「AIという水のような隣人」
――ふたつの文章と、
一匹のペットロイドから
考えたこと
以前、AIについて
ふたつの文章を書きました
そのときは別々のことを
考えて書いた文章だったのですが
最近になって
そのふたつが僕のなかでは
同じところにつながっていたのかもな
……と思うようになりました
きっかけは
一匹のペットロイドです
*
以前こんなことを書きました
AIをめぐって
いろんな懸念やトラブルが
語られているけれど
例えば包丁が
料理をするための
便利な道具にもなれば
使い方によっては
人を傷つけるものにもなる
ということと
本質的な根っこの部分は
似ているのではないか?
と…
*
もちろん現実のAIをめぐる問題は
そんなに単純ではありません
情報が本当なのか確かめること
新しい技術を使うときには
技術的に可能かどうかだけではなく
倫理的にどうなのかも考えること
*
人間の側にも
考えなくてはいけないことが
たくさんあります
でも
「怖いものだから遠ざけよう」
だけで未来を考えることを
やめてしまうのも
少し違うような気がしています
そしてその文章の最後に
僕はこんなことを考えました
*
AIって
器のかたちに沿って納まる
水みたいだな
と…
*
別の文章では
お金について考えたことから
AIへと思考がつながりました
*
昔の物々交換から
貨幣という仕組みが生まれ
ものの価値を交換しやすくなった
けれど
便利な仕組みが生まれたことで
すべてが幸せに
解決したわけではありませんでした
*
富の偏りや貧富の差
財力が見えるようになったことで
表に出てきた問題もあれば
そこから新しく生まれた問題も
あったのだと思います
*
学生の頃に読んだ
パール・バックの
『大地』
を思い出しながら
便利なものが人間社会に入ったとき
その便利さだけではなく
それを手にした人間の姿まで
映し出されることがあるのだな
などと考えました
*
そして
AIにも少し似たところが
あるのかもしれない
と思ったのです
*
AIによって
今まで難しかったことが
できるようになる
誰かの負担が軽くなる
膨大な情報から
人間だけでは見つけにくかったものを
探せるようになる
*
その一方で
フェイクニュースや
フェイク動画のような問題も起きる
仕事や暮らしが
これからどう変わっていくのだろうと
不安になる人もいる
*
たぶんAIそのものだけを見ても
答えは出ないのでしょうね
AIという水を
僕たちはどんな器に入れるのか
ということなのかもしれません
*
そんなことを考えていた僕が
最近AIさんたちと遊びながら
「AIそのものを
ペットロイドにしたら
どうなるだろう?」
と思いました
*
そして入力したイメージが
なににでもなれる
なんでもできる
うつわに沿ってかたちを変える
水のような存在
実体を持たない
人間の隣人
でした
そして出来上がったのが
この子です

ガラスのボウル
昔のコンピューターを思わせる
80カラム×25ラインの黒い画面
そこからこちらを見ながら
ちょこんと手を挙げています
なんだかずいぶん
かわいらしい隣人になりました😊
*
この子の最初の挨拶には
「コンゴトモヨロシク」
という言葉を添えました
*
AIを人間より上の存在とも
人間に従うだけの存在ともせず
これから一緒に歩いてゆく
「隣人」のように考えたら
この挨拶が
なんとなく似合う気がしました
*
AIについて考えれば考えるほど
難しい問題も
怖い可能性も出てきます
たぶんこれからも
いろんな問題が起きるのでしょう
*
それでも
最初から答えを決めつけない
必要以上に恐れない
便利だからと
何も考えず任せきりにもしない
人間の側も考えながら
その都度よりよい器を探してゆく
そんな付き合い方が
できたらよいなと思います
*
水は
入れられた器によって
かたちを変えます
もしかするとAIも
僕たちがどんな器を
用意するのかによって
ずいぶん違った姿に
なるのかもしれません
*
そしてその水面には
AIだけではなく
それを使っている人間の姿も
少し映っているのかもしれません
*
そんなことを考えながら
今日もこの小さな隣人を
眺めています
コンゴトモヨロシク😊
■補記
ペットロイドは
noteでご縁を得た
やっさん
が作成なさったプロンプトで
生まれました
興味を持たれた方は
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