困っているか”を見失うことがあります」
困っている子がいるなら、
まずそこを見る。
それから、
どうして起きたのかを考える。
順番は、
その方がいいのかもしれません。
大人でも同じことをしている
今回のニュースは、
保育園の話です。
でも、
大人の社会でもよくあります。
新人だから。
酔っていたから。
冗談だったから。
昔からこういう人だから。
悪気はないから。
そんな言葉で、
誰かのしんどさを、
少し小さく扱う。
ふて猫は、「事情があります」の札と、「傷つきました」の札を並べます。
「事情を理解することと、傷ついた事実を消すことは別です」
相手の事情を考える。
でも、
受けた側も見る。
この二つは、
両立できます。
明日ドヤれる一言
5歳の子どもが書いた、
「しね ばか だいきらい」。
その言葉を、
どこまで理解していたのかは分かりません。
だから、
子どもを大人と同じように責めればいいわけではありません。
でも、
「子どもだから」で終わらせれば、
今度は傷ついた側が置き去りになります。
ふて猫は最後に、
「悪気はあった?」という質問の下へ、
もう一つ書き足します。
「それで、相手には何が起きた?」
そして、
今日の明日ドヤれる一言。
「問題の大きさは、“言った側がどこまで分かっていたか”だけではなく、“受け取った側に何が起きたか”でも見た方がいいのかもしれません」
読んで納得、明日ちょっとドヤれる。
今日は、
保育園児による行為が「いじめ相当」とされたニュースを入口に、
“子どもだからという理由で、傷ついた側まで小さく見ていないか”
というお話でした。
子どもは、
間違えます。
強い言葉も使います。
だからこそ、
叱って終わるのではなく、
何が起きたのかを大人が丁寧に見る。
言った子には、
言葉を覚え直す機会を。
傷ついた子には、
ちゃんと守られているという安心を。
その両方を残すことが、
大人の仕事なのかもしれません。
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