見出し画像

カメラ越しの時間|#1 なぜカメラを始めたのか 本当の理由

noteを最後に書いたのは2年前であるとを見てびっくりしたままこの記事を書いています。

これからカメラを通して感じたことはこの「カメラ越しの時間」シリーズで文字で残していきたいと思います。

お久しぶりです。
cuvikF(キュビックエフ)です。

先日2台目となる交換型ミラーレスカメラ OM-5 MarkⅡ を購入しました。
なんでOM-5?というのは別の機会にお話しするとして、この機会に何度もその機会を逃してはいつか整理したいなと思っていた、「カメラを始めた理由」について書き残そうと思います。

カメラを始めた流れに関しては自己紹介で書きましたが、今回はカメラを始めた根本的な理由です。

いつか読むかもしれない息子のためにも書くので、真面目に書きます。
堅苦しかったらごめんなさい。

スマホで完結できるこの時代になぜカメラなのか

自己紹介でも触れましたが、若いころ携帯電話の代理店で働いていました。
折りたたみの携帯電話が全盛期の時代で、iphoneに始まるスマホの勢いも見てきました。
携帯・スマホについたカメラの性能の向上も見てきましたし、そもそもそんなに良くしてどうするの?と思っていたくらい、カメラや写真には興味がありませんでした。

息子が生まれて、息子の動画を綺麗に残したいと思ったのが始まりでLUMIX S5を購入し、たくさん動画を撮り始めました。それと同時に自然な流れで写真も始めました。

自分が見た世界を残したいと思った

動画は息子の様子を綺麗に残したいというどちらかと言えば、「自分たちがあとで見て楽しめる」ことが目的でした。
しかし写真を撮るようになって、「その瞬間を1枚の画像に残す体験」をしてから、「ああ、自分が見た世界を息子に残したい」と思ったわけです。

なぜ残したいのか。

もともと私は目が良くありません。
眼球が半球型で極度の乱視です。
早い話が治りません。
悪くなる一方です。
カメラに興味が出始めた頃、年齢も相まってか、ちょうど視力の低下を感じていた頃でした。(飛蚊症も出ていました)
あ、きっと遠くない未来に「見えなくなるな」と思っていました。
真っ暗になるという意味ではなくて、
きれいなものを綺麗に、
うつくしいものを美しく、
いやなものは嫌な感じに、
見えなくなるなということです。
伝わりにくいかもしれませんが、今ほどはっきりしない世界になるなと思ったのです。

私は今息子に教育をしている時期です。
息子は今は私や妻から倣い、いずれ私たちが息子から新しい世界を教えてもらうことになるでしょう。
そして息子もいずれ自分の子どもに教えるときがくるでしょう。
そんなときに私が日常をどのように見ていたのかを残し、知ってほしいと思ったのです。
目が悪くなってから見える世界はきっとまた違ったものになると思います。
今息子を見ているその目でどのように世界を見ているのか、どんな色に写っているのか、どういう目で当時の息子を見ていたのか、それを残したいと強烈に思ったのです。今でもその強烈な感情は覚えています。

息子の世界を見ておきたい

息子が何を見ているかも知りたいと思いました。
子どもは大人に喜んでほしいと思う生き物です。
だから大人が喜ぶようなことをしようとするし、大人が喜ぶような表情をしようとします。
ときには本人の意思とは異なり、大人が喜ぶような選択をすることもあります。

ふとした瞬間、私の息子は何を見て、何を考えているのだろう。
ふとした瞬間、私の息子が気になって奪われる視線の先に何があるのだろう。

そんなことを考えるようになりました。

写真で何かが分かるわけでもないかもしれません。
それすらも大人が喜ぶ写真を撮るのかもしれません。
でも見てみたいなと思ったのです。

まばたきをしたその瞬間に、瞼に何が残るのか。

だから続かないかもしれないということで2年前だったかと思います。LUMIX G3 を中古で買い与えました。
そして他にもいろいろ理由はありましたが、先日OM-5 MarkⅡを買い与えました。

とにもかくにも写真は記録写真でしかないし、記録写真で良い

これらの経験を経て、カメラや写真について整理できたことがあります。

カメラや写真はとかく議論を巻き起こしがちですが、私は
「写真は記録写真でしかないし、記録写真で良い」
「カメラは記録機械であり、記録機械で良い」のだと思います。
真実を写すから写真とか、世界観を作るとか、いろいろ言い方や考え方はありますが、結局は「その時見たもの、残したいと思った世界観」を「記録」するわけですよね。

だからスマホについているカメラだってカメラだし、一眼ミラーレスカメラだってカメラです。
結局記録する機械です。
全ての記録写真はその人の背景や人生を写し残す記録です。

良いも悪いもありません。
ただそれだけ。
でもそれだけがその人にとってかけがえのないものになり得るわけです。

そう、かけがえのないもの、それが写真だと思います。
だから残したくなるのかもしれません。

自分のために撮っていると思っているその写真は、誰かのための写真なのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございます。
乱筆乱文多謝。

いいなと思ったら応援しよう!