253 「気遣い」と「気を遣うこと」
昔、自分が小中学生の頃、休んだりケガをしたりしても学校から電話がかかってくることはありませんでした。あったのかな。いや、たぶんあったとしてもこういう感じで書くくらいですから、ほとんどなかったはずです。
僕が公立で勤め始めた平成16(2004)年、その頃にはもう先輩の先生がたくさん電話していたように記憶しています。
連絡すること自体は悪くないのですが、僕はいつの間にか、何か起こったら「これを保護者に連絡すべきか否か」をかなり気にするようになっていました。
「先生、そんなわざわざ電話いただいて」とやりとりがあります。そのあとに続くだろう言葉は「ありがとうございます」か「そんなくらいでかけてこなくてええよ」でしょう。結局、後から「あのとき連絡をくれてたら」とかにならないようにと、電話連絡することがいつの間にか先生の仕事のための仕事になっている部分もあるように思います。
高校なら、なおのこと。自分が高校生のとき、休んで担任から「様子どうですか?」とかかかってきたらかえって勘ぐっていたようにさえ思います。でもいまは割と普通のことです。というより、かけないとこっちが心配になるくらい。
また、こういうことで連絡があるのか、とかいうこともあります。僕らの連絡する基準もそうだし、保護者が学校にかけてくる基準もそう。そういうふうになってきたようです。(「こんなことで?」は、お互いなのかな)
一方で、子どもたちは。連絡し忘れたからと言ってさして困っている様子もありません。休んだ次の日、「調子どう?」とかいえば済む話。精神的なことで小休止した子なら「今日ちょっと話す?」といって出方を見るのでも良い。
大人が子どもたちを「そういうふうに」「してしまっている」のではないかな。ちょっとくらい秘密があってもいいし、すみません、昨日電話かけられませんでした、で済むなら済んでほしいなって思いさえします。
気を遣う場面が増えました。気遣いじゃない、気を遣う場面です。切羽詰まっているならまだしも、そうじゃないことには寛容になってほしい、と思うこともあります。やれやれ、ですね。
スギモト
