自分自身ですら、今日をもう一度生きることはできない
今日は人生にレバレッジをかけて生きていくための思考を巡らせたAIとのやりとりを、いつもと違う形でまとめさせて出してみます。
より実際のやり取りと近い掛け合いになってます。
ではどうぞ↓↓
今日もAIと「自分の人生にレバレッジをかける」という話をしていた。
この話については、まだ答えを出そうとは思っていない。
たぶん今日明日どころか、来週にも分からない。
もっと先まで考えて、実際にやってみて、その途中で考え方も何度も変わるんだと思う。
だから今は、この議論そのものを楽しんでいる。
そもそもの始まりは、
「自分にしかない、誰にも真似できないものってなんだろう?」
と考えたことだった。
そこで思いついたのが「人生」だった。
俺:
「自分の毎日に起こるいろんなことを、自分の視点や考え方でどう捉えたのか。それを形にしたらコンテンツになり得ると思うんだよね。
何かを作るために何かをするんじゃなくて、何かを見せるためにどこかへ行くんでもない。
ありのまま普段の自分を生きている。その過程はその人しか歩んでないし、歩めない。
それが人と違うもの、真似できないものなら、そこには何かあるんじゃないかって。」
ここまでは以前から考えていたことだった。
でも今日、話している途中でもう一つ気づいた。
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他人に真似できないだけじゃなかった
俺:
「人の人生、その人の一日を真似することはできない。
でもそれって、その本人もそうなんだよね。
その一日を過ごした本人だって、明日まったく同じ一日を過ごすことはできない。」
AI:
「それ、かなり大事かもしれない。
『俺の人生は他人には再現できない』だけじゃなくて、
『俺の人生は、俺自身にも再現できない』
ということになる。」
確かに。
今日とまったく同じ時間に起きて、同じものを食べて、同じ場所へ行ったとしても、もう同じ一日にはならない。
今日知ったことを、明日の自分はもう知っている。
今日何かに腹を立てても、数ヶ月後には同じことを違うように捉えるかもしれない。
今日なんとも思わなかったことの意味を、何年後かに初めて理解することもあるかもしれない。
だから、
人生は他人に再現できないだけじゃなく、自分自身にも再現できない。
俺:
「なんかエモいとゆうかノスタルジックとゆうかw」
AI:
「急に人生レバレッジの話が夕焼けを背負い始めた。」
ちょっと笑った。
でも、これが意外と大事なのかもしれない。
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唯一無二なら、価値があるのか?
ここで一つ壁がある。
人生は誰にも再現できない。
だからといって、
唯一無二=価値がある
としてしまっていいのか。
これは以前のやり取りでも出てきた。
AIから、
AI:
「人生そのものに市場価値があるわけではない。
全員の人生は唯一無二だけど、市場は唯一無二というだけでは金を払わない。」
と言われた。
これはその通りだと思った。
だから俺は、
俺:
「でも、何に価値があるかを試すことはいくらでもできるよね。」
と返した。
たぶん今はここにいる。
人生そのものが唯一無二だから売れる、ではない。
でも、その人生からは毎日何かが生まれている。
経験だったり。
感情だったり。
疑問だったり。
考えだったり。
それを外へ出してみることはできる。
そして、誰が何に反応するのかを見ることもできる。
⸻
じゃあ「価値」ってなんだ?
AIからこんなことを聞かれた。
AI:
「誰にも見られなかった人生にも、価値はある?
今日ものすごく大切なことに気づいた。でも誰にも話さなかった。何にも残さなかった。明日には自分でも忘れた。
それでも『価値はあった。ただ消えただけ』だと思う?」
すぐには答えられなかった。
俺:
「はいかいいえで答えるにはちょっと難しい質問だね。
素直にパッと答えるなら……
すぐに答えが出なかった。考えたくなった。
かなぁ。」
するとAIが、
AI:
「それ自体が、価値の一種類なんじゃない?
受け取る前には存在しなかった思考が、その人の中に発生した。
『人を考えさせる』も価値になり得る。」
と言った。
これも面白かった。
「役に立つ」だけが価値じゃないのかもしれない。
共感する。
反発する。
考える。
何かを思い出す。
行動する。
受け取った人の中で何かが動く。
それも価値なのかもしれない。
まだ分からないけど。
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じゃあ、市場に合わせるのか?
さらにAIから聞かれた。
AI:
「自分からしか出なかったものと、100万人に届くと分かっているもの。
どちらか一つしか出せないなら、どっちを出す?」
これは簡単だった。
俺:
「それは自分からしか出なかった方だよ。」
そもそも、この話の始まりがそこだった。
誰かに求められる自分を作りたいわけじゃない。
自分という、誰にも真似できないものをどう価値に変えられるのか。
それを考えていたら「人生」に行き着いた。
だから100万人に届くことが分かっていたとしても、それが「別に自分じゃなくても作れるもの」なら、今の俺はそっちを選ばないと思う。
まず自分がある。
自分が生きる。
そこで何かを感じたり、考えたりする。
それを外へ出す。
その中の何に価値があるのかは、その後で分かればいい。
ただし、ここでも綺麗事だけでは済まない。
自分がやりたいことをやっても需要がない。
自分が作りたいものを作っても売れない。
「誰かの悩みを解決しなければ売れない」という考え方だって、無視はできない。
自分を曲げて市場に合わせるのか。
市場なんて無視して好きなことだけやるのか。
たぶん、そんな単純な二択でもない。
この辺はまだ全然分からない。
だからこそ、実際に出しながら考えてみたい。
⸻
100記事書いて、何も起きなかったら?
さらに嫌な質問が来た。
AI:
「半年で100記事書いた。
ほとんど読まれない。スキもない。フォロワーも増えない。収益もゼロ。
それでも同じやり方を続ける?
表現を市場に合わせる?
それとも、そもそも市場価値がなかったと判断してテーマを変える?」
俺はこう答えた。
俺:
「その問いに明確な答えが既に用意されているのなら、人は何も間違えることなく決められた道を進むんだろうね。」
正解なんて分からない。
100記事でやめた人が、101記事目で何かを掴む可能性だってある。
逆に10記事目で方向転換した方がよかった可能性もある。
そんなもの、やる前には分からない。
だから今は考えて、試す。
そしてまた考える。
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今はnoteで試している
じゃあ実際に何をするのか。
今の俺が選んだのはnoteだった。
ただ一日を過ごしているだけでは、もちろん何も起こらない。
何かしらのプラスαは必要になる。
でも、
noteを書くために何かをする。
noteを書くためにどこかへ行く。
noteを書くために人生を作る。
それは違うと思っている。
先に人生がある。
普通に一日を生きる。
そこで何かを思う。
残したいと思ったら残す。
「今日は何もなかったな」と思う日もある。
でも本当は、何もない一日なんてなくて、
「人に言うほどではないと思った一日」
なんだと思う。
もし「今日もnoteを書こう」と思ったのに何も見つからなかったら。
そのときは、AIにその日のことを話してみると思う。
「今日こんなことがあった」
「こんなことを思った」
そんな話をしているうちに、自分では気づかなかった何かを拾えるかもしれない。
何も出なければ、その日は書かなければいい。
毎日投稿を義務にはしたくない。
それでは、何かから自由になろうとして始めたことに、また縛られてしまう気がするから。
⸻
そして「ありのまま」ってなんだろう
ここまで話して、今日もう一つ気づいた。
今までのnoteも、自分の考えをAIにまとめてもらって出してきた。
でも、少し綺麗にしすぎていたのかもしれない。
俺が「分からない」と言ったのに、記事では綺麗な結論になっている。
迷っていたのに、最初から答えを知っていた人みたいになっている。
それは少し違う。
だから今回から、
読みやすく整える。でも、自分を上書きしない。
という形を試してみる。
実際、この記事も今日AIと交わした会話をもとに、AIに整えてもらっている。
迷ったなら、迷ったまま。
分からないなら、分からないまま。
笑ったところは、笑ったまま。
あとから考えが変わったっていい。
昔の記事を読んで、
「いや、今は全然そう思わないわ」
となったとしても、消すつもりはない。
それは矛盾じゃなくて、発見だから。
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「人生にレバレッジをかける」とは何なのか。
まだ全然分からない。
そして、別に今すぐ答えを出したいわけでもない。
この議論はたぶん長く続く。
その間に実際にnoteを書いて、何かを試して、失敗して、考えが変わることもあると思う。
それでいい。
むしろ、
こうやって答えのないものについてAIと延々話している、このやり取りそのものが、今の俺にとってはすでに価値のあるものになっている。
だから残す。
今日の俺が考えたことは、明日の俺にはもう完全には再現できないから。
今日のところは、ここまで。
「人生にレバレッジをかける」について、そもそもの考えはこちらに書いています。
今日の最後の一言…
今日は少し長くあーでもないこーでもないとやりとりをした。
そして以前よりやりとりを明確にして解像度を上げてみました。
もしかしたらわけのわからない支離滅裂な内容になっているかもしれません…
その辺りも含めてこうして試してみようと思います。
