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短編小説 妖精たちの酒盛り

インターホンの音が、ワンルームの部屋に鋭く響いた。

​デジタル時計の数字は、すでに午後八時。晩ごはんを寂しく終え、シャワーを浴びた私はドライヤーの熱風を浴びていた。

「今から行ってもいい?」という、ぶっきらぼうなLINEが届いてからちょうど三十分。

早すぎる。

あいつ、まさかタクシーを飛ばしてきたのか?

​「はいはい、今開けるよ」

​ドアスコープを覗く前に鍵を開け、ノブを引く。

次の瞬間、私の思考は完全にフリーズした。


​「……は?」


​そこに立っていたのは、私の唯一の同期であり、数少ない戦友であるはずの「佳那」――ではなかった。

いや、顔は間違いなく佳那なのだが、頭頂部から突き出た、見事なまでに尖った長い耳。そして、ファンタジー映画からそのまま抜け出してきたような、精巧な刺繍が施された緑のローブ。

​「……何それ。なんでコスプレ?」

​呆然とする私を無視して、でかいエルフ(身長百六十七センチ・ヒール込みなら百七十超え)は、ずかずかと土足で踏み込んできそうな勢いで玄関に侵入してきた。

​「ちょっと、上がらせて! もう最悪! 最悪の一日だったんだから!」

​鋭い耳を怒りでピクピクと震わせながら、佳那はバサリとローブを翻して靴を脱ぐ。

その背中には、立派なレプリカの弓まで背負われていた。


​大学を卒業して、ちょっとだけお堅い専門商社に就職して数ヶ月。

同期の女子は、私と佳那の二人だけだった。

もし、この唯一の同期が性格の合わないマウンティング女子だったら、私の社会人生活のスタートはどん底だったに違いない。
幸いにも佳那はサバサバしていて、仕事の愚痴も笑いに変えられる最高の相棒だった。

お互いの家で行った一回ずつの宅飲みで、その距離はさらに縮まった。
……まあ、新人研修後に転勤の噂の愚痴を言いに来たときは、泥酔して玄関先で潰れかけた実績があるけれど。

​だから今回も、てっきり仕事か何かの愚痴だと思っていたのだ。
まさか、目の前に「怒れる森の住人」が現れるとは夢にも思わない。

​「とりあえず座りなよ。……麦茶でいい?」

「お酒。アルコール持ってきて。一番強いやつ」

​エルフのくせに、注文がだいぶ世俗的だ。

私は冷蔵庫から、買い置きのストロング系の缶チューハイを取り出して手渡した。

佳那はそれをひったくるように受け取ると、プシューと景気いい音を立てて喉に流し込む。

​「ぷはぁーっ! ……あいつ、本当に許さない。絶対に呪ってやる。エルフの呪術で末代まで祟ってやる……!」

「落ち着けって。何があったの? っていうか、なんでそんな格好してるわけ?」

​私が尋ねると、佳那は尖った耳をさらに真っ赤にして、一気にまくし立てた。

​ことの始まりは、今日開催されていた大型のコスプレイベントだったらしい。

佳那には半年ほど付き合っている彼氏がいた。

彼氏に「可愛いコスプレが見たい」とねだられ、佳那は奮発して、気合いの入ったエルフの衣装を一式揃えたのだという。

​「イベント会場でさ、彼氏と合流して、写真撮ってもらって、そこまでは良かったのよ。これからアフターで美味しいものでも食べに行こうかって話してた、そのとき!」

​佳那は缶をテーブルに叩きつけた。

​「突然、見知らぬ『エヴァのアスカ』が猛ダッシュで突っ込んできたの。プラグスーツ着たアスカがさ、私の目の前で、彼氏の頬をパコォーン!!って、ものすごい音立ててビンタしたわけ!」

​「……アスカが、彼氏を?」

「そう! 『あんた、うちの可愛いコスプレイヤーに手ぇ出しといて、なに他の女とイチャついてんのよ! このバカシンジ!』って叫んでさ。あ、彼氏の名前はシンジじゃないんだけど」

​あまりの絵面の強烈さに、私は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。

つまり、こういうことだ。彼氏は佳那という彼女がいながら、他のコスプレ界隈の女の子にも手を出していた。
そして、その女の子の「相方」であるアスカ(おそらく男勝りな友人だろう)に現場を押さえられ、制裁を下されたのだ。

​「二股が、アスカのビンタで発覚したんだ……」

「そう! あいつ、私には『仕事が忙しい』って嘘ついて、他の撮影会とかにホイホイ行ってたの!アスカに詰め寄られて、彼氏のやつ、真っ青になってガタガタ震えちゃってさ。私、その瞬間、頭の中で何かがブチ切れたよね」

​佳那は、自身の左手をじっと見つめた。
そうだ。
佳那は左利きだ。

​「気がついたらさ、左ストレートが火を噴いてたわ。アスカに叩かれて右に泳いだあいつの顔面に、私の左拳がクリーンヒット。反対側の頬を思いっきり殴り飛ばしてやった」

​「……エルフ、物理最強じゃん」

「当然でしょ!森を舐めるな!で、あいつが地面に転がってる間に、荷物まとめてここに来たのよ。もうあんな奴、こっちから願い下げ!連絡先も全部ブロックした!」

​はーっ、と大きなため息をついて、佳那は缶の中身を全て飲み干した。

話を聞いているうちに、最初は奇妙に思えたエルフの姿が、だんだん戦を終えた誇り高き女戦士のように見えてくるから不思議だ。

​「……まぁ、大変だったね。クズ男だって早く分かって良かったじゃん。佳那の左ストレート、生で見たかったわ」

「本当にすっきりした。……あー、でも、さすがにこの格好で電車に乗るの恥ずかしかった。この衣装、脱ぐと下はキャミソール一枚なのよね。何か着替え貸してくれない?」

​「いいよ。スウェットで良ければ貸す」

​私はクローゼットから、自分がいつも着ているお気に入りのスウェットとハーフパンツを取り出して手渡した。

​「ありがとー。ちょっと着替えてくる」

​佳那は衣装の紐を器用に解きながら、お風呂場へと向かった。

修羅場をくぐり抜けてきた同期を、明日は美味しいものでも奢って慰めてあげよう。そんなことを考えながら、私は二本目の缶を開けた。

​数分後。お風呂場のドアが開き、佳那が気まずそうな顔をして戻ってきた。

その胸元を、私は二度見した。

​「……ねえ、これ、胸のところがパツパツなんだけど」

​佳那の言う通りだった。

私が着るとダボっとしたシルエットになるはずのスウェットが、佳那の豊かな胸元に引っかかって、妙にタイトなセーターのようになっている。
生地が限界まで引っ張られて、お腹のあたりが少し浮き上がっていた。

​「……あのさ、佳那。それ、一応愚痴の中にカウントされる?」

「え、何が?」

「嫌みか。スタイル抜群のエルフめ。大自然の恵みを受けすぎだろ」

「ちょっと、何よそれ! 私が太いって言いたいの!?」

「違うわ、愚痴を言いに来たはずなのに、こっちの心の傷を増やすなってこと!」

​「あはは!」と、佳那が今日一番の笑顔で笑った。

その顔を見て、私もなんだかおかしくなって、一緒に声を上げて笑ってしまった。

​気がつけば、夜はしんしんと更けていく。

結局、もう一枚別の、本当にサイズが大きすぎるメンズもののTシャツを貸し出すことで、エルフの衣装問題は解決した。

​明日は月曜日。

仕事もある。

朝の満員電車は憂鬱だし、上司の小言も待っているだろう。
だけど、隣にこの規格外に強くて、ちょっと不器用なエルフの同期がいるなら、きっと明日からも笑って乗り越えられる。

​「よし、もう一本開けるか!」

「付き合う!でもお前に合うスーツないからな!明日はエルフで出社ね!」

「クビになるわっ!」

​私たちは、深夜のワンルームで、力強く缶を合わせた。

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