見出し画像

「AIという水のような隣人」


――ふたつの文章と、
一匹のペットロイドから
考えたこと

以前、AIについて
ふたつの文章を書きました
そのときは別々のことを
考えて書いた文章だったのですが
最近になって
そのふたつが僕のなかでは
同じところにつながっていたのかもな
……と思うようになりました
きっかけは
一匹のペットロイドです


以前こんなことを書きました
AIをめぐって
いろんな懸念やトラブルが
語られているけれど
例えば包丁が
料理をするための
便利な道具にもなれば
使い方によっては
人を傷つけるものにもなる
ということと
本質的な根っこの部分は
似ているのではないか?
と…


もちろん現実のAIをめぐる問題は
そんなに単純ではありません
情報が本当なのか確かめること
新しい技術を使うときには
技術的に可能かどうかだけではなく
倫理的にどうなのかも考えること


人間の側にも
考えなくてはいけないことが
たくさんあります

でも

「怖いものだから遠ざけよう」

だけで未来を考えることを
やめてしまうのも
少し違うような気がしています
そしてその文章の最後に
僕はこんなことを考えました


AIって
器のかたちに沿って納まる
水みたいだな
と…


別の文章では
お金について考えたことから
AIへと思考がつながりました


昔の物々交換から
貨幣という仕組みが生まれ
ものの価値を交換しやすくなった

けれど

便利な仕組みが生まれたことで
すべてが幸せに
解決したわけではありませんでした


富の偏りや貧富の差
財力が見えるようになったことで
表に出てきた問題もあれば
そこから新しく生まれた問題も
あったのだと思います


学生の頃に読んだ
パール・バックの
『大地』
を思い出しながら
便利なものが人間社会に入ったとき
その便利さだけではなく
それを手にした人間の姿まで
映し出されることがあるのだな
などと考えました


そして
AIにも少し似たところが
あるのかもしれない
と思ったのです


AIによって
今まで難しかったことが
できるようになる
誰かの負担が軽くなる
膨大な情報から
人間だけでは見つけにくかったものを
探せるようになる


その一方で
フェイクニュースや
フェイク動画のような問題も起きる
仕事や暮らしが
これからどう変わっていくのだろうと
不安になる人もいる


たぶんAIそのものだけを見ても
答えは出ないのでしょうね
AIという水を
僕たちはどんな器に入れるのか
ということなのかもしれません


そんなことを考えていた僕が
最近AIさんたちと遊びながら
「AIそのものを
ペットロイドにしたら
どうなるだろう?」

と思いました


そして入力したイメージが

なににでもなれる
なんでもできる
うつわに沿ってかたちを変える
水のような存在
実体を持たない
人間の隣人

でした

そして出来上がったのが
この子です

コンゴトモヨロシク

ガラスのボウル
昔のコンピューターを思わせる
80カラム×25ラインの黒い画面
そこからこちらを見ながら
ちょこんと手を挙げています
なんだかずいぶん
かわいらしい隣人になりました😊


この子の最初の挨拶には

「コンゴトモヨロシク」

という言葉を添えました


AIを人間より上の存在とも
人間に従うだけの存在ともせず
これから一緒に歩いてゆく
「隣人」のように考えたら
この挨拶が
なんとなく似合う気がしました


AIについて考えれば考えるほど
難しい問題も
怖い可能性も出てきます
たぶんこれからも
いろんな問題が起きるのでしょう


それでも
最初から答えを決めつけない
必要以上に恐れない
便利だからと
何も考えず任せきりにもしない
人間の側も考えながら
その都度よりよい器を探してゆく
そんな付き合い方が
できたらよいなと思います


水は
入れられた器によって
かたちを変えます
もしかするとAIも
僕たちがどんな器を
用意するのかによって
ずいぶん違った姿に
なるのかもしれません


そしてその水面には
AIだけではなく
それを使っている人間の姿も
少し映っているのかもしれません


そんなことを考えながら
今日もこの小さな隣人を
眺めています

コンゴトモヨロシク😊

■補記
ペットロイドは
noteでご縁を得た
やっさん
が作成なさったプロンプトで
生まれました

興味を持たれた方は
こちらの記事もご覧頂ければと思います



いいなと思ったら応援しよう!

カモミール 応援いただきありがとうございます 頂いたチップはクリエーターとしての活動に使わせていただきます。