【撮影日誌第20回】最後まで生き残るJR貨物のDE10/11は誰……?


「愛は必ず 最後に勝つだろう そうゆうことにして 生きてゆける」
スピッツの『正夢』(2004年)の一節である。「勝つ」とは言い切らないで留保しつつも希望を感じさせるスピッツらしさが良く出ている歌詞の一つだと思う。「愛」は全ての問題を解決する、というのはたしかに安直すぎる幻想だろう。それでもなお、「愛」によって物事が駆動していることを感じざるを得ないのが、JR貨物のイベントである。
決して高くはない給料、ときに命にもかかわる危険な作業、屋外や冷暖房のない屋内での作業、昼夜を問わない不規則な勤務……。少なくとも首都圏、中部、関西の都市圏でいえば、JR貨物の現場よりも労働条件が恵まれている仕事はそれなりにあると思う。物流系に絞ったとしても、まだまだ機械化が進んでおらず人手不足の工場や現場は多々あるだろう。それでもなおJR貨物の社員の方々が鉄道貨物の現場から離れない理由に、鉄道への「愛」があることは決してマニアの勝手な期待や幻想ではないと思う。
分割民営化の当時、JR貨物の先行きは危ぶまれていた。「貨物安楽死論」といった物騒な言葉まであった。初代社長橋元雅司の尽力に好景気も味方してJR貨物は現在まで生き残っている、というのが通説だが、それを支えたマニア社員の存在も忘れてはならない。接客が必要ないうえに機関車の種類が多かったJR貨物を志望する鉄道マニアの国鉄職員が多かったことはよく聞く話だが、鉄道への「愛」を持った社員が現場で高い士気を保っていなければ、今日のJR貨物は無かったといっても過言ではない。
2020年代を迎えても、その気風が着実に受け継がれていることは、この日用意されたHMの多さからも分かる。デザインも全て秀逸である。これが社員の方々の鉄道貨物への「愛」でなくてなんだろうか。
ただ、この日のメインイベントであった部品販売は開場前にトラブルがあったとのことで中止になった。悪いことは重なるもので、このおよそ一か月後、2024年7月24日に起きた新山口での脱線事故をめぐる調査のなかで、輪軸組み立て作業の際に検査データの改ざんがあったことが判明し、9月11日には問題のある状況で作業を施された車軸を搭載する車両を一斉に運転見合わせにし、ダイヤが大きく乱れるトラブルもあった。脱線事故について運輸安全委員会の最終的な調査結果は発表されていないし(鐡坊主『データから読みとく JRの生存戦略』〈河出書房新社、2025年〉には、脱線の原因を安易に特定する記述があったため、他の誤植と合わせて指摘した)不正自体は他の多くの事業者でも行われていたようだが、JR貨物の不祥事であることは間違いない。9月に予定されていたEF65のイベントは中止になり、その後も大宮での貨物単体でのイベントは開催されていないのではないか。EF65 1118を復元した車両や試験塗装の復刻機などは解体されていないようだし、今後の展開に期待したい。
この日展示された2両のDE11はすでに解体済みである。住宅が近接する駅での入換に特化した目立たない4両だが、素晴らしい花道が用意されたのではないか。ちなみに、早くに入換動車化され太い帯をまとった2003号機は相模貨物で活躍していた印象が強いが、同駅の入換はHD300を経て遂にDB500へと継承された。なお、2001号機は新鶴見、2004号機は隅田川にあれから2年が経った今日も現存し、時折エンジンもかけられているようだ。補助金の関係で検査期限の残る車両を迂闊に廃車できないとか、解体費用や解体場所までの輸送費用が決裁されないといった様々な事情があるようだが、仙台、岡山の僚機はすでに全車解体or部品取り用に搬出済みである。最後まで残るJR貨物のDE10/DE11は2001号機か2004号機か、あるいは隅田川に残る1662号機か。今のところどの車両にも音沙汰はなく、ほぼ誰にも注目されていない意味不明なレースは展開を見せないまま月日だけが経っている。
