見出し画像

「こぼした牌でアガる」のはOKなのか

競技麻雀プロの公式戦で
「自分がこぼした、相手の不要牌が一発になるタイミングでリーチした」プロをどう思うか、というトピックが話題のようだ。

こぼした牌が全員に見えたのは明らかだが、
①たまたまそこで聴牌して、当然のリーチだった
②そこで聴牌はしたが本来はダマるべき場面だった
③以前から聴牌していたがそれを狙って曲げた
いずれかは不明の模様。

ただまあ、
これに関して意見を述べている人は、「そもそも①②③どの場合でもルールとしてOKだから、咎められるべきではない」或いは「①②③どの場合でもマナーとしてNGだから、しない方が良い」のいずれかに振り切っている印象。
なおご本人はルールとしては全く問題ないがモヤモヤしている、と仰っている。これも至極当然である。


私がもしその立場(牌をこぼした側)にあれば
たぶんダマっちゃうだろうな。で、出ても見逃す。
ついでにその後、謎のモギリー打ってバレちゃったりするのかも。

そのぐらい、
山に積まれた牌を見せちゃうのは、許されない、麻雀のゲーム性を損なう酷い行為だと思っている。

でも、競技麻雀ってのは不思議なもので
見せ牌や腰牌(鳴くそぶりを見せて鳴かなかった牌)などには極めて緩い、甘い。基本的には完全なるノーペナルティなのだ。

私が競技麻雀プロだったころに、他家の「腰牌」を根拠に切った牌で、大きなタイトル戦での勝ち上がりの可能性がなくなった、その際に今をときめく西村雄一郎雀王も道連れにしてしまった、という記事がこちら↓

私自身が腰牌では絶対にアガらない、という理由で切ってしまった、
それを「場末麻雀理論」として、強く自戒した、という話である。

私自身、他人にモヤモヤはまったくしなかったのは、自分が「時代遅れ昭和おじさん」という認識が強くあるからだろう。
むしろ他人を巻き込んですまん、と強く感じていた。これは正直な気持ちである。

但し、
自分がやらないのとそれを他人に課するのはまた別の話。
ただ、同じ矜持を持つ人のことは好きになってしまうだろうな。
でも、違うスタイルの人も嫌いにはならない。
実際上記の記事のエピソードで、アガった人が主催している勉強会や私設リーグにずっと通っていたほど、私はその相手のことがむしろだいぶ好きだった。


最初のトピックに立ち戻ると、
これってどうすべきか、今でも結局正解は出ていない。
なんせ
私はダマるし見逃すだろう、そのぐらい見せ牌はゲーム性を損なう…なんて言っておきながら
私のその対処(ダマること・見逃すこと)や、その結果(恐らくアガり逃しすること)が、結局ゲーム性を曲げてしまうのもまた事実なのだ。
そして
「こいつは見せ牌ではアガらないだろう」と
私のことを知っている人だけが得をすることさえあるかもしれない。

極端な話、山の牌をこぼした人はアガリ放棄でも良いと思っているのだが
リーグ戦である以上、アガリ放棄連発の人と同卓した人だけが得をするのもやっぱりマズいだろう。

どうすべきか、難しいよねえ…

今回はオチも結論もない、切れ味鈍い話ですまん。

ここから先は

0字

■概要 テレビマンから年収1500万を捨てて競馬予想家へ転身、なぜか麻雀プロ&雀荘の店長になり、そし…

コラムマガジン【半】

¥880 / 月

コラムマガジン【全】

¥1,780 / 月

ご支援ありがとうございます。 感謝カンゲキ雨嵐でございます。 ついでにメッセージがおみくじになっています。