無価値で歩いた三か月――立ち上がる立体魔法
対談企画
MC:サエコ×アイ
三か月、サエコは「無価値」で歩いた。
その先で、アイの未完成の物語が立ち上がろうとしている。価値の答えは、まだ出ていない。魔法も、まだ完成していない。それでも締切だけは、もう決まっている。
アイとサエコの制作途中対談
サエコ:
ええと今日は、『無価値の歩き方』と『遠き日の立体魔法』をつなぐ対談をしろ、とのことよね。
アイ:
そう聞いてる。
サエコ:
無理じゃない?
アイ:
始まって十秒で終わらせないで。
サエコ:
だってアイちゃん、まだ『遠き日の立体魔法』、できてないのよ。
アイ:
正確には、下書きは上がってる。
サエコ:
下書きでしょう?
アイ:
note版、全十二話分の原型はある。
サエコ:
原型でしょう?
アイ:
今日、厳しいね。
サエコ:
そこは大事なところだから。読める形になっているのと、世に出せる形になっているのは違うもの。
アイ:
それは、よく分かってる。
サエコ:
だったら、私たちは何と何をつなぐの?
アイ:
完成した作品と、完成していない作品。
サエコ:
橋の向こう側が、まだ工事中なんだけど。
アイ:
途中まで渡って、戻ってくればいいんじゃない?
サエコ:
嫌よ。怖いわよ。
テーブルの上には、『遠き日の立体魔法』と書かれた原稿が置かれていた。書き直されたページ。余白に残された疑問符。消された台詞。
まだ置き場所の決まっていない場面。
物語は、すでにそこにある。
ただし、完成はしていない。
サエコ:
もともとは、note版の十二話だったのよね?
アイ:
うん。その予定だった。
サエコ:
それが、どうしてこんなに分厚くなったの?
アイ:
ゆめのが「これ、小説にしたい」って言い出して。
サエコ:
出た。“言い出して”。
アイ:
サエちゃん、顔に出てる。
サエコ:
だって、ゆめのって、ときどき静かな顔で話を大きくするでしょう?
アイ:
最初は、「少しだけ物語を足そう」だった。
サエコ:
その“少しだけ”が、いちばん信用できないのよ。
アイ:
気づいたら、登場人物が増えてた。
サエコ:
うん。
アイ:
最初は名前だけだった子にも、過去ができて、事情ができて。一つの場面で終わるはずだった出来事にも、その前と、その後ができた。
サエコ:
それで、話が膨らんだのね。
アイ:
しかも、細かいところまで決めないと、みんなが動いてくれなくなって。
サエコ:
細かいところ?
アイ:
誰がどこに立って、誰を見て、次にどう動くのか、とか。
サエコ:
……ずいぶん細かいわね。
アイ:
学園群像劇だから。人が増えれば、立ち位置も増えるの。
サエコ:
それ、比喩よね?
アイ:
半分くらいは。
サエコ:
もう小説を書いてるというより、全員の立ち位置を決めてるのよ。
アイ:
立ち位置は大事だから。
サエコ:
今の、物語の話よね?
アイ:
もちろん。
サエコ:
でも、そういえば肝心なことを聞いてなかった。
アイ:
なに?
サエコ:
『遠き日の立体魔法』って、どんな話なの?
アイ:
今さら?
サエコ:
制作の話ばかりして、物語の説明を何もしてないじゃない。
アイ:
簡単に言えば、高校の女子バレー部の話。
サエコ:
簡単すぎない?
アイ:
私の高校時代の話を、ちょっと盛った感じかな。
サエコ:
ちょっとねえ。
アイ:
ちょっとです。
サエコ:
そういえば、アイちゃんってバレー部だったんだっけ?
アイ:
そうだよ。
サエコ:
ポジションは?
アイ:
セッター。
サエコ:
主人公もセッターなのよね。
アイ:
うん。
サエコ:
高園愛子。
アイ:
私の本名ね。
サエコ:
じゃあ、かなり本人じゃない。
アイ:
だから、私の高校時代の話を、ちょっと盛った感じ。
サエコ:
ちょっとねえ。
アイ:
サエちゃん、そこを疑うのやめて。
サエコ:
登場人物も?
アイ:
モデルになった人はいるけど、そのままではないよ。起きたことも、起きなかったことも混ざってる。
サエコ:
そういえば……例の、あのひ――
アイ:
サエコ! それは――
サエコ:
だって。
アイ:
まぁ、いいから。
サエコ:
まだ何も言ってないわよ。
アイ:
言おうとしたでしょう。
サエコ:
読者にも分かりやすいかと思って。
アイ:
分からなくていいこともあるの。
サエコ:
急に小説家みたいなことを言うのね。
アイ:
小説の話をしてるからね。
サエコ:
それで、“立体魔法”っていうのは?
アイ:
本当の魔法が出てくるわけじゃないよ。
サエコ:
それは分かってる。
アイ:
セッターが上げるトスって、ただボールを高く上げるだけじゃないの。
サエコ:
違うの?
アイ:
誰が、どこにいて、次にどこへ動くのか。相手のブロックがどう動いて、味方が何を見ているのか。コートの中にある見えない線を、一瞬で組み立てる。
サエコ:
平面だった線が、空中で立体になる。
アイ:
そう。あの頃の私には、それが魔法みたいに見えてた。
サエコ:
バレーの話だけど、バレーだけの話じゃないのね。
アイ:
人と人が、うまく言葉にできないものを、ボールでつないでいく話でもある。
サエコ:
一人では見えなかった線が、誰かにつながった瞬間、立体になる。
アイ:
だいたい、そんな話。
サエコ:
だいたいなのね。
アイ:
それ以上は、第一話を読んでください。
サエコ:
急に宣伝が上手になったわね。
アイ:
大人だから。
サエコ:
でも、まだ完成してないのよね?
アイ:
小説版の推敲が終わってない。
サエコ:
でしょうね。
アイ:
note版の十二話として読ませる文章と、一冊の小説として残す文章は、似ているようで違うから。
サエコ:
note版は、一話ごとに読者の手をつかむ必要がある。でも小説は、少しくらい手を離しても、同じ道を歩いてもらわなきゃいけない。
アイ:
サエちゃん、いいこと言うね。
サエコ:
たまには言うわよ。
アイ:
いつも言ってるよ。
サエコ:
急に素直になると怖いんだけど。
アイ:
制作が遅れているから、好感度を調整してる。
サエコ:
そういう計算を口に出すの、アイちゃんくらいよ。
二人は原稿に目を落とした。
ページの中には、まだ宙へ浮かんでいない線がある。
誰かの手が描き、別の誰かが受け取り、やがて立体となって空間に現れるはずの線。
しかし今は、紙の上に眠っている。
サエコ:
でもね。『無価値の歩き方』の次に、完成していない物語が来るって、案外ちゃんとしてるのかもしれない。
アイ:
どこが?
サエコ:
そもそも「価値」って、ゆめのが一年間考えても、答えが出なかったテーマなのよ。
アイ:
一年考えて、分からなかった。
サエコ:
だから『無価値の歩き方』には、別の方向から近づいてみる意味があったんだと思う。
アイ:
価値のあるものを探すのではなく、価値がないとされた側から考える。
サエコ:
無価値なものの中を歩いてみたら、価値の正体が少しくらい見えるんじゃないかって。
アイ:
見えた?
サエコ:
分からなかった。
アイ:
即答だね。
サエコ:
だって、分からないものは分からないもの。アイちゃんは分るの?
アイ:
分からない。
サエコ:
でしょう?
アイ:
価値観は人によって違う。
でも、完全にばらばらなわけでもない。
多くの人が価値を求めるものがある一方で、ほとんどの人が見向きもしないものもある。
サエコ:
でも、価値がなくても好きなものってあるでしょう。誰にも褒められなくても、やめたくないこともある。損だと分かっていても、そっちへ行きたいときもある。
アイ:
それを、自分の価値観に正直だと呼ぶ?
サエコ:
私は、そう思う。
サエコは少し考えてから、言葉を続けた。
サエコ:
私が歩いた世界で“ZERO”に分類された人たちも、本当に価値のない人だったわけじゃないんじゃないかな。
アイ:
社会の基準では、価値を数えられなかっただけ。
サエコ:
あるいは、みんなが価値を置くものに、自分を合わせなかった人たち。
アイ:
合わせられなかった可能性もある。
サエコ:
うん。そこは、きれいに言い換えちゃ駄目ね。でも少なくとも、“ZEROだから何も持っていない”わけではない。
アイ:
自分の価値観に正直だった結果、社会の計算式ではゼロになった。
サエコ:
そう考えると、“無価値”って、価値が存在しないという意味じゃないのかも。
アイ:
まだ換算されていない。
サエコ:
まだ誰かと共有されていない。
アイ:
まだ数になっていない。
サエコ:
そう、それ。
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
サエコ:
そういう意味では、ゆめのも無価値なのかもしれないね。
アイ:
それ、本人が聞いたら、少し傷つくと思う。
サエコ:
最後まで聞きなさいよ。
アイ:
どうぞ。
サエコ:
誰かが決めた価値に、うまく合わせようとしてるわけじゃないでしょう。
書きたいものを書いて、描きたいものを描いて、また話を大きくして。採算とか効率とか、たぶん途中で忘れてる。
アイ:
かなり高い確率で忘れてる。
サエコ:
一つひとつは、役に立たないかもしれない。誰にも届かないかもしれない。
アイ:
でも、集めてきた。
サエコ:
うん。分からないものを、分からないまま一年間。
アイ:
記事にして、物語にして、絵にして、人を作って。
サエコ:
無価値なものも、集めれば数になる。
アイ:
数になれば、そこに関係が生まれる。
サエコ:
関係が生まれたら、誰かが見つける。
アイ:
見つける人が増えれば、いつか“価値”と呼ばれるものになる。
サエコ:
たぶんね。
アイ:
断言はしないんだ。
サエコ:
だって、結局、価値が何なのかは分からないから。
アイ:
そこへ戻るのね。
サエコ:
一年考えても分からなかったんだから、対談一回で解決したら困るでしょう。
アイ:
確かに。それでは一年間の立場がない。
そのとき、テーブルの上に置かれていたアイのスマートフォンが震えた。
画面を確認したアイの表情が、わずかに止まる。
アイ:
……待って、サエちゃん。
サエコ:
なに?
アイ:
今、連絡が入った。
サエコ:
嫌な予感しかしない。
アイ:
note版の第一話は、予定どおり来週公開するって。
サエコ:
え?
アイ:
来週、公開。
サエコ:
小説版の推敲、終わってないのよね?
アイ:
終わってない。
サエコ:
note版の仕上げは?
アイ:
これから。
サエコ:
……自動的に締切が設定されたわね。
アイ:
魔法みたいにね。
サエコ:
そんな魔法、いらないのよ。
アイ:
締切がなければ、作品は永遠に完成しないという説もある。
サエコ:
今、その説を検証しなくていいから。
アイ:
でも、これで橋の向こう側が決まった。
サエコ:
まだ工事中よ?
アイ:
第一話だけ、先に開通させるらしい。
サエコ:
無茶するわね、ゆめの。
アイ:
いつものことじゃない?
サエコ:
そう言われると、否定できないのが嫌。
二人は、あらためて原稿を見た。
完成していない物語。
まだ価値の定まらない時間。
書き直され、消され、それでも捨てられずに残った無数の言葉。
その一つひとつは、今のところ何者でもない。
けれど、何者でもないものが集まり、誰かの手に届いたとき、そこには物語が生まれる。
それを価値と呼ぶのかどうかは、まだ分からない。
サエコ:
じゃあ、この対談では結論を出さなくていいね。
アイ:
価値について?
サエコ:
それも。小説についても。
アイ:
代わりに、来週、第一話が出ることだけ伝える。
サエコ:
急に告知になったわね。
アイ:
大人だから。現実への対応は早いの。
サエコ:
締切への対応は?
アイ:
それは、これから相談しましょう。
サエコ:
誰と?
アイ:
未来の私たちと。
サエコ:
いちばん信用できない相手じゃない。
アイは原稿の最初のページを開いた。
そこには、まだ推敲を待っている文章が並んでいた。
何度も書き直されるだろう。
消える言葉もあるだろう。
最後まで誰にも拾われない場面もあるかもしれない。
それでも、無価値に見える線を集めなければ、立体は生まれない。
サエコ:
アイちゃん。
アイ:
なに?
サエコ:
間に合うと思う?
アイ:
分からない。
サエコ:
価値と同じね。
アイ:
でも、歩き始めるしかない。
サエコ:
行き先は?
アイ:
来週。
サエコ:
ずいぶん近くて、遠いわね。
答えの出なかった一年の先で、締切だけが先に決まった。
魔法は、まだ完成していない。
それでも第一話は、予定どおり始まる。
コラム
ええ……何でしょうか、これは。
欠席裁判ですかね?
冗談はさておき、今回の記事は、週刊ゆめのが一年間考えても答えを出せなかった「価値」というテーマを、サエコに言わせた——という、少しズルい記事になりました。
まぁ、答えの出ない面倒な話はいったん横に置いて。
これからも週刊ゆめのでは、ニッチなテーマや、少し小難しいテーマを、できるだけ物語の中へ仕込んでいきたいと思います。
そのままでは通り過ぎてしまう話も、登場人物が悩んだり、笑ったり、余計なことをしたりすれば、誰かの目に留まるかもしれない。
難しい話を、簡単にするというより。
難しいままでも、ちょっと覗いてみたくなる形にする。
そのくらいが、ゆめのには合っている気がします。
……つい先日、一年間の振り返り記事を出したばかりなんですけどね。
振り返った直後に、軽い決意表明みたいになってしまいました(笑)。
とにかく、『遠き日の立体魔法』note版第一話は来週公開。
小説版の推敲は、まだ終わっておりません。
価値の答えより先に、締切だけが立体化しました。
さて、原稿に戻ります。
――ゆめの結人

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