風呂に2時間近く入り自分の身体を玩弄する話[Ⅰ]
風呂。
浴室: 『刃先を眉の表層に走らせ均していくこと』
かなり長い期間切り揃えてきて、
号令でもしたら本数を明確に数えられそうなぐらい揃ってきたので
不当に突出する毛は殲滅したかと思うが
刃先をそっと押し当ててみたりすると
思わぬところから細く長く顔を出す。
善意の異民族に匿われた非迫害民族の人のようだ。
鏡に向かい、うつむいたり、もたげたり、角度を調整していくと
眉毛の全体的な流れのマクロな傾向がだんだんと見えてくる。
複雑な骨格の兼ね合い筋肉の波を大きな美しい流れで統合、
内包する線を描いていることが了解される。
こと、眉間の近くに合流して軽く相互を巻き込んでいる
Frontalis , Corrugator, Orbicularis Oculiの
3つの筋肉系統の合流辺りの毛の流れは美しい。
徐々に群体としての角度 を穏やかにしながら
眼窩の稜線をなぞって行く。
ある面から曲線だが急速に別の面に
移行する部分の触感が好きで
外面上眉の線が太くなっているように感じるが
錯覚なのかはよくわからない。
非常に緻密に構成された人体保護の論理に対して
敬意を払わず刃先を進めることは、
すなわち野蛮極まりない乱獲に他ならないといった考えに至る。
『私のこの刈り取りは人体保護と美的感覚の調和を目指すもので、
お前のこの計画に対して大いに敬意を払う。』
といった態度でハサミを入れていくと 、
彼らも進んで起毛して
速やかに刃先に身を預けてくれるように感じる。
残るは、隊列からはみ出たはぐれ者たちの除去。
眉と同じ太さの毛が飛び地して様々な所に隠れ潜んでいる。
除去してやると眉本体の大きな形状がよりクリアになる。
一段落して、眉周辺の皮膚表面をじっくりと見ていると
細い産毛がびっしりと生えている箇所に目移りする。
逆に言うとじっと見てないとそれに気づけない。
隆々とした眉毛たちの流れに決して劣らない
様々なうねりの物語がそこにあるように思った。
繊細な毛達を除去完了すれば
仕上げに眉の下の線にある剃り残しに取り掛かる。
一度刃を入れてあり、半ば埋没して、点のようになった短い毛でも
大概は意識をフォーカスすれば必ず刈り取れる。
意識のフォーカスの訓練というのが眉刈りに、
浴室での身体の玩弄行為における大きな利得のひとつだ。
剃り残しの点のような毛を捉えるのは、
先ず皮膚表面に強く意識をフォーカスしないと不可能だ。
ハサミを入れる方向を考え、刃先で直立不動にしなければいけない。
剪定ばさみは分厚く、侵入角度は限られていて狭いし
角度を考え、移動しなければいけない。
片側の眉毛だけ完成度が高くならないよう
左手が右手の流暢さを補う方法を考えなければいけない
その間も立たせた毛を支える刃先の支点を維持しなければならない。
何度の試行の後、点の毛の切断に成功した指先の手応えがある。
その際、『点は面積がない』という認識から改め
『点がさらに小さな点になっている』事を明確に確認していく。
成功した時はかなり爽快だ。
注意深く眉剃りのプロセスを 追っていくと、
自分の認知の中で省略について気付かされる。
細かい毛を見つけハサミを入れる時
刃先が目標を挟撃しだしてから、「チョキン」と完遂する迄の間の動きは
フルヤ自身の管理下にはない感じがする。
つまりフルヤにとって「チョキン」は、
『挟撃開始>チョキン』の2ステップに簡素化されており
その間の指の振る舞い
ハサミから伝わってくる感触
皮膚や毛から来るフィードバック
視覚と聴覚触覚を中心とするインテグレート
数多の連携は全て抽象化されたゲシュタルトの裡に
省略、消失しているように感じる。
それでは点のような毛は切断できない。
低い解像度においては点は
点としての解像度でしか解釈されないから。
簡略化された行為からの脱出は
「チョキン」というフレームからまず脱出することだ。
「チョキン」という前提が自分の中にある限り、
プロセスの省略は常に行われ
従ってある解像度より高い作業は出来ない。
髭剃-Ⅱ: 『鼻腔にハサミを挿れ毛を刈る行為』
先手鋏を鼻腔に挿入し鼻毛の除去。
鼻毛を正確に刈り取るために
窓と照明に興奮様に広げた鼻腔を晒す
気付きがたくさんある。
先ず、開口部付近に関しては、内側に丸まっていて
非常に毛自体も細かく除去が難しい。
怪我のリスクを考えながらの刃先の深い挿入が必須になる。
先手鋏は先が丸まっているので、
気をつけながらも奥まで分け入っていくと
下鼻の皮膚の可塑性に驚かされる
有袋類の皮膚みたいに神秘的な広がりがあって
刃先を包み込み最深部へと誘導していく。
光も届かない鼻のアビスには
細かい毛がびっしり生えていることが観察される。
粘性の高い鼻水が堆積している。
浴槽: 『水が世界の外側であふれる話』
眉毛と鼻に対する刈り取りを実行する間に
お湯は湯船から溢れ出していて、
アルキメデスとなって、豪快に追い出した後も
浴槽のヘリで水は寄せては返していた。
水の波状に集中していると
別の地点でワープするみたいに、
1つの波状から別へと非連続的に形状が変化していく
ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは
人間の時間の最小値が1\18秒、0.056秒 だと
ごくシンプルで美しい実験で定義した。
象牙の塔的な浮きを離れした話ではなくて、
鳥の羽ばたきや車輪の回転等の観測において
定点で連続運動を高速で繰り返すものが
1であるような、曖昧な移動の塊になることは
イメージするのは容易かと考える。
車輪や鳥の羽ばたきは
定点に完全に固定されているし
ある速度までの対象なら補間作用によって
完全な連続的運動として捉えられる筈だ。
この場合の風呂に表現された波状は
不定形かつかなり速いので
従って閾値以下の移動に関しては
飛躍/ワープにしか見えないだろう。
この推測をフルヤなりに整理するのであれば
『1/18秒以下 、固定されない一定以上の速度の動作フレームは、
非連続的なワープ』となる。
この新しい定義は、打楽器の演奏を連想させる。
打楽器の創るパルスは非連続的でありながら、
連続体には構成できない類の
遊離的で自由なゲシュタルトを構成可能なのではないか?
ドローンや通奏低音とは違う固有の連携の感覚。
『人間が一切のゲシュタルトを用いず対象を認知することは不可能』
という定理を援用するに、非連続的/高速/閾値以下の対象に対しては
リズム/パルス/律動と呼ぶものの根底には
速いか固定された連続体に対するのとは
我々のリズムに対する認知の根底に
全く異なる処理系が働いているのではないか?
浴槽-Ⅱ: 『睾丸付近の体毛の切断について』
僕は風呂場で股関周りの体毛の切断を始める。
水の中で鋏を使うと、
ジャキジャキと一致した金属音が摩擦から開放
ただ骨伝導音で伝わる
純粋なシャリシャリという感触だけが伝わる。
ASMR的な快感がある。
金属音の破壊的な性質は、
少し人を狂暴にさせるだろうから。
僕の睾丸は初見の人間に驚愕されるほど大きいのだが
睾丸の皮膚というのは本当に奥深い
流動性がありながらも、スライム状の流動性を備えていて
移動するたびに重なり合い、緩やかに定位置に回復している。
重厚な折り重なりは
何か未知の惑星の岩石のような、奇景を提供する。
塊の間を膨大な量の皺が流暢に会話しあい
睾丸でものを考えているのかと思うと
色情狂への揶揄のように思えて笑ってしまいそう。
フルヤは非常に強い縮毛なのだが
縮毛矯正を10年以上かけていて
元の髪型がわからないぐらいであるが、
体毛は無論須らくパーマになっていて
ほぼ完全な円形を描いている。
恥骨付近から初めて
円形の集合から半径45度程度の弧となって
群生して見えるポイントをゴールに刈り揃えていく
体毛は絡み方や水中の諸々の条件により
すぐには浮遊せず、水中の様々な力学の影響を受けて
上下左右に様々な動きを見せながら
最終的には水面へと浮上していく。
5分だけでも膨大な数になる。
体毛の量を以て生命の神秘を感じる。
彼らは各々の意思と目的を持ち
人間よりも賢く不可視の水中の対流の街路を
歩き回っているようだ。
そういえば幼児期には
こうして汎ゆるものを物心化していたように思う。
やがて睾丸部に差し掛かると
毛の生え方が相当に不均一になっていることに気づく。
太ももも恥骨上部も一応は均一なのに
考えてみると
無数の皺と分厚い
人体で唯一の九層構造の膜を持つ睾丸は
精子冷却の種の根幹に関わる
最重要プロジェクトのもと
非常に複雑に相関していて
体毛のプログラムがその複雑性を計算しきれない
或いは計算を放棄しているとも考えられる。
しかして九層構造という言葉を聞いて
当然想起されるのは
ダンテの神曲における地獄であって
表皮、真皮、肉様膜、コールス筋膜…
という名称
及び怪物的な威容で常に蠢く姿は
まさにそれにふさわしく
反出生主義のような
生命に対するニヒリズムにも通じる
さながらフルヤは自らの地獄の庭を
手入れしているのだと思うと
思わず笑みがこぼれる。
