相手じゃなくて、あなたの人生に戻っておいで
「嫌われたかな」
「怒ってるかな」
「私の何が悪かった?」
「どうすれば元に戻せる?」
人間関係に不安を感じると、私はこんなことを延々と考えることがあります。こういうとき、私はずっと「自分のこと」を考えているつもりでした。
でも最近、気づいたことがあります。私が考えている間、私の意識はずっと「相手の世界」に出張しているのかもしれない、と。
🌕 自分のことを考えているはずなのに
「私の何が悪かったんだろう」
これは一見、自分について考えているように見えます。
でも、実際に見ているのは、
「相手から見た私」
なのかもしれません。
私はどう感じている?
ではなく、
「相手から見て、私はどうだった?」
私はどうしたい?
ではなく、
「どうすれば相手から嫌われない?」
いつの間にか、判断の基準がすべて相手の中にあります。自分について考えているのに、意識はずっと相手のところにあるのです。
🌕 なぜ「嫌われたか」がこんなに重要なのか
そもそも、どうして私はこんなにも、
「嫌われたかな」
が気になるのでしょうか。
私の中では、「誰かに嫌われる」ということがものすごく重大な出来事になっているのだと思います。
相手から嫌われたら、悲しいです。でも
「そっか。この人は私のことが好きじゃないんだな」
「そう思うのも、その人の自由だよね」
と、その人の気持ちとして受け止められることもあるのだと思います。けれど私にとっては、「嫌われた」という出来事をただその人の気持ちとして受け止めることが難しかったのかもしれません。
「嫌われたかもしれない」
と思った瞬間、
「私の何が悪かった?」
「何か間違えた?」
「どうすれば元に戻せる?」
と、一気に思考が飛ぶことがあります。
「この人に嫌われた」が、いつの間にか「私はダメな人間だ」という判定になっていたのです。
だから、相手が私をどう思っているのかがものすごく重要になります。
相手の世界へ出張して、
「私は大丈夫?」
「私はまだ価値がある?」
と、自分の外側に答えを探し続けてしまうのです。
🌕 「相手じゃなくて、あなたの人生に戻っておいで」
そんなとき
「相手じゃなくて、あなたの人生に戻っておいで」
という言葉が、とても心に残りました。
「相手を気にするな」ということではありません。気になるものは、気になります。大切な人との関係ほど、相手の反応が気になったり、何度も考えてしまったりすることもあります。
それでも
「相手はどう思っている?」
から、
「私は今、どう感じている?」
へ。
「どうすれば嫌われない?」
から、
「私はこの人とどうしたい?」
へ。
少しずつ、主語を「相手」から「私」に戻していきます。それが、自分の人生に帰ってくるということなのかもしれません。
🌕 「私はどうしたい?」が分からなくてもいい
とはいえ、
「あなたはどうしたい?」
と聞かれても、すぐに答えられるとは限りません。
「嫌われたくない」
しか出てこないかもしれません。
その先を聞いても、
「分からない」
となることだってあります。
でも、それでもいいのだと思います。大切なのは、立派な答えを出すことではありません。
「私は今、何を感じているんだろう」
「本当はどうしたいんだろう」
と、自分に問いかけてみることです。
すぐに答えが見つからなくても、意識を自分のところへ戻すことはできます。
🌕 相手の気持ちは、相手のもの
自分に非があったのなら謝ればいい。関係を修復するためにできることをすればいい。でも、自分にできることをしたその先で、相手が最終的に私をどう思うかまでは、自分ではどうにもできません。
相手が私を好きになるのか、嫌いになるのか。それは相手の領域です。嫌われても平気になる必要はありません。嫌われたら、傷つくと思います。
ただ、
「誰かに嫌われた」ということを、「私は価値のない人間だ」という判定につなげなくてもいいのです。
私の価値まで、相手の気持ちに預ける必要はありません。
🌕 私の人生へ帰る
「嫌われたかな」
と考えていることに気づいたら。
その気持ちを無理に消す必要はありません。
ただ、
「ずいぶん相手の世界に行っていたな」
と気づいて、自分に問いかけてみます。
「私は今、どう感じている?」
「私は、本当はどうしたい?」
答えが分からなくてもいいのです。何度相手の世界へ出張しても、そのたびに
「相手じゃなくて、あなたの人生に戻っておいで」
と自分に声をかけてみます。
相手の気持ちは相手に返して、私は私の人生へ帰る練習中です。


