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泣き虫な彼女の視線の先に

激しい雷雨だった。ぴかっと視界が白く染まると、すぐにごごごっと轟音が鳴り響く。たまにどこかに落ちたのか、ぴしゃーんという集中音に変わったりする。もうすっかり通常運転になってしまったゲリラ豪雨という現象だ。懐かしいな、と思う。この言葉が当たり前になったのはどれくらい前のことだったか。


小学生の時、ものすごい大雨によって帰宅が困難とされ、児童が学校に取り残されてしまうという事件があった。要するに先生たちが子供だけで帰宅することが危険だと判断したのだ。保護者に学校から連絡がいき、迎えに来てもらった子供だけ帰ることが許されるという事態になった。

今でもこの時のことを覚えている。

当時私たちの教室があったのは旧校舎というところであり、他にある校舎よりも明らかにぼろぼろだった。壁はコンクリート打ちっぱなしのようなところがあった気がする。いつかの授業で使うのだろうか、といぶかしむような大きなそろばんなどの教材があったりと、それなりに面白い場所ではあった。


だけどその日はあいにくの雷雨。真っ暗な外に普段よりも薄暗く感じる教室の中。ばたばたとせわしなく動いている大人たちに、ただただ言葉少なに迎えを待っていた。ひとりひとりとクラスメイトが減っていく。下校にストップがかかったのが15時前。どんどん時計の針は過ぎていって、16時を回っても私はそこにいた。

クラスメイトとはどんな話をしたのだろう。覚えていない。明るい話なんてできるはずもなかったのはわかる。こういう時にこそ必要なクラスでムードメイカー的な存在である男子生徒は真っ先に帰っていた。

事態はさらに悪化し、とうとう先生の車で送ったらどうかという話まで出始めた。残っている生徒はクラスの三分の一以下になっていた。だけどそれもうちのクラスは、という話であって、まるまる一学年分となるとかなりの負担になるだろう。先生たちとしては最後の手段であったに違いない。


ふと見れば、いつも泣き虫で有名な子が気丈に外を見やっていた。その視線の強さに一瞬驚かされる。こういうときにこそ一番不安になりそうな子なのにと思ってすごく意外だった。どうして、と思っているとその子の保護者が教室に駆け込んできて、先生たちに挨拶して帰っていく様子が見えた。

帰り際のその子は嬉しそうにお母さんだと思われる女性に甘えるように話しかけていた。何だかその様子が羨ましかった。私には誰も迎えに来てくれず、このまま先生の車で帰ることになるのかもしれないと思うと無性に寂しくなってきた。


カチコチと時計の針は進んでいく。少しずつ少しずつ減っていく、教室の中のクラスメイト。みんなほっとした面持ちになって帰っていく。なんだかやたらとドキドキとする。取り残されれば取り残されるほどにどんどん心細くなるし、すごく怖い。

そんなことを思っていると名前を呼ばれた。


近所に住んでいてよく一緒に遊んでくれていた友達のお母さんが「一緒に車に乗せていくよ」と申し出てくれていたのだ。私は途端にぱあっと気分が明るくなり、その友達の元へと急いだ。友達はにこにことしており、私もまた嬉しくなった。

学校からは車に乗ってだいたい八分、といったところに家があった。友達といつものようにくだらないおしゃべりをしながら時間を過ごす。友達の家の方が近いが、一応私の家まで届けてくれるというのでお礼を言った。なんとなく外を見やる。玄関で傘を差し、こちらを見ている母の姿があった。

あっ、と思った時には急いで車から駆け出していた。母は何度も何度も友達のお母さんにお礼を言っている。雨は既に小雨に変わっており、あのざあざあと降る滝のような雨もすさまじい轟音もなくなっていた。


後日、ちょうど私たちが学校を出た少し後くらいから雨風が弱まり、帰れなくなっていたクラスメイトは無事に自分たちで下校することができるようになっていたということを知った。あの心細さはなんだったんだろう、と今でも思う。

ふいにあの泣き虫だった子の視線を思い出した。あの目は何だったんだろうと今の私が振り返ったとき、思い浮かぶ理由は一つだ。

あの子は自分が迎えに来てもらえるということを少しも疑っていなかったからこそ普段と違って泣いたりもせず、あんなに静かにしていられたのではないか。それくらいに意志の強さを感じる印象的な面持ちだった。

次の日からはいつも通りに戻っていた。ちょっと体育の時間に転んでしまったとか、女の子同士のトラブルであったり、男の子にからかわれたことであったり。いろんな事情で泣いていたけど、今となってはこの「泣かなかった」というただひとつの例外が、私に彼女の思い出をまだ残しているのだと思う。

なんだかとても、かっこよかったから。

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