見出し画像

女神のパスタに感動した女、人生の不思議について考える

「今度また、うちにご飯食べに来て。ゴリちゃんが来ると作り甲斐があるから」

上司の奥さんからそう連絡が来たとき、私は迷わず即答した。

「行きます」

食べ物が絡む誘いを断るという選択肢は、私の辞書にはない。

「ゴリちゃん」とは、奥さんが私につけたあだ名である。

上司経由で何度か顔を合わせるうちに、なぜか気に入られ、会うたびに、

「元気? 最近何食べた?」

と聞かれる仲になった。

正直、友人枠というより、動物園の人気者枠に近い。

珍獣、ゴリちゃん。

餌をやると喜ぶタイプの生き物として、認識されている気がしてならない。

そんな奥さん(と上司)の家に、今回は、隣の席の同僚と二人で招かれることになった。

私の上司は、割とガタイのいい体育会系で、部下への無茶ぶりに定評がある人だ。

「これ、明日までにできる?」

が口癖で、明日までにできる根拠は、毎回ない。

そんな人の家庭が、いったいどんな仕上がりになっているのか。

実際に足を踏み入れるのは、これが初めてだった。

案内されたマンションのドアが開いた瞬間、私は面食らった。

中古と聞いていたはずなのに、モデルルームの空気がする。

物が少ない。

でも、ちゃんと生活している気配がある。

うちの部屋とは、次元がひとつ違う。

「いらっしゃーい、ゴリちゃん! 今日もよく食べそうな顔してる!」

玄関先で早々に、失礼とも褒め言葉ともつかない出迎えを受けた。

奥さんは、相変わらずモデルよりモデルみたいな人だった。

美人で、優しくて、聞き上手。

こちらが調子に乗って喋りすぎてしまうタイプの、危険な人でもある。

聞けば、私が入社する前は同じ会社でデザイナーをしていたらしい。

結婚を機に退職し、今はフリーで仕事をしながら、上司や私たちとも時々仕事をしている。

つまり、

仕事もできる。

美人。

優しい。

家も綺麗。

そして料理までできる。

どうやら、この世には、そういう人が実在するらしい。

まず出てきたコーヒーからして違った。

見るからに高そうなエスプレッソマシーンから、シュコシュコと音を立てて淹れてくれる。

香りだけでもう、お洒落だ。

我が家のコーヒーの淹れ方は、粉をお湯に沈めるという原始的なものである。

一杯目にして、すでに生活水準の差を思い知らされた。

そして、本番はパスタだった。

「今日は手打ちにしてみたんです。ゴリちゃん、たくさん食べるでしょ?」

もう疑問形ですらなかった。

奥さんはパスタマシーンを取り出すと、慣れた手つきで生地をローラーに通し、薄く伸ばし、細く切っていく。

私と同僚は、無言でテーブルに肘をつき、その一部始終を見守った。

料理番組の生放送を、無料の特等席で見ているような気分だった。

パスタマシーンというものは、実物を見ると想像以上に本気の機械である。

そして、出てきた生パスタは。

当然のように、うまかった。

もちもちしている。

ソースが絡んでいる。

香りもいい。

しかも、量がすごい。

「これ、何人前作ったんですか?」

と聞くと、

「ゴリちゃんの分は多めにしてるから」

と、あっさり返ってきた。

私の胃袋は、すでに戦力として計算に入れられているらしい。

「足りなかったら、まだあるので」

その一言に甘え、我々は遠慮という言葉を一時的に忘れた。

食べる。

食べる。

さらに食べる。

隣を見ると、同僚が静かに三杯目のおかわりをよそっていた。

私は見なかったことにした。

満腹になった帰り道。

駅まで歩きながら、ふと頭に疑問が浮かんだ。

「……なぜ、あの人は、あの上司を選んだんだろう」

美人。

優しい。

料理がうまい。

生活力もある。

しかも、珍獣にすら分け隔てなく餌をくれる器の大きさまである。

一方の上司は、がさつで、雑で、仕事中も適当なことが多い。

家事なんて、絶対にできなさそうな人である。

同僚も同じことを考えていたらしい。

駅前で二人して腕を組み、うんうん唸った。

「でも、そういえば」

同僚がぽつりと言った。

「あの人、誰かが仕事で困ってると、文句言いながらも最後まで面倒見てるよね」

言われてみれば、そうだった。

無茶ぶりばかりだけれど、締め切りに間に合わなくて泣きそうになっていた新人を、なんだかんだ夜遅くまで手伝っていたことがある。

自分も忙しいのに、人の仕事まで引き受けてしまう。

文句は言う。

口も悪い。

でも、最後は見捨てない。

「あ、あれか」

「あれかもね」

私たちは勝手に納得した。

女神には、女神にしか見えていない何かがあるのだろう。

外から見ただけでは分からない組み合わせが、人生には確かにあるらしい。

……という、そこそこ真面目な結論に着地しかけた。

しかし。

正直に言うと、今も一番よく思い出すのは、あのパスタの味と、

「ゴリちゃんの分は多めにしてるから」

という、あの一言である。

結局、人生の不思議について考えたところで、私の脳内に残ったのはパスタだった。

【その日の戦績】

上司の奥さん――美人、聞き上手、生活力満点。人類の反則。おまけに餌付け担当。

上司――がさつ、雑、無茶ぶり多め。ただし部下は見捨てない。

パスタマシーン――生地を伸ばし、切り、我々の理性を奪う。

我々の遠慮――コーヒー一杯目で健在、パスタ二杯目で消滅、三杯目で完全撤退。

ゴリちゃん枠――珍獣、健啖家として認定。動物園なら人気コーナー。

人生の不思議――解明ならず。パスタだけは完食。

いいなと思ったら応援しよう!