不登校の子どもたちと向き合う私の、不登校にまつわる経験
学びの多様化学校で支援員として勤務し、2カ月が経とうとしています。
私は以前講師として勤務していた中学校で、「学び支援教室」の副担任をした経験があります。同じ校舎内の、片隅の教室がその学び支援教室として使われていました。不登校で家に引きこもっていた生徒が、教室には行けないけど、なんとか学校に登校できた、とか、学級でトラブルがあったり、大勢の人の中が苦しかったりして、別室で勉強したい、と希望する生徒達が通っていました。
その1年間も、多様化学校で勤務中の今も、不登校で悩む生徒や保護者の立場になって考える時の基礎になっている『自分の経験』があります。
私は、不登校の経験はありません。
学校に行きたくなくて、欠席が続いた経験はあります。
ある時期、環境の変化から心身のバランスを崩し、大学を休みがちになりました。なんとか復帰はできましたが、あの時の「体が動かない」「外に出られない」という感覚は、今も鮮明に記憶に残っています。
2つ目は、社会人になってからの「不出勤」の経験です。仕事に邁進していましたが、ある時期、心身ともに限界を迎えて動けなくなってしまったのです。 朝、どうしても体が動かず、布団の中で涙が止まらない日々が続きました。周囲の支えもあり、しばらく休職期間をいただいた後、最終的には退職という道を選びました。
その間の色々な症状、周りの人々の言葉や態度、心配かけた夫や親兄弟、同僚等との関わり、自分が何を考えていたか、どう行動してそこから抜け出したのか、、、
今、不登校の子どもたちと関わる時、(ああ、自分もそうだったかも。)(親はきっとこういう気持ちじゃないかな。)等々、思い出しながら受け止めようとしています。
さらに、身近な親族が中学生の時に不登校になったことも、私に大きな影響を与えました。本人の苦しみや、見守る親の葛藤を間近で見てきた経験は、今の支援のあり方に深く結びついています。
一番は、「生きていてくれたらそれでいい」という思いです。
あの時の苦しさがあったからこそ、私は今、目の前の生徒たちの「ありのまま」を認めたい。学校に来ることだけが正解ではないけれど、ここが彼らにとって少しでも心が休まる場所になるよう、寄り添い続けていきたいです。
今、出口の見えないトンネルの中にいる生徒や保護者の方もいるかもしれません。私自身の経験と、家族としての経験。その両方があるからこそ伝えられる「大丈夫だよ」という思いを込めて、これからも日々の支援にあたっていきたいと考えています。
