【三光稲荷神社】神社から見た犬山城 前編|なぜ稲荷を守護神としたのか
国宝・犬山城へ
令和8年6月中旬
「知多半島と犬山城に行きたい」
奥さんのそんな言葉から、始まった旅だ。
私自身はもともと城が好きで、犬山城にも過去に訪れたことがある。
それでも今回は、まだ行ったことのない神社を提案しようとしていた。
しかし、そのタイミングで「ブラタモリ」の犬山城編が放送されたことで、急に奥さんの言葉に熱が帯び始めた。
「そんなに城好きだったっけ?」
そう思いつつも、奥さんの熱意に絆された。
そもそも城好きになってくれたら嬉しい。
noteで皆さんのお城の記事を読むうちに、私自身も改めて城好き熱が高まってきた。
同じ城好きでも、見るところは人それぞれだ。
私の城好きの原点はなんなんだろう。
そんなことを思いながら調べていると、
犬山城へ向かう城山の麓には、2つの神社が隣り合うように鎮座していることを知る。
三光稲荷神社と
針綱神社。
三光稲荷神社は、ハート絵馬や銭洗いで知られる人気社。
その隣には、式内社・針綱神社が鎮座する。
なぜ、これほど性格の違う2社が犬山城の麓に並んでいるのだろう。
調べてみると、2社が現在地に並んだのは意外に新しい。
しかも、その歴史を追うと犬山城そのものが見えてきた。
神社を知ることで、城も知る。
今回はそんな趣向で、まず三光稲荷神社から歩いてみたい。
三光稲荷神社

犬山城へ向かって歩くと、まず目に入ってくるのが三光稲荷神社だ。
境内には朱色の鳥居が並び、ハート型の絵馬がびっしりと掛けられている。



縁結び。
銭洗い。
みちひらき。
現在の三光稲荷神社には、いかにも現代人に人気がありそうな御利益が並んでいる。

ハートの絵馬が映えます


ところで余談だが、この記事を書いている今日、以前受験した日本城郭検定の合格通知(2級)が届いた。
城について勉強していて改めて思ったのは、
城跡にどんな神社があり、どんな神が祀られているのかを知ることも、その城を知るための一つの側面だということだ。
城跡には、神社が鎮座していることが多い。
以前記事にした武田神社も、その一つだ。
武田神社の記事はこちら
ここで問題。
城跡と関係のある神社の組み合わせで誤りはどれか。
①久留米城ー有馬神社
②鶴ヶ岡城ー荘内神社
③米沢城ー上杉神社
④津城ー高山神社
※分かった方はぜひコメントへ
選択肢を眺めても、城跡に鎮座する神社には、城主や藩主に関係するものが目立つ。
では、犬山城の麓にある三光稲荷神社はどうだろう。
その名の通り、「稲荷」である。
ただし由緒を調べてみると、少し印象が変わった。
三光稲荷神社の創祀は明らかではないが、江戸時代に犬山城を治めた成瀬家歴代の守護神とされているのだ。
なぜ武家である犬山城主の守護神が、稲荷だったのだろう。
犬山城を九代治めた成瀬家とは何者か
犬山城といえば織田信長の叔父・織田信康が築いた城として知られる。
天文6(1537)年、信康が木之下城(現:愛宕神社)から現在の城山へ城を移したのが始まりと伝わる。
その後、犬山城の城主は目まぐるしく変わった。
信康の子・信清、池田恒興、さらに豊臣政権下の武将たち。
関ヶ原の戦い後には、小笠原吉次、平岩親吉。
犬山城がようやく一つの家によって長く治められるようになるのは、元和3(1617)年のことだった。
二代将軍徳川秀忠から犬山城を与えられたのが、成瀬正成である。
正成は家康に仕え、のちに家康九男・徳川義直の補佐役となった。
その立場は、通常の家老とは少し違う「付家老」。
将軍家から御三家の藩主につけられた、特殊な重臣である。
成瀬家は尾張藩士でありながら、
犬山城と3万5千石を治める。
しかし、幕末まで正式な独立大名とは認められなかった。
大名のようで、大名ではない。
そんな独特な立場の家が、犬山城を九代にわたって治め続けることになる。

中央右上に初代・成瀬正成
なぜ信康と成瀬家は「稲荷」を崇敬したのか
一方、社伝には、気になる伝承が残されている。
犬山城築城の際、織田信康が城郭内に祀ったのが始まりだというのだ。
しかも、その旧鎮座地とされる三光寺山は、現在の丸の内緑地公園付近。後に犬山城の城郭内に取り込まれた場所である。
つまり三光稲荷は、城ができた後に城主がたまたま崇敬した神ではない。
社伝を信じるなら、犬山城が形づくられていく、その始まりから城の中に祀られていた神だったことになる。
なぜ信康が数ある神の中から稲荷を選んだのか、その理由までは分からない。
それでも、城に神を祀ったという記憶は残り、城主が変わっても信仰は受け継がれていったのだろう。
江戸時代に犬山城へ入った成瀬家も、三光稲荷を歴代の守護神として崇敬し、神宝を寄進し、天下泰平や五穀豊穣などを祈願したと伝えられている。
そこには「戦に勝つ」だけではない、城主の祈りが見える気がする。
領地が実ること。
家が続くこと。
領民が暮らしていけること。
天下が泰平であること。
城主にとって「守る」という仕事は、戦場だけにあったわけではないのだろう。

拝殿での参拝を終えると、その脇には朱色の鳥居が奥へ向かって規則正しく連なっていた。

「うわ、ここ映えるね。ここで写真撮って。」
奥さんが足を止めた。
外国人観光客も多く、次々と人がカメラを向けている。
タイミングを見計らって写真を撮り、私たちも鳥居の奥へ進んでみた。

千本鳥居を抜けた先には、静かに奥之院が鎮座していた。
城主でなくなっても守り続けたもの
明治維新によって、成瀬家は犬山城主ではなくなった。
しかし、犬山城との関係まで終わったわけではない。
明治6(1873)年、犬山城は廃城となり、天守以外の多くの建物が取り壊された。
さらに明治24(1891)年の濃尾地震で天守も大きな被害を受ける。
その後、愛知県は修復などを条件に、犬山城を旧城主・成瀬家へ無償譲渡した。
城主ではなくなった成瀬家が、今度は城を守ることになったのである。
そして昭和39(1964)年、三光稲荷神社が三光寺山から現在地へ遷座する際、
その土地を提供したのも成瀬家だった。
江戸時代には三光稲荷を守護神として崇敬し、近代には犬山城を守り、昭和には神社の遷座にも関わった。
神が城主を守り、城主もまた神を守った。
城主という立場はなくなり、祈りの形も時代とともに変わった。それでも、犬山城と三光稲荷、そして成瀬家との関係は途切れなかった。
今も犬山城の麓では、多くの人が手を合わせている。
神社から犬山城を眺めると、天守や石垣だけでは見えなかった犬山の姿が、少し浮かび上がってくる気がした。
御朱印

「光」という字が独特な形で、思わず目を引かれた。
基本情報
鎮座地:愛知県犬山市犬山北古券65ー18
授与時間:8時30分〜16時30分
※最新情報は公式HPをご確認ください
参拝所要時間:30分くらい。
Googleマップ
次回予告
最後までお読み頂きありがとうございました。
ここまで読んでくれた方、スキをポチッとしてくれたら励みになります。まだフォローしていない方はフォローもぜひ🙇♀️コメントも何でも嬉しいです
前回の予告では2社まとめてご紹介する予定でしたが、調べるほどにそれぞれ違う犬山が見えてきたので、前後編に分けました。
三光稲荷神社から見えたのは「城主」の祈り。
次回は針綱神社から、城が築かれる前の土地と、城下町に受け継がれた祈りを歩きます。
お楽しみに。
「東海」の神社の記事はこちら
いいなと思ったら応援しよう!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。神社やその土地の歴史を辿ることで、今まで見えなかったものを感じたり、考えたりするきっかけになれば嬉しいです。いただいた応援を力に、また次の神社へ向かいます!