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魔術から魔女へ―中世の想像力が生んだ知と恐れ―

     今回は、『ヨーロッパ中世の想像界』、第3部 聖と魔から、第3章「魔術師ウェルギリウス」、第4章「魔女の先駆け」、第5章「魔女のダンスとサバトの成立」です。扉の版画は、ハンス・バルドゥング・グリーン《魔女たち》1510年、キアロスクーロ木版画、メトロポリタン美術館蔵、Public Domain.です。

     第3部「聖と魔」のうち、「魔術師ウェルギリウス」「魔女の先駆け」「魔女のダンスとサバトの成立」を読んで印象的だったのは、中世の魔的なものが、最初から単純な悪として描かれていたわけではないということである。聖なるものと魔なるものは、近代的な感覚のようにはっきり分けられていたわけではなく、むしろ互いに近い場所にあった。そこに、中世の想像力の面白さがある。

    魔的なものは、最初から「悪」ではなかった

     まず、魔術師ウェルギリウスが面白い。ウェルギリウスは古代ローマの詩人でありながら、中世には魔術師として想像された。ここでの魔術は、ただの悪ではない。むしろ、知識、技術、予言、驚異を結びつける力である。

     魔術師ウェルギリウスの逸話で印象的なのは、彼が単に偉大な知者として描かれるだけではない点である。ウェルギリウスは、女性に会いに行こうとして塔の途中まで籠で吊り上げられるが、そのまま放置され、町の人々の笑いものになる。知恵ある魔術師でありながら、恋愛の場面ではあっけなく罠にはまり、宙吊りにされるのである。

     しかし物語はそこで終わらない。彼はその仕返しとして、町中の火を消してしまう。そして人々は、ある女性の身体を通してしか火を得られなくなる。この場面は、現代から見るとかなり露骨で、女性を辱めるような笑いである。けれども、中世の物語として見ると、ここには「男が女に笑われたあと、魔術の力で女を笑い返す」という構造がある。

     では、なぜ男性たちはこのようなエピソードを喜んだのか。第一に、それは知者である男性が恋に失敗するという滑稽さがあるからである。偉大な詩人であり魔術師であるウェルギリウスでさえ、女性にはだまされる。この落差が笑いを生む。第二に、そこには女性への恐れがある。男性中心の社会では、女性はしばしば誘惑する者、男性を堕落させる者、理性を失わせる者として語られた。ウェルギリウスの失敗は、どれほど賢い男でも女には負けるという不安を表している。第三に、その不安を打ち消すために、物語は最後に男性側の復讐で終わる。女性に辱められた男性が、魔術によって都市全体を支配し、女性の身体を笑いの対象に変える。つまりこの話は、男性の敗北をいったん見せたうえで、最後には男性の権力を回復する物語になっている。

     だから、この逸話は単なる下品な笑いではない。そこには、女性に対する欲望、恐れ、屈辱、復讐が混ざっている。男性たちはこの話を通して、女性に翻弄される不安を笑いに変え、最後にはその不安を支配し直す快感を得ていたのだと思う。この点で、魔術師ウェルギリウスは世界の秘密を知る者であると同時に、女性に負ける男でもある。そして、その負けを許せない男性的想像力が、魔術による復讐の物語を生み出している。

    魔女は、男性の不安が作り出した存在でもある

     このウェルギリウスの逸話を読んだあとで、「魔女の先駆け」「魔女のダンスとサバトの成立」を読むと、魔女という存在が少し違って見えてくる。魔女は、単に悪魔と結びついた邪悪な女ではない。むしろ、男性社会が抱えていた女性への欲望、不安、恐れ、支配欲が集まって作られた存在なのではないかと思う。

     魔術師ウェルギリウスの話では、女性は男性を誘惑し、恥をかかせる存在として描かれる。しかし物語の最後では、男性であるウェルギリウスが魔術によって仕返しをする。つまり、女性に負けた男が、もう一度女性を支配し直す話になっている。ここには、女性への恐れと、女性を支配したいという感情が同時にある。

     魔女のイメージも、この延長線上にあるように思える。魔女は、夜に集まり、踊り、身体をさらし、悪魔と交わる存在として語られていく。ここでは、女性の身体、欲望、集団性が、すべて不気味なものとして描かれる。つまり、女性の自由な身体や欲望が、男性社会にとって恐ろしいものとして想像されたのである。

     サバトの成立は、その恐れが一つの形を持ったものだと思う。最初は、あいまいな不安だったものが、魔女の集会、夜の踊り、悪魔との契約という物語にまとめられていく。見えない不安に形を与えることで、人々は敵をはっきりさせることができる。しかし、その結果として、女性や周縁的な人々が魔女として名指しされ、排除されることにもなる。ここで重要なのは、魔女が発見されたのではなく、作られていったという点である。人々は、災害、病気、不作、性的な不安、社会の乱れなど、説明しにくいものを魔女という像に集めていった。魔女は、社会の不安を背負わされた存在だったのである。

    笑われた魔術師と社会の不安を背負わされた魔女にみる対称性

     そう考えると、魔術師と魔女は対照的である。ウェルギリウスのような男性の魔術師は、危険ではあっても、知恵や力を持つ人物として面白がられる。一方で、女性が魔的な力を持つと、それは笑いではなく恐怖になる。男性の魔術は知や驚異として語られ、女性の魔術は危険や逸脱として語られる。この差に、中世社会のジェンダー観がはっきり表れている。

     魔女のダンスやサバトは、たしかに奇妙で幻想的なイメージである。しかしその背後には、女性の身体をどう見るか、女性の欲望をどう管理するか、共同体の不安を誰に負わせるかという、かなり現実的な問題がある。だから魔女の物語は、単なる迷信ではない。社会が自分たちの不安を処理するために作り出した、恐ろしい想像力の産物なのである。夜、踊り、身体、女、悪魔、集会という要素が結びつき、サバトという強いイメージが成立する。魔女は、現実に何をしたかというより、人々が何を恐れたかを映す鏡になっていく。

    中世の想像力の二面性

     ここに、前に読んだ天使との大きな違いがある。天使は、人間と神、地上と天上をつなぐ中間的存在だった。人間を守り、導き、見えない世界との橋渡しをした。ところが魔女は、同じく境界にいる存在でありながら、守るものではなく、疑われ、排除されるものになっていく。つまり中世の想像力は、中間的存在を豊かに生み出す一方で、その中間性を恐怖の対象にも変えてしまうのである。

     とくにサバトの成立は、想像力が制度化される瞬間のように見える。最初は曖昧だった不安が、魔女の集会、悪魔との契約、踊り、夜の儀礼という形を与えられることで、はっきりした敵になる。見えない不安に形を与えることは、人間に安心を与える。しかしその安心は、誰かを魔女として名指しし、排除することで成り立ってしまう。

     ここに、中世の想像力の二面性がある。見えないものに形を与える力は、天使や聖心のような美しい象徴を生む。一方で、その同じ力は、魔女やサバトのような恐怖の象徴も生み出す。中世の想像界は、合理的・科学的な世界観が一般化する以前に、人間が不安や願いを形にして生きていた世界である。だからこそ、そこには明るさと怖さが同時にあり、強く、豊かな想像力が息づいている。


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