ヨメコンダ
我が家には、巨大なアナコンダが生息している。
嫁である。
正式名称は「ヨメコンダ」。
南米の湿地帯ではなく、埼玉県の二階建て住宅に生息している。
大きさ
アナコンダは、世界最大級のヘビである。
特にメスはオスよりはるかに大きく、太く、重い。
我が家も同じだ。
結婚式では、私が嫁を抱き上げる予定だった。
腰を入れ、両腕でしっかり支えた。
持ち上がらなかった。

嫁だけでなく、床の一部まで一緒に持ち上げようとしていた可能性がある。
「もっと本気出してよ」
ヨメコンダは笑っていた。
本気を出したら、夫のほうが先に壊れる。
生息地
アナコンダは半水生で、川や沼などの水辺を好む。
ヨメコンダも同様に、一日の大半を浴槽で過ごす。
湯船の中で体を丸め、水面から目と鼻だけを出している。
私が浴室の扉を開けると、こちらを無言で見てくる。
完全に沼の捕食者である。

「まだ入ってるの?」
「今、温まったところ」
すでに一時間半が経過している。
アナコンダは水中での活動に適した体を持つ。
ヨメコンダは風呂の中で、動画を見て、飲み物を飲み、本を読み、ときどき眠る。

生態系が浴槽だけで完結している。
動き
アナコンダは巨大な体を持つため、陸上での動きは速くない。
ヨメコンダも、家の中では遅い。
ソファから立ち上がるだけで、いくつもの工程がある。

まず、ため息をつく。
次に、両手をソファへつく。
少し前後に揺れる。
「よいしょ」と言う。
失敗する。
もう一度揺れる。
「せーの」と言う。
それでも立たない。
やがて私を呼ぶ。
「ちょっと引っ張って」
私はヨメコンダの移動を補助する、専用の流木である。

しかし、獲物を発見したときだけ動きが変わる。
台所で私が肉を焼いていると、音もなく背後に現れる。

足音はしない。
気配もない。
振り向いたときには、皿が一枚減っている。

食欲
アナコンダは、獲物をかまずに丸のみする。
大きな獲物を食べたあとは、長期間何も食べずに過ごすこともある。
ヨメコンダも、大量に食べたあとは動かなくなる。

焼肉を食べた夜、嫁はソファの上で横たわっていた。
腹部が大きく膨らみ、呼吸だけをしている。
「苦しい」
「食べすぎだよ」
「しばらく何も食べられない」
その十五分後。
「アイスある?」

ヨメコンダには、野生のアナコンダには存在しない別腹がある。
これは進化である。
狩り
アナコンダは、獲物を追い回さない。
水中に身を隠し、近づいてきた獲物を待ち伏せする。
ヨメコンダも、家事を追いかけない。
ソファに身を沈め、夫が近づくのを待つ。
前を通った瞬間、声が飛んでくる。

「ついでにお茶」
台所から戻る途中で再び前を通る。
「リモコン取って」
リモコンは嫁の右手から二十センチの場所にある。

「自分で取れるでしょ」
そう言うと、ヨメコンダはじっとこちらを見る。
動かない。
まばたきもしない。
これは持久戦である。
アナコンダは数十分でも数時間でも獲物を待てる。
対して夫は、三秒で負ける。

締めつけ
アナコンダは獲物に巻きつき、強い力で締めつける。
ヨメコンダも、眠ると夫に巻きつく。
最初は腕一本である。
次に脚が乗る。
さらに布団ごと体を寄せてくる。
深夜には、完全に捕獲が完了している。

私が少し動くと、締めつけが強くなる。
「重い」
返事はない。
「苦しい」
返事はない。
顔を見ると、ヨメコンダは熟睡している。
無意識で獲物を固定しているのだ。
アナコンダの締めつけは、獲物が息を吐くたびに強くなるという。
ヨメコンダの場合、私が布団を取り戻そうとするたびに強くなる。

脱皮
アナコンダは成長するために脱皮する。

ヨメコンダも、帰宅すると玄関から寝室までの間に脱皮する。
玄関に上着。
廊下に靴下。
ソファにズボン。
洗面所にシャツ。
抜け殻をたどっていくと、寝室で別の服に着替えた本体が発見される。

「脱いだ服、片づけて」
「あとでやる」
自然界のアナコンダは、自分の抜け殻を洗濯機には入れない。
ヨメコンダも入れない。
体温
アナコンダは変温動物であり、周囲の温度によって活動性が変化する。
ヨメコンダも寒い朝は動かない。
布団の中で丸まり、顔だけを出している。
「起きる時間だよ」
反応なし。
「遅刻するよ」
目だけが開く。
「暖房つけて」
暖房をつけると、十分ほどかけてゆっくり動き始める。

ヨメコンダの起動には、外部からの加熱が必要なのである。
ただし夏になると、今度は冷房の前から動かなくなる。
適温の範囲が非常に狭い。
危険性
アナコンダは恐ろしい生き物と思われているが、人間を積極的に襲うことは少ない。
ヨメコンダも基本的には温厚である。
十分な食事。
適切な室温。
長時間の入浴。
静かな睡眠。
この四つが確保されていれば、危険はない。
ただし、空腹時に不用意に近づいてはいけない。
先日、夕食の準備が遅れた。
ヨメコンダはソファから、じっと私を見ていた。
「もう少しでできるから」
返事はない。
「怒ってる?」
返事はない。
私は急いで料理を運んだ。
ヨメコンダはゆっくり上体を起こし、料理を見た。
そして言った。
「少なくない?」
その瞬間、私は理解した。
アナコンダにとって夫とは、つがいではない。
非常食である。

いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! 