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「メディアミックス」は古びていない、安くなっただけだった

「メディアミックス」という言葉を久しぶりに聞いて、少し懐かしくなりました。

テレビ、雑誌、新聞、ラジオ、Web。いろいろな媒体を組み合わせて、同じ商品を届けていく。昔はそんな説明をよく聞いた気がします。

今はあまり言いません。代わりに、コンテンツマーケティング、SNS運用、オムニチャネル、リパーパス、クロスメディア。そういう言葉が並ぶようになりました。

でも、やっていることはむしろ昔より「メディアミックス」っぽい。

noteで長めの記事を書く。その一部をInstagramに載せる。YouTubeで話す。メルマガで補足する。Xで一言だけ切り出す。Webサイトに集約する。

一つのテーマが、いろいろな場所を行ったり来たりします。

なので最初は、「言葉は古びたけれど、中身は残っている」という話を書こうと思っていました。

調べてみたら、そうではありませんでした。


そもそも、この言葉は死んでいない

「メディアミックス」は、いまも現役の用語です。ただし、広告とは別の業界にいます。

この言葉には、二つの系統があります。

一つは広告の系統。複数の媒体を組み合わせて広告を出す、というメディアプランニングの用語です。

もう一つはコンテンツの系統。一つの作品を、小説・漫画・アニメ・映画・ゲームへ横展開する。日本ではこちらの意味が独自に発達し、アニメやゲームの業界では今でも普通に使われています。

つまりこの言葉は、廃れたのではなく、引っ越しました。

そして、私が懐かしいと思っていたのは広告の用語のほうです。そこで、そちらが実際どういう概念だったのかを調べました。


昔のメディアミックスも、「何回会うか」の話だった

昔のメディアミックスを「いろいろな場所で見せる」発想だと思っていました。今のほうが人の動きに近く、接点の設計になっている、と。

逆でした。

広告のメディアプランニングは、最初から「何人に、何回届くか」の設計です。リーチ(広告を見た人の数)とフリクエンシー(1人あたりの特定の広告を見た回数)。限られた予算を、どの媒体にどう配分すれば、狙った層に必要な回数届くか。

しかも「必要な回数は何回か」という議論には、それなりの歴史があります。

1972年、ハーバート・クルーグマン(Herbert E. Krugman)が「なぜ3回の露出で足りるのか」という論文を発表しています。1回目で気づき、2回目で考え、3回目で思い出す、という段階論です。

1979年には、マイケル・ネイプルズ(Michael J. Naples)が『Effective Frequency』を全米広告主協会から刊行し、有効フリクエンシーという概念を広めました。以後、テレビの出稿計画では「3回」が長く前提として使われます。

つまり、「何回会えば効くのか」は、半世紀前から議論されていた問いです。「今のほうが接点の設計になっている」と思ったのは、単に知らなかったからでした。

そして、この議論には決着がついていません。

1990年代には反対の主張が出ます。エルウィン・エフロン(Erwin Ephron)は1997年に、購買が近いタイミングでの1回の接触のほうが重要であり、出稿は回数より到達の広さを優先すべきだと論じました。

「接点を増やすほど効く」は、業界の常識ではありません。むしろ、ずっと争われている論点です。


では、何が変わったのか

言葉の意味は変わっていない。発想も新しくない。

変わったのは、値段です。

昔、リーチとフリクエンシーを設計するには、媒体を買う必要がありました。テレビと雑誌を組み合わせる、という話が大きな広告会社の仕事に見えたのは、実際に大きなお金が要ったからです。

今は、同じ設計を自分で組めます。

noteで初めて知る。数日後にInstagramで見かける。YouTubeで話しているのを見て、なんとなく人柄が分かる。そのあとメルマガが届く。しばらくして、必要になったときにWebサイトを見る。

一人の相手に、違う場所で何度も会う。

やっていることは、1979年の教科書と同じです。違うのは、それが広告費ではなく手間で買えるようになったこと。

古びたのは概念ではなく、その概念を実行するための参入コストのほうでした。

これは、たぶん思っていたより大きな変化です。


ただし、増やせば効くわけではない

ここで、疲れる話をします。

Instagramも、YouTubeも、noteも、メルマガも、全部毎日更新。これは、たぶんメディアミックスではなく修行です。

ただ、疲れるのは送り手だけではありません。

接触と好意の関係には、単純接触効果という古典的な研究があります。繰り返し触れたものほど好ましく感じる、というものです。

重要なのは、その効果に上限と反転が知られていることです。

ボーンスタイン(Robert F. Bornstein)が1989年に208件の研究をまとめたメタ分析では、効果は頑健である一方、接触回数によって強さが変わり、飽きが制約条件として働くことが指摘されています。バーラインの二要因説では、初期の繰り返しは慣れによる快をもたらすが、続けると退屈が生じる。二つを足すと、好意は上がって、頂点を打って、下がります。逆U字です。

2017年のモントーヤらの再検討でも、同じ形が確認されています。

そして、そのピークが何回目にあるかは、刺激の複雑さや、間隔や、もともとの新しさによって動きます。普遍的な正解の回数はありません。

つまり、こういうことになります。

接点を増やすことには、明確な上限がある。しかしその上限が何回目かは、事前には分からない。


だとすれば、必要なのは仕組みのほう

ここが一番面白いところだと思います。

上限があって、その位置が事前に分からないなら、増やす設計と同時に、増やしすぎを検知する仕組みが要ります。

そしてDRMなら、その材料は手元にあります。

開封率。
解除率。
ミュート。
フォロー解除。
返信の減り方。

全部、受け手が「もういい」と言っている信号です。広告の時代には、これを買わなければ測れませんでした。今は、同じものが無料で自分の管理画面に出ています。

安くなったのは、接点を作る側だけではない。飽きを検知する側も、同じくらい安くなっています。

いま考えるべきは「どの媒体を増やすか」ではなく、たぶんこの二つです。

同じ人と、どこでもう一度会うか。そして、会いすぎたことを、何を見て知るか。


役割を分けるのは、疲労対策ではない

媒体ごとに役割を分ける、という話をよく聞きます。

noteでちゃんと考えを書く。Instagramでは入口だけ見せる。YouTubeでは話し言葉にする。メルマガではその後の話をする。

これは作業を減らすための工夫だと思っていました。

でも、逆Uの話を踏まえると、別の意味が出てきます。

飽きが接触の内容に対して起きるのなら、同じ角度で何度も会うことが問題であって、接触回数そのものが問題とは限りません。だとすれば、媒体ごとに角度を変えることは、回数を稼ぎながら、飽きの到達を遅らせる方法として考えられます。

役割分けは、送り手が楽をするためではなく、受け手を飽きさせないための設計かもしれない。

もっとも、これは自分の推測です。逆U字の研究は広告の運用を対象にしたものではないので、そのまま持ち込めるとは言い切れません。


役割分けは飽きを遅らせるのか?

「メディアミックス」という言葉をきっかけに、色々と考えてみました。

接触の角度を変えても、総接触回数が同じなら解除率や反応率が同じように落ちるなら、「役割分けは飽きを遅らせる」という推測は外れています。

また、あくまでも経験則ですが、「飽き」の速度は媒体ごとに特徴がある気がしています。noteにはどのような傾向があるのか。調べてみるのも面白いかも知れません。

「メディアミックス」。言葉だけ聞くと、ちょっと平成っぽい。

でも古びていたのは言葉ではなく、私がその言葉に持っていたイメージのほうでした。

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