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本気で怒るとき、僕は何語になるのか

ふだんは、あまり考えないことがあります。

僕は、本気で感情が動いたとき、何語になるんだろう、と。

日常では、そんなの意識しません。日本語で話しかけられたら日本語で返すし、仕事では英語も使う。言語は、相手や場面に合わせて、勝手に切り替わっている。自分でも、どれを使っているか、いちいち意識していないくらい、自然に。

でも、感情が振り切れた瞬間だけは、違うんです。

たとえば、心の底からびっくりしたとき。うっかり足の小指を、思いっきりぶつけたとき。とっさに口から出るのは、日本語でも英語でもなくて、タガログなんです。

自分でも、これはちょっと意外でした。

だって、タガログは、今の僕がいちばん使っていない言葉です。家族と話すときくらいで、普段の生活からは、いちばん遠い。なのに、理性がふっとゆるんだ、いちばん無防備な瞬間に、出てくるのはその言葉なんです。考える前に、体が勝手に選んでいる。

これに気づいてから、面白いな、と思って、少し観察してみました。

驚いたときや、痛いとき、とっさの一言は、タガログ。子どもの頃に、いちばん最初に感情とくっついた言葉だからだと思います。理屈の下に、いちばん深く埋まっている層。

じゃあ、本気で怒るときは?

そういえば、SNSでたまに流れてくる動画があります。フィリピンのお母さんが、子どもを、すごい勢いでまくし立てて怒っているやつ。早口のタガログで、身振り手振りつきで、止まらない。見たことある人も、いるかもしれません。

あれ、たぶん、僕もあれなんですよ。きっと(笑)。

いや、笑いごとじゃないんですけど。本気の怒りが爆発したときの回路って、たぶん、ああいう子どもの頃に浴びた"生の怒り方"に、いちばん近い気がするんです。理性で組み立てた日本語の怒り方じゃなくて、体に最初に刻まれた、あの熱量のほう。

じつは、怒り方にも、種類があるみたいで。

静かに、理詰めで怒るときは、たぶん日本語なんですよね。相手に、筋道立てて、冷静に伝えようとする。その回路は、17年かけて日本語で作ってきたものだから。日本語のほうが、怒りを"設計"できる。

でも、感情がぐちゃぐちゃになって、言葉にならないくらいの怒りのときは——あの、フィリピンのお母さんになるんだと思います。理屈じゃなくて、熱がそのまま、タガログで噴き出す。

そのとき、思ったんです。

言語って、感情の「深さ」で、層が分かれてるのかもしれない、と。

いちばん浅い、社会的なやりとりの層は、日本語や英語。きちんと考えて、相手に合わせて、設計して話す言葉。その下に、もっと個人的な感情の層があって、そこにはタガログがいる。子ども時代に、しつけられる前の、生の感情とくっついた言葉。理屈より先に、体が反応する層です。

普段の僕は、いちばん上の層で生きています。日本語で、きちんと。それが、今の僕の「表の顔」なんだと思います。

でも、いざ心が揺れると、下の層が顔を出す。表面がどれだけ日本語で塗り固められていても、いちばん深いところには、まだタガログが、ちゃんと生きている。忘れたつもりでも、消えていなかった。

これ、最初は、少し複雑な気持ちでした。いちばん頑張ってきた日本語が、いちばん深いところには届いていない、ということでもあるから。

でも今は、悪くないな、と思っています。

だって、それはつまり、僕の中に、ちゃんと「いちばん古い自分」が残っている、ということだから。どれだけ日本語が上手くなっても、どれだけ日本に馴染んでも、消えなかったもの。足の小指をぶつけた瞬間に、僕を子ども時代に引き戻してくれる、小さな錨みたいなもの。

言葉って、意味を運ぶだけの道具なら、いちばん便利な一つに、統一されていくはずなんです。でも、そうならない。深いところには深いところの言葉があって、浅いところには浅いところの言葉がある。それぞれの層に、それぞれの人生が、くっついている。

だから、もしよかったら、あなたにも、思い出してみてほしいんです。

あなたが、本気でびっくりしたとき。とっさに口から出るのは、何語ですか。何の言葉ですか。

たぶん、そこに、あなたのいちばん深いところが、住んでいます。

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