みんながミッキーマウスに夢中になっているとき
ミッキーマウスはわかりやすい。
メルヘンの象徴であり、誰もが知っているアニメキャラクターのミッキーマウス。
その影にあるあの無表情の、いや表情がなくはない、どころか確実にあるのだが、表情に乏しいその顔のパターンに隠された欲望こそが、ミッキーマウスの怖さなのだ。
誰もその怖さに気づいていない。
この世界では、それに気づく必要はない、というか、気づいてはいけないのだ。
知られざるルールである。
ミッキーマウスの欲望は、ないものとして扱う。
そう教えられてきた。
ミッキーマウスがもしもとんでもない欲望を持っていたと世界が知ったら。
瞬間に世界は阿鼻叫喚するだろう。
ミッキーマウスは、そのふわふわとした可愛らしさに近づいてくるもの、もろとも飲み込んでいく。
捕食である。
丸呑みにしてしまう。
丸呑みにした上で、喉のあたりでじっくりと溶かしていくのだ。
時には自分の体よりも大きいものを、飲み込んでしまう。顎を外して、とびきり大きな口にして、丸呑みにする。
その様はアナコンダのそれである。
ミッキーマウスはアナコンダのように獲物を飲み込んだ上で、それが喉を通れるよう、徐々に徐々に溶かしていくのだ。
ミッキーマウスの欲望は底知れない。
近づくもの全てをそうやって飲み込んでいくのだ。
何のために?
もちろん生きるためだ。
けれども、生きるためと言うにはやや多すぎる量を食している。
捕食することこそがミッキーマウスにとってのアイデンティティーなのだ。
息をするようにミッキーマウスは捕食をするのだ。
哀れな生き物、捕食される側の生き物である人類は、ミッキーマウスの前では何もできない。
いや、何かをやろうとも思っていない。ただ阿呆な顔をして、ミッキーマウスにふらふら近づいていくだけである。
ミッキーマウスの前で人は無力になる。
そしてまんまとミッキーマウスに捕食されてしまい、喉の中でみきゅっと締め付けられながら、静かに息絶え溶かされていくのだ。
そういう危険があることを知っていた上で、あなたはそれでもミッキーマウスとその周辺を愛するのか。そんな阿呆なことはない。
ミッキーマウスの危険性を、僕がこうやって声高に主張しているにもかかわらず、全く世界には伝わらない。
ミッキーマウスは何も食べず、何も攻撃せず、ただそこにあいくるしいものとして存在する、みたいなイメージが世界にはびこっているから。
こうやってその危険性を声高に主張したところで無駄である。
それを真っ向から否定する輩が登場する。
彼ら、あるいは彼女らはミッキーマウス側の刺客であることに違いはない。
ミッキーマウスが捕食し、奪った財産、資産、生物のパワーそのもののおこぼれにあずかろうと、ミッキーマウスの周りの世話をし、捕食者を探す。そういう役割を自ら率先しているに違いない。
だから、そんな甘い言葉に騙されてはいけない。
すぐに捕食され、溶かされてしまうだろう。
ミッキーマウスの中には小さく群れで暮らしている個体も存在する。
僕らが生きたまま丸呑みにされるその強いミッキーマウス個体以外にも、小さなミッキーマウス個体、僕らを徐々に徐々にかじりつくしてしまうという個体もいる。
ミッキーマウスは環境に応じ、その世界あらゆるところで、その環境に適した形として進化してきたのだ。
そのミッキーマウスを台所で1匹見たら、その背後に100匹のミッキーマウスがいると思え。
それぐらいの警戒心を持って、僕らはミッキーマウスに対して接するべきなのだ。
決して心を許してはいけない。
ミッキーマウスは何も言わない。
虫のような鳴き声を、ただあげるだけである。
それは声になっていない。ミッキーマウスは声帯を持っていないのだ。
ミッキーマウスは体の一部を震わせてその音にならない音を発生させ、仲間同士で意思疎通をしているのだ。
まさに虫の仕組みである。
ミッキーマウスは人類よりも歴史が浅い。
当然である。
ミッキーマウスを見出したのは、ウォルト・ディズニーという1人のエンタティナーだからだ。
ウォルト・ディズニーが生み出した概念が、いつの間にか世界ではびこっている。
相当強い念を込められて、ミッキーマウスは生まれたのだ。
だからこうやって、人類を脅かすまでに育っている。
前述の通り、ミッキーマウスの脅威に気づかない人も多い。
そうやって「ディズニーランド」という彼らの巣に誘い込まれる人は世界中で数知れない。
一見楽しそうに遊んでいる彼らは、その背後で洗脳され乗っ取られているのだ。
ディズニーランドを訪れた人のほとんどは、そうやってランド内で洗脳され、そして日常生活に戻ってくる。
「ディズニーランド以前・以後」と言われる現象である。
そう、ディズニーランド以前・以後で人が変わってしまう。
一見なんの変わりもなく、彼らは日常を送っている。
少なくとも周りからは以前と変わらないような日常を送っているように見える。
「少し、ほんの少し明るくなった」「ディズニーランドに行って以来、ほんの少し何か変わった」というような小さな違和感を抱くことがあるが、ほとんどは気づかない。
ただ人生の階段を上るにつれ変化するような、俗にいう「成長」というやつだろう、そういう仕組みなのだろう、と考えている。
ミッキーマウスの脅威を知っている数少ない反対勢力であれば、それに気づいている。
具体的にどうなってしまうのか。
ディズニーランドに行った後、無性にメルヘンが足りなくなり、メルヘンを取り入れるような行動をとってしまう後遺症である。
ミッキーマウスとその一味、様々あるキャラクターの中、ミッキーマウスを先頭として、徒党を組み、ありとあらゆる方法で洗脳されたあなた。
ディズニーランドに行った後、無性にメルヘンが欲しくなる。
そして、メルヘンを日常生活に取り入れてしまうのだ。
それは例えば、ハンカチーフの柄に現れたりする。
シンプルな黒、あるいは白、その2種類のハンカチーフしか持っていなかった中年男性の木下さんは、ある日、ディズニーランドに行った後、ドット柄のハンカチーフを買ってしまう。
どこで買ったのか、どうして買ったのか、それすらも覚えていない。
無意識のうちにそのドット柄のハンカチーフを持っているのだ。
「それいいね」と言われる。
そう言った相手の同僚田上さんも、もちろん「ディズニーランド以後」である。
知らず知らずのうちに、2人はそういうふうに互いを励まし合い、そして洗脳を強められているのだ。
そのドット柄のハンカチーフはどこで買ったのか、どうしても思い出せない。
一定の間隔でその空白は訪れる。
洗脳された木下さんは、無意識のままドット柄のハンカチーフを買いに街へと繰り出す。
そんな風に街に出るような人ではなかった。
まず街に出た木下さんは、コンビニでスイーツを買う。
断っておくと、世の中には2種類の人間がいてだな、すなわちコンビニでスイーツを買う人と買わない人である。
木下さんはコンビニでスイーツを買わない側の人だった。
酒好きであり、甘いものは苦手である。スイーツを買うなど、今までの行動からして明らかに常軌を逸している。
けれども、木下さんはコンビニでスイーツを買う。
買ったスイーツは、大きめのシュークリームであった。
この選択に、木下さんの自我が何とか保たれているような状態であることがわかる。と、解説の向井教授。
「なぜなら、メルヘンに侵食された人間はシュークリームなど買わないからね、シュークリームはまだ自我が残っているものが選択するスイーツだ。メルヘン全開のスイーツであれば、鮮やかなゼリーや、フルーツがふんだんに取り入れられたプリン・ア・ラ・モードみたいなものを購入するようになっている。シンプルだけれど大きめのシュークリームを買ったということは、木下さんがまだ自我を保っているということに他ならない」
向井先生、ありがとうございました。
このあたり、まだ木下さんの記憶がなくなっているわけではない。
ただ街に出てシュークリームを買い、それを食べながら歩いている。
やや下品である。上品とは言えない。行儀も悪い。
けれども、木下さんは一向に気にしない。
そのシュークリームからはみ出たクリームが口にベタベタとついている様は、メルヘンである。
「これがメルヘンなんだよ」と周りの「ディズニーランド以後」の聴衆は勘違いしている。
声こそかけないが、「メルヘンだなぁ」と思ってすれ違いざまに見ている。
それから木下さんは、ドット柄のハンカチーフを買うため、駅近くのデパートに向かう。
駅近くのデパートであれば、メルヘンの要素が詰まったものがたくさん売っているわけである。
この辺は別にイオンモールでもファンシーショップでも何でもいい。
値段や種類は問題ではないのだ。
ただ、ドット柄のハンカチーフを買うということが重要である。
ドット柄のハンカチーフがあるのであれば、どこでも良いということだ。
木下さんの場合は、本能が思いつくドット柄のハンカチーフのイメージとして「駅近くのデパート」ということになった。
そこで木下さんは記憶をなくす。
記憶をなくしても自動更新される。
メルヘンは自動更新されるのだ。
自動更新されながら、木下さんはそのデパートでドット柄のハンカチーフを買う。
店員ももちろんメルヘンに侵食されている、ディズニーランド以後であり、自動更新されている。
木下さんに寄り添って、ドット柄のハンカチーフが欲しいということを本能で理解してそれに付き合う。
そして別に高いものを売りつけるわけでもなく、それ相応のドット柄のハンカチーフ、ただしイオンで買えばそれの倍ほどの値段のするブランドもののハンカチーフを購入させ、そして木下さんを街に放つ。
メルヘンに侵食され、洗脳が強い状態の木下さんが街に放たれる、そして彼は啓発活動にいそしむのだ。
すなわち、ドット柄のハンカチーフを取り出し、そのハンカチーフを振り回しながらメルヘンを普及するのである。
ここも自動更新でメルヘンが挿入されているので、木下さんの意思はまったくない。
そして、ディズニーランド以前の人から見れば異様な行動であるにもかかわらず、そのメルヘンに触れた人々はディズニーランドに向かうようになる。
そうやってゾンビのように感染させ、メルヘンを感染させて捕食者・被食者を増やしているというわけである。ディズニーランドで待つミッキーマウスやその一味のために。
以上がメルヘンの秘密、ディズニーランドおよびミッキーマウスの欲望についての記録であるが、もちろんこれが公に出たなら、メルヘンによって危険思想とみなされ、私は洗脳されてしまうだろう。
その前にどうか、1人でも多くの同志にこの事実を知らしめ、そしてメルヘンのスパイラルから抜け出す、人類を救い出してほしいと思うばかりである。
ところで、メルヘンに侵食された世界は辛いのかと問われれば、そんなことはない。
むしろ楽しいばかりである。
社会性がなくなるわけでもない、社会の機能が失われるわけでもない。ただメルヘンを時々思い出すというだけである。
だからこそ、この緩やかな侵食・洗脳・感染こそが世界を席巻してきた理由である。
それを脅威と感じないのは、それが無意識のうちに行われているからにほかならない。
知らず知らずのうちに、我々はメルヘンに犯されているのだ。
だからそれを自覚的にできるのなら、それを楽しめば良い。
そうこうしているうちに、私の意思も怪しくなってきた。
メルヘンが生活のあらゆるところに侵食しているというわけである。
誰のドット柄のハンカチーフの魔法にかからなくとも、自然に、いつの間にか流れてくる映像やネットニュースなど、あらゆるところにメルヘンは潜んでいるのだ。
ひとたび触れれば最後、やがてディズニーランドに向かうことになるに違いない。
もう、思考が回らなくなってきた。
そうだ、メルヘンはもうそこまでやってきている。
電車、新幹線、あるいは飛行機に乗り、ディズニーランドに向かわなければならない。
ディズニーランドに向かうために、2日間、できれば3日間ほど時間が必要である。
日帰りで行けるところではない。3日間、しっかりと堪能しなければならない。
ディズニーランド、ディズニーシーと、その勢力、その巣は拡大し続けている。
そのすべてを堪能しなければ、このメルヘンが収まらない。
と、勤め先には説明すればいい。
さあ、電車に飛び乗れ。
ディズニーランドの前に行けば、そのディズニーランドは口を大きく開けるだろう。
そのまま飲み込まれてしまえ。
そこに待っているのは、夢々とした、生ぬるい、居心地が限りなく良い世界である。
そこであなたは、ミッキーマウスに捕食され、じわじわと溶かされていくのである。
