雪の国宝犬山城と如庵(如庵と有楽斎編)
土曜の朝の名古屋。雪だるまが作れる5センチ程の積雪がありました。
雪の多い地方の方には申し訳ありませんが、積雪にはどうしてもテンションが上がってしまい、雪の犬山城と国宝茶室如庵のある有楽苑を見に行ってしまいました⛄️

(有楽苑)は犬山城の東麓にある日本庭園です。犬山城も国宝ですけど、有楽苑内にある茶室・如庵は国宝茶席三名席の一つです。
如庵は織田信長の弟で大名茶人・織田有楽斎によって建てられたものです。



織田有楽斎は茶道を千利休に学び、利休十哲の一人に挙げられるとも。
織田有楽斎が江戸時代に京都・建仁寺内に再建した正伝院の中に如庵は建てられました。
如庵は
大山崎・妙喜庵の待庵
大徳寺・龍光院の密庵
とともに国宝茶席三名席🍵
明治時代末期に東京の三井本邸→
三井家の大磯別邸→
犬山城下の現在地に移築されたそうです。
如庵と並んで建っている(旧正伝院書院)も国指定重要文化財で、長谷川等伯や狩野山雪の襖絵が残ります。

他にも回遊式庭園の中に様々な歴史的建造物があります。
徳源院唐門↓

岩栖門↓

なんかすごくないですかー?
元庵↓

元庵の玄関に建つ石灯籠↓

庭園も、茶花が主役の庭石や滝石組がかっこいいです。



有楽苑、とても好きで、犬山城の後寄って、三回目かな。こんな積雪の時は初めてですが☺️
ホテルが隣接しているから、犬山城よりお客さんが多い。庭園は人が写り込んでるものが多かった😅
子供の頃は、母や祖母、なんで庭なんて好きなんやろ?と思っていましたが、なぜかだんだん好きに❤️😅



織田有楽斎さんについて
織田長益、ご存知、信長の13歳下の弟です。同年生まれにお市の方がいますから(織田家美形の元💜)の土田御前が母ではなくて、側室さんが母なのでしょうね。
彼は武将としての記録は信長長子・信忠の武田侵攻に従軍したくらいの記録しかないそうなので、パッとしなかったのだと思います。
尾張時代の城も最前線とは言えない、知多の大草城にあります(ここは城郭としてはオススメですけど❤️)
でもパッとしないかもしれない武将人生が終わったともいえるのが、本能寺の変。
本能寺の変の時、有楽斎は信長長子・信忠と共にいて、信忠に切腹を勧め、信忠は自害します。
その後、どんなハプニングがあったのか、明智軍が制圧しつつある京都から脱出を果たします。
命からがら生き延びて、光秀も秀吉に討たれましたが、有楽斎について京都ではこんな歌が歌われたといいます。
織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ召させておいて 我は安土へ逃ぐるは源五 むつき二日に大水出でて 織田の原なる名を流す
言い方悪いけれど、武将としては終わったのではないでしょうか。それにしても人ではない、って京雀サン、キツイよー😭
それでもその後の様々な合戦で、仲介役を担っています。
敵味方双方に顔が利き、(信長の弟)っていうネームバリューやコネクションがあり、なんだか政治的野心を持ってない感じとか、武将として終わっている感じがむしろプラスになっている気がします。
有楽斎サン、長く時代の流れに翻弄されながらもきわどいところで生き残り、晩年にようやく悠々自適の隠居暮らしを手に入れて、大往生されたそうです。
その頃作られた、如庵の内部は、利休の茶室よりも広く、風通しを良くし、陽光を多く採り入れるための細工がなされていたり、独創的な工夫が多いそうです(中には入ったことないですけど)
内部へは抽選でしか入れないみたいですが、一度入ってみたいなあ。
そう、有楽斎さんの洗礼名はジョアンだそうですね😅
