【42歳薬剤師ダメおやじの筋トレ日記⑪】SNSの罠にハマった筋トレおじさん――49kgから57kg。それでも「身体が変わらない」と思っていた。
【大会に出て、身体は変わった。でも――】
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大会に出て、初めて身体が変わった。
鏡を見るたびに筋肉の輪郭が見える。
腕には血管が浮き、腹筋も見える。
中肉中背だったおじさんが、少なくとも自分史上では一番格好いい身体になった。
前回書いた通り、あの変化のきっかけは、
「大会に出る」
と決めたことだったと思っている。
大会という逃げられないゴールができたことで、強制的に自分の身体と向き合うことになった。
そして実際に身体は変わった。
普通なら、
「よかったね。」
で終わる話である。
しかし、筋トレというものは恐ろしい。
一度身体が変わる経験をすると、人間は次のことを考える。
「もっとデカくなりたい。」
こうして私は、次の沼へと足を踏み入れた。
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【目標、仕上がり60kg】
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初めて大会に出た時の仕上がり体重は、
49kg。
身長164cmほどの私でも、かなり軽い。
絞れば身体の輪郭は出る。
でも大会へ出れば分かる。
デカい人は、本当にデカい。
SNSを開けば、さらにすごい。
丸々とした肩。
分厚い胸。
太い腕。
広い背中。
バキバキの腹筋。
しかも、デカいのに絞れている。
なんだこれは。
同じ人間なのか?
特定の憧れの選手がいたわけではない。
みんなすごかった。
全国レベルの選手たちを見ながら、
「こうならないと勝てないんだ。」
と思った。
そこで私なりに目標を立てた。
仕上がり60kg。
49kgから、約11kg増やす。
今考えれば、ずいぶん景気のいい目標である(笑)。
しかし当時の私は本気だった。
やることは単純だと思っていた。
たくさん食べる。
重いものを持つ。
たくさんトレーニングする。
筋肉を増やす。
以上。
筋肉とは、努力した分だけ足し算されていくものだと思っていた。
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【とにかく食え。とにかく持て。】
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まず食事。
増量するなら食べなければならない。
そう思った私は、多い時には1日、
4,500kcal前後。
食べた。
とにかく食べた。
そしてトレーニング。
SNSを開く。
「高重量が大事。」
なるほど。
重量を上げよう。
別の投稿を見る。
「頻度が大事。」
なるほど。
もっとやろう。
また別の動画を見る。
「この種目が効く。」
なるほど。
採用。
次の日。
また新しいトレーニングが流れてくる。
「これも良さそうだな。」
採用。
そこにサプリメントまで加わる。
これがいい。
あれがいい。
この成分がいい。
あの選手が使っている。
ならば試してみよう。
今振り返れば、
自分の身体を見てメニューを組んでいたというより、
SNSから流れてくる情報を、自分の身体に次々インストールしていた。
そして何より、私が信じたものがあった。
重量である。
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【重量は裏切らない】
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当時の私には、
「効かせる」
という感覚はほとんどなかった。
胸に入っているか。
背中に入っているか。
狙った筋肉がどう動いているか。
そんなことは二の次。
何kg持ったか。
これが分かりやすかった。
昨日60kgだったものが、
今日は65kg。
70kg。
75kg。
数字が増える。
成長している。
そう思える。
そして実際、重量はどんどん伸びた。
ベンチプレス。
60kg → 90kg。
スクワット。
50kg → 100kg。
デッドリフト。
80kg → 120kg。
今考えれば、いわゆる初心者ボーナスの影響も大きかったのだと思う。
でも当時は、そんなことはどうでもいい。
重量が伸びるたびに、
「俺、強くなってる。」
と思った。
楽しかった。
もっと持ちたい。
もっと重く。
もっと頻繁に。
もっと食べる。
もっとトレーニングする。
今思えば、なかなかはちゃめちゃである。
でも、間違いだったかと言われれば、そうとも言い切れない。
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【3年後、49kgは57kgになった】
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そんな生活を続けた。
1年。
2年。
3年。
仕上がり49kgだった身体は、
57kgまで来た。
8kg増えた。
もちろん、単純に8kgの筋肉が増えたという話ではない。
それでも大会で仕上げた状態の体重そのものが増えている。
腕も太くなった。
重量も伸びた。
そして大会でも、
準優勝まで来た。
数字だけ見れば、どう考えても進歩している。
49kg。
↓
57kg。
ベンチ60kg。
↓
90kg。
スクワット50kg。
↓
100kg。
大会でも評価されるようになった。
だったら、胸を張って言えばいい。
「身体、変わりました。」
ところが――
私は、そう思えなかった。
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【……で、どこが変わった?】
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鏡を見る。
確かに昔よりデカい。
写真を見比べれば違う。
腕は太くなった。
それは分かる。
でも、
「じゃあ具体的に、どこが良くなった?」
と聞かれると、自分でもよく分からなかった。
SNSで見ている身体とは、明らかに違う。
肩が足りない。
背中が足りない。
胸ももっと欲しい。
そして私の場合、特に気になったのが腹筋だった。
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【どうしても好きになれない腹筋】
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私は、腹筋が弱点である。
どれだけやっても、自分の理想とする腹筋にならない。
回数を増やした。
強度も上げた。
色々試した。
でも、思ったようにはならない。
しかも、私はいわゆる4パックである。
SNSを開く。
見事な6パック。
また6パック。
これでもかというくらい6パック。
自分の腹を見る。
……。
「なんか違う。」
当然、腹筋の形には生まれ持った個人差がある。
頭では分かっている。
でも、
大会で横に並ぶ。
SNSで見る。
すると、どうしても見劣りしているように感じる。
いつしか腹筋は、私の中でコンプレックスになっていた。
そして、身体全体についても同じことを思うようになった。
「もしかして筋肉が増えたんじゃなくて、体重が増えただけなんじゃないか?」
でも、大会では評価されている。
準優勝まで来た。
だったら、何かは良くなっているはずだ。
数字は、
「お前は変わった。」
と言っている。
鏡の中の私は、
「まだまだ。」
と言っている。
この矛盾が、ずっと消えなかった。
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【SNSとは、残酷なほど素敵な幻を見せてくれる】
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そして最近になって、ようやく一つ気付いた。
そもそも私は、
誰と比べていたのだろう。
49kgだった頃の自分?
違う。
昨日の自分?
違う。
私が比較していたのは、
SNSの中の人たちだった。
SNSとは残酷なほど、
現実ではなく、
素敵な幻たちを見せてくれる。
誤解してほしくない。
SNSに出ている人たちが嘘だと言っているわけではない。
むしろ、すごいと思う。
とんでもない努力をしている人もいる。
大会で結果を出せば、素直におめでとうと思う。
人の幸せを見ることだって、素晴らしいことだ。
応援もしたい。
でも、SNSに映るのは、その人の人生すべてではない。
最高に仕上がった身体。
一番格好良く見える角度。
パンプした瞬間。
照明。
大会当日。
最高の結果が出た日。
その人の、
最高の一瞬が切り取られて流れてくる。
分かっている。
そんなことは、頭では分かっている。
なのに――
今日もクリックしている(笑)。
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【最高の一瞬と、毎朝の自分を比較する】
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SNSを開く。
すごい身体が出てくる。
自分を見る。
足りない。
また開く。
さらにすごい身体が出てくる。
自分を見る。
もっと足りない。
肩が欲しい。
胸が欲しい。
背中が欲しい。
腹筋が欲しい。
もっと絞りたい。
もっとデカくなりたい。
終わりがない。
考えてみれば、
私は毎朝鏡に映る普通の自分と、
誰かが選び抜いた最高の一瞬を比較していたのかもしれない。
そりゃ、勝てない。
そして、もっと厄介なことがある。
SNSには、
必ず自分より上がいる。
一人追いついたと思えば、
その先にまたいる。
もっとデカい。
もっと絞れている。
もっと格好いい。
他人との比較を基準にしている限り、ゴールなど永遠に来ない。
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【でも、身体は本当に変わっていなかったのか?】
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そこで、もう一度数字を見てみる。
仕上がり49kg。
今は57kg。
ベンチ60kg。
今は90kg。
スクワット50kg。
今は100kg。
デッドリフト80kg。
今は120kg。
腕も太くなった。
大会では準優勝。
……。
いや、変わってるじゃないか。
当たり前である(笑)。
何年もトレーニングして、
食事も考えて、
減量して、
増量して、
大会に出て、
またトレーニングしている。
何も変わっていないわけがない。
もしかすると、
変わっていなかったのは身体ではなく、
自分を見る基準だったのかもしれない。
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【「重いものを持つ」と「筋肉を鍛える」は同じなのか?】
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ただ、SNSとの比較だけが原因だったとも思っていない。
最近、もう一つ自分の中で仮説を立てている。
きっかけは、筋トレ仲間から言われた一言だった。
「運動神経がいい人って、筋肥大しにくいんじゃない?」
もちろん、これを科学的な事実として言うつもりはない。
でも、妙に引っかかった。
私は特別なアスリートではない。
何か一つの競技を極めたこともない。
でも昔から、色々なスポーツをやってきた。
野球。
テニス。
バドミントン。
バレー。
水泳。
バスケ。
どれも、ものすごく上手いわけではない。
でも、なんとなくできた。
下手くそでもないけど、特別上手くもない。
実に説明しづらい人間である(笑)。
ただ、自分の身体を振り返ってみると、
大きな怪我をほとんどしていない。
そこで考えた。
もしかすると私は、
身体全体を使って運動することだけは、それなりに得意なのではないか。
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【俺は「重いものを持つ」のが上手くなっただけ?】
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筋肉は単独で動いているわけではない。
一つの動作をすれば、複数の筋肉が関わる。
対象となる筋肉だけではなく、その周囲の筋肉も働く。
いわゆる協働筋である。
そこで、一つの疑問が出てきた。
私はベンチプレスの重量を、
60kgから90kgまで伸ばした。
でも、
胸に90kg分の負荷を与える能力が上がったのだろうか。
それとも、
肩。
腕。
身体の使い方。
フォーム。
色々なものを連動させて、
90kgを持ち上げる能力が上がっただけ
なのだろうか。
もちろん、どちらか一方ではないと思う。
重量が伸びたことにも、大きな意味があったはずだ。
でも、
筋肉を大きくすることが目的なら、
「何kg持ったか」だけではなく、
「その負荷を、どこに与えたのか」
も考えなければならない。
いやいや、当たり前だろう。
そう思う人もいるだろう。
私も今ならそう思う。
でも、これが意外とできていなかったのである。
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【最近、重量を追うのを少しやめた】
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正確には、重量を捨てたわけではない。
今でも重量は大切だと思っている。
強くなることも必要だろう。
ただ、がむしゃらに
「前回より重く。」
だけを追うことは減った。
最近は、
対象としている筋肉に、どうやって負荷を与えるか。
そこを考えるようになった。
重量を変える。
角度を変える。
フォームを変える。
回数を変える。
食事も変える。
そして、身体を見る。
変わったか?
変わらないか?
また考える。
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【結局、まだ正解は分からない】
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食事なのか。
重量なのか。
トレーニング頻度なのか。
フォームなのか。
睡眠なのか。
サプリメントなのか。
それとも、才能なのか。
正直、今でも分からない。
でも最近、それでいいような気もしている。
以前の私は、
「正解を誰かに教えてもらおう。」
としていた。
SNSを見る。
YouTubeを見る。
すごい身体の人が言っている。
なら、それが正解だ。
やってみる。
また違う人が違うことを言う。
そちらもやる。
でも今は、少し違う。
情報は見る。
参考にもする。
でも最後は、
自分の身体で確かめる。
食事を変える。
身体を見る。
トレーニングを変える。
身体を見る。
重量を変える。
身体を見る。
一つずつ検証する。
なんだか、
自分自身を使った研究みたいになってきた。
そして不思議なことに、
これが結構面白い。
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【与えられた肉体で勝負する】
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身長。
骨格。
筋肉の形。
腹筋の形。
手足の長さ。
筋肉のつきやすさ。
脂肪の落ちやすさ。
変えられるものもある。
変えられないものもある。
私は4パックである。
今のところ、どれだけ願っても6パックにはならない(笑)。
だったら、仕方ない。
これが私の身体なのだから。
考えてみれば、
誰も自分の身体を選んで生まれてきたわけではない。
みんな、与えられた肉体からスタートする。
そこから、どこまで行けるのか。
そう考えれば、
それはある意味、
全員に与えられた公平性なのかもしれない。
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【たまには、自分を振り返ってあげてもいい】
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49kgだった頃の写真を見る。
今の身体を見る。
違う。
ベンチ60kgだった自分。
今はもっと持てる。
細かった腕。
少し太くなった。
大会に出るだけで精一杯だった。
今では準優勝まで来た。
確実に、何かは積み上がっている。
それなのに私は、ずっと足りないものばかり探していた。
SNSの誰かと比較して、
自分にはこれがない。
あれもない。
まだ小さい。
まだ弱い。
まだ足りない。
でも、
他人との比較には終わりがない。
だったら時々、比較する相手を変えてみてもいい。
半年前の自分。
1年前の自分。
3年前の自分。
そこに、今とまったく同じ人間がいるだろうか。
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【本当に見るべき身体は、最初から鏡の中にあった】
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SNSとは、
残酷なほど素敵な幻を見せてくれる。
そして私は、これからも見ると思う。
格好いい身体を見れば、やっぱり格好いいと思う。
すごい選手を見れば、憧れる。
大会で結果を出した人がいれば、応援したい。
それでいい。
ただ、
その人になる必要はない。
私は、その人の身体にはなれない。
そしてその人も、私の身体にはなれない。
与えられた肉体で、自分なりの最高を探す。
それしかない。
だから、
身体が変わらないと悩んでいる人がいたら。
一度だけ、SNSを閉じてみてもいいのかもしれない。
昔の写真を見る。
昔の体重を見る。
昔のトレーニング記録を見る。
そして、今の自分を見る。
そこに少しでも違いがあるなら、
それは間違いなく、
あなたが積み重ねてきた時間である。
弱点を探すことも、ボディメイク。
もっと上を目指すことも、ボディメイク。
でも、
確実に進歩しているであろう自分を、
たまには振り返って評価してあげる。
それもまた、大切なボディメイクなのではないだろうか。
私は今も、自分の身体に満足していない。
腹筋も気になる。
もっと肩も欲しい。
もっと背中も欲しい。
目標だった仕上がり60kgにも、まだ届いていない。
でも最近は、以前ほど焦らなくなった。
昨日の自分を見て、
今日試す。
結果を見る。
また考える。
食事なのか。
重量なのか。
フォームなのか。
才能なのか。
分からないから、試してみる。
そうやって、少しずつ自分という人間を理解していく。
以前、
「どこを目指しているんですか?」
と聞かれたら、答えに困っていた。
でも今なら、やっぱりこう答えると思う。
「究極の自分探しです。」
SNSの罠にハマって、
他人の身体ばかり追いかけた。
重量を追い、
食事を増やし、
サプリを試し、
それでも自分を認められなかった。
でも、
遠くばかり見ていたからこそ、ようやく気付いた。
本当に見るべき身体は、最初から鏡の中にあったのかもしれない
