もののけ姫「シシ神」に潜むメッセージ ~「反」エントロピーについて~
ジブリ作品の中に潜んでいるメッセージは膨大です。
その中で今回書きたいのは、
もののけ姫の中にあるシシ神とは何なのか。
シシ神の中にある宮崎駿監督の強いメッセージとは
という考察です。偉そうに考察してすみません。
※ここからネタバレがあります
『もののけ姫』をまだ見ていない方は、よろしければまず映画を見てください。
シシ神は、生か死かを選んでいるのか
シシ神には、不思議な力があります。
触れた者の傷を治すこともあれば、その命を奪うこともあります。
見ている私たちには、シシ神が、
この生命は生かす。
この生命は死なせる。
という、究極のジャッジをしているように見えます。
私が初めて見たのは小学校6年生なのですが、シシ神が乙事主やモロに触れた時、いままで生きていた生命体が一瞬で朽ちていく表現を見た時
私は「こわい存在だなぁ」と思ったことを覚えています。

シシ神は、どのようにこれをジャッジしているのでしょうか?
そのことがよく分かるのが、サンとモロの会話です。モロは、自分が石火矢で撃たれ、死が近いことを理解しています。そして、シシ神についてこう語ります。
モロ「私はすでに十分に生きた。
シシ神は傷を治さず、生命を吸い取るだろう。」
しかしサンは、それを否定します。
サン「そんなはずはない。
母さんはシシ神さまを守ってきた。」
サンは、母さんはシシ神を守ってきた。
だからシシ神も、母さんを助けてくれるはずだという
善いことをした
⇒善いものが返ってくる
という構図が見て取れます。
サンは、シシ神にも恩や情があると考えているのです。
一方で、モロは冷静です。
自分は十分に生きた。
だから、もう命を返すのだと考えている。
モロは、シシ神を自分の味方だとは考えていません。
シシ神は、森を守った者に褒美を与えるような存在ではない。
シシ神は
森そのもの
自然そのもの
だからです。
自然は、人間の善悪では動かない
私の知り合いに、農家さんがいます。
磐田の宮ちゃんです。宮ファームさん。
とても面白い農家さんで、無農薬なのに
なぜか野菜にあまり虫がつかないのです。
面白いのは「野菜が強ければ虫に食べられない」という逆転の発想
たしかに、虫が分解する必要のない野菜を作れば、虫は食べる必要がないから食べない。なるほど合理的な発想だなと思いました。
エントロピーに逆らう力がある野菜ともいえます。
宮ちゃんは、浜松医科大で発表をするような向学心のある方ですが
実際に科学的に説明できるのかは私には分かりません。
でも私は、虫が食べる必要がないという考え方はとても好きです。
虫は、人間から見ると野菜を食べてしまう害虫です。
しかし自然の側から見れば
虫や菌は、弱ったものや死んだものを分解し、土へ還す働きをしています。
その農家さんのエピソードで衝撃的なことがありました。
ある日、とても大きくて立派な野菜ができました。
その野菜の近くには、少し弱った野菜がありました。
その農家さんは、大きく育った野菜を抜けば、その土の菌が弱い野菜に栄養を与えてくれるのではないかと考え、大きくなった野菜を抜きました。
すると、隣の弱った野菜はものすごい速さで枯れてしまったそうです。
最初私はこれの意味が分からなかったのですが、
どうしても人間は
土の菌が野菜に栄養を与えている
と考えます。
でも、強い野菜が土から離れた瞬間、菌は弱い野菜を分解し、土へ還す働きを始めたわけです。
まるで、
もう、この形を維持する必要はない。
次の生命へ渡そう。
と自然が動いたように見えます。
私は、この話を聞いたとき、
菌はシシ神みたいだな
と思いました。
菌は、その野菜が善い野菜だったから助けるわけではありません。
農家さんが一生懸命育てたから、恩返しをするわけでもありません。
育てることもする。
分解することもする。
それが自然なのだと思います。
ただし、私はここで絶対に間違ってはいけないことがあると考えています。
自然らしいことが、善いことと断定するのはよくない
自然は、人間の命を平等に大切にしてくれるわけではありません。
嵐も起こす。
地震も起こす。
病気も起こす。
人間が滅びても、地球の循環そのものは続くかもしれません。
だから、
自然に従えばすべて正しい
とは、私はまったく思っていません。
むしろ私は、サンが、
そんなはずはない。母さんはシシ神さまを守ってきた。
と言ったことを、とても美しいと思っています。
とても人間らしいからです。
アシタカも言ってました。「そなたは美しい」と。
余談「そなたは美しいとは」
サンは、自分が醜い存在だと思ってます。肉体が人間だからです。

森を侵食した憎むべき人間。
その人間の肉体をもって森で暮らしてきた。
サンは、もののけとしても人間としても複雑な境遇です。
(モロもそれを哀れな子と言い、お前に救えるかとアシタカに問う)

しかし、自らが醜いと思うサンの想いを感じ、アシタカは
「そなたは美しい」と言います。
顔がかわいいとかそういうことじゃなく、そなたは醜い存在ではない。
美しい存在だ。
ということを知ってほしかったのではないかと思います。
この件は最後にまとめてあります。

『ナウシカ』が描いた腐る森
ここで、『風の谷のナウシカ』の話を少しします。
正確には、映画版ではなく
宮崎駿監督が描いた漫画版の『ナウシカ』です。
漫画版は、映画とは比べものにならないほど壮大です。
※ここから特に漫画版を見てない方はネタバレ注意です※
漫画版に登場する腐海は、ただの毒の森ではありません。
腐海は、旧文明の人間が汚してしまった大地を浄化するために作られた
「巨大な浄化装置だった」のです。

王蟲も、腐海の生き物も、その働きの中にいます。
そして浄化が終わると、腐海は消え、
ついにきれいな世界に変容します。
なんてすばらしいシステムなんでしょうか、、、と思いきや!!
なんとそれに「ナウシカは抗う」のです!
ひ、、、ひめさまぁ~~~涙
くどい様ですが、人間から見ると「腐る」という言葉には、悪い印象があります。食べ物が腐れば、食べられません。身体が腐れば、死を感じます。
でも、土の循環から見れば、腐ることは終わりではありません。
腐るとは、一つの形がほどけ、次の生命へ渡されることです。
漫画版『ナウシカ』では
腐るものを悪と断定し、もう一つの人間に都合の良い方を選択するという
人間の都合に疑問を投げかけます。
この辺りはナウシカの壮絶な覚悟も相まって漫画版を是非ご覧いただきたいです。

これも踏まえ、「もののけ姫」は
映画版ナウシカで未消化だった本題である内容に切り込んでいった
本質的な作品ともいえるのではないかと考えています。
宮崎監督にとってもののけ姫は忘れ物だったのかもしれません。
シシ神は、腐らせるのではなく枯らす
シシ神が歩くと、足元の植物は芽吹きます。
そして、すぐに枯れていきます。
腐るのではありません。
枯れるのです。
芽生える
⇒成長する
⇒老いる
⇒枯れる
シシ神の一歩の中で、植物の一生が起きている。

シシ神は、植物に命を与え、その直後に気まぐれで奪っているのでしょうか。
私は違うと思います。
芽生えから枯死まで、一つの生命に流れる時間を、一瞬で私たちに見せている。
シシ神の一歩は、全てを含んでいるのです。
だから私は、シシ神は
自然の中を流れている時間なき世界そのもの
なのではないかと考えています。
腐るという自然の中で他の生物による共生ではなく
過行く時間全てが、消えゆく(来経行く)ように
すべてがそこにある存在なのではないかと考えました。
生⇒死はエントロピー
ここから、少しエントロピーの話をします。
難しい数式を説明するつもりはありません。
私はエントロピーを、生命を見るための言葉として使っています。
一つにまとまっていたものが、少しずつほどけていく。
秩序が崩れ、バラバラになっていく。
生
⇒老い
⇒死
⇒分解
この向きを、私はエントロピーとして考えています。
生命を保つためには、秩序が必要です。
心臓が血を巡らせる。
呼吸が酸素を運ぶ。
細胞が壊れた部分を修復する。
体温を調節する。
脳や臓器が、互いに情報をやり取りする。
私たちの身体は、ただの肉の塊ではありません。
たくさんの働きが関係し、全体として「一人の人間」を保っています。
この関係が崩れていく。
それが死なのだと思います。
生きている間も、崩れ続けている
しかし、エントロピーは死んだ瞬間から始まるわけではありません。
私たちは、生きている間もずっと崩れています。
細胞は壊れる。
傷がつく。
疲れる。
老いる。
熱が外へ逃げる。
それでも生きていられるのは、身体が自分を何度も組み直しているからです。
壊れる
⇒修復する
⇒また壊れる
⇒また修復する
食べ物を食べる。
水を飲む。
呼吸をする。
眠る。
それらによって外からエネルギーを取り込み、崩れ続ける自分を組み直しています。
この、
崩壊を防ぎ、生命の形を維持する働き
を、ここでは逆エントロピーと呼びます。
エントロピー(+)
=形がほどける方向
逆エントロピー(-)
=形がほどけることに抵抗し、形を保つ方向
でも、生命は単純にエントロピーを逆再生しているわけではありません。
昨日とまったく同じ身体に戻っているわけではない。
細胞も入れ替わる。
考えも変わる。
記憶も増える。
傷も残る。
私たちは、元に戻りながら生きているのではありません。
変わりながら、同じ私であり続けている
石は同じ石です。ずっと石です。
ただ、私たち生命体はエントロピーに対して、逆エントロピーをしながら、構造を維持し、変わっているけど同じ私というシステムを採用しています。
↑ここ大事です。テスト出ます。
逆ではなく、「反」エントロピーとは
四則和算の光吉俊二先生は、「逆」と「反」について、定義しています。
詳しくは割愛しますが、この反を用い、「反エントロピー」を考えます。
私は、反エントロピーを、逆エントロピーとは別のものとして考えています。
反エントロピーとは、
エントロピー(+)と逆エントロピー(-)の両方を含む働き
なのではないかということです。
ほどける。
結び直す。
またほどける。
また別の形に結び直す。
+だけでもない。
-だけでもない。
その両方を含みながら、全体として動き続ける。
私はこれを、虚数的な視座なのではないかと考えています。
数学的な厳密さについては、反論大歓迎です。
これは現時点での私の仮説です。
実数の世界では、
+か-か
生か死か
治ったか、死んだか
という、二つの結果に分かれて見えます。
しかし、その二つを少し離れた場所から見れば、
+
⇒-
⇒+
⇒-
は、一つの循環の異なる瞬間なのかもしれない。
シシ神は、
生か死かを選んでいるのではなく、
生
⇒成長
⇒老い
⇒死
⇒次の生
という全体を見ています。
人間の視座では、生と死は大きく違います。
しかしシシ神の視座では、一つの時間の流れの中にある。
だから私は、
シシ神の視座は、虚数的なのではないか
と思っています。
シシ神はエントロピーだけではない。
逆エントロピーだけでもない。
その両方を含み、一つの生命の時間を動かす反エントロピーの存在なのではないでしょうか。
傷は治しても、呪いは消さなかった理由
アシタカは呪いを解くために、シシ神の森へたどり着きます。
しかし、その途中で鉄砲に撃たれ、重傷を負います。
サンに助けられ、森の中で横たわるアシタカ。
そこへシシ神が現れます。
その結果は複雑です。
傷は治った。
しかし、呪いは治らなかった。
なぜでしょうか。
私は、傷と呪いは違うからだと思います。
傷は、アシタカという一つの生命の時間を、そこで終わらせようとしていた。
シシ神は、その止まりかけた生命の時間を、もう一度動かした。
肉体としては朽ちて死んだ方が、この世の定めのような気がしますが
シシ神は、アシタカを生命体として「生きろ」と言ったことになります。
これは生命体として、生きる価値があるということです。
しかし、呪いは単なる身体の傷ではありません。
ナゴの守が人間に撃たれた。
↓
痛みを受けた。
↓
憎しみに飲み込まれた。
↓
祟り神になった。
↓
そして、その憎しみをアシタカへ渡した。
傷 ⇒ 憎しみ ⇒ 加害
⇒ 新しい傷 ⇒ 新しい憎しみ ⇒
この循環こそが呪いです。
呪いとは、痛みが未来へ渡され続ける因果の檻です。
シシ神は、アシタカの過去を消してはくれませんでした。
ナゴの守の痛みを、なかったことにもしませんでした。
だから、呪いは残ることになったのだと思います。
呪われたアシタカが断ち切ったもの
アシタカは、呪いを受けたからといって、憎しみを感じなかったわけではありません。

怒りもあった。
痛みもあった。
呪いの力によって、人を殺してしまうこともあった。
それでも彼は、
自分が傷つけられた
⇒だから相手を傷つけてよい
という因果に、最後まで従いませんでした。

痛み ⇒ 加害
怒り ⇒ 復讐
防衛 ⇒ 憎悪
原因 ⇒ 結果(新たな原因)
この「⇒」を切った。
私は、これを因果を切っていると解釈しました。
大事なのは
憎しみをゼロにすることでもない
のです。
傷を忘れることでもない。
痛みは残す。
記憶も残す。
しかし、
その痛みが、次の誰かを傷つける道だけを切る。
アシタカは、憎しみが同じ結果を生み続ける、因果の檻を切ったのです。
呪いの反とは
呪いが不幸を与えるのなら
逆は幸福を与えることになるから祝福でしょうか。
これは、+と-の関係です。
ならば、呪いの「反」は何でしょうか。
呪い ⇒ 受けた傷を、そのまま未来へ渡す
とするならば「敵を赦そう」という考えがあります。
ただ、自分だけ我慢すればいいの!!
という自己犠牲の発想で世の中は平和にはなりません。
ここでさきほどの復習です。
私たちの細胞は同じ細胞ではない状態になることを言いました。
それと同じで考えると、呪いの反とは
自分が受けた傷を、受け止め、同じ傷の形で次へ渡さないこと。
呪いは未来を縛り連鎖します。
では呪いから未来を開く方法はないのか?
アシタカは呪いを消したのではありません。
呪いに、自分の未来を決めさせなかった。
確固たる意志と、呪いも憎しみも、全てを受け止める覚悟
光吉俊二先生のお言葉を借りると「諦」の境地です
だから最後に、呪いは完全に消えるのではなく、薄い痕として残ったのだと思います。
過去は消えていない。
しかし、未来を拘束する力ではなくなった。
そして、たたら場も森も、憎しみは消え
新しい歩みを始めています。
お互いの新しい可能性が生まれたのです。

諦の境地に達したアシタカ(とサンの縮元)という柱のもとで
シシ神たるダイダラボッチがすべてを吹き飛ばしてくれたのです。
大いなる破壊によって、創造されたのです。
これは、エントロピー・逆エントロピーでなせるものではありません。
負のエネルギーが変換して創造した形。これが反エントロピーの結末だと思います。
虚数による質性変換は、善も悪もなく
新しい「何か」が創発されたことになります。

ちなみに解釈がずれると申し訳ないので、念のため申し上げます。
アシタカは諦の境地で、憎しみを受け止めましたが
武器を捨てて話し合えというようなことじゃないです。
話し合えない相手にはしっかり、おし通ってますから
ちゃんとアシタカは
武器持って強力な戦闘力で戦ってます!!
自然は循環し、人間は人生を切り取る
自然の中では、
生
⇒死
⇒分解
⇒次の生
⇒死
という循環が続いています。
一つの生命の死は、別の生命の始まりへつながる。
自然全体から見れば、そこに完全な始まりも終わりもないのかもしれません。
しかし人間は違います。
人間は、その循環の中から、
この人が生まれた。
この人が生きた。
この人が亡くなった。
という、一つの人生を切り取ることができます。
私は、これを、
人生 CUT 1
と考えています。
同じ1でも、同じ人生ではありません。
一つ一つの人生には、始まりと終わりがあって
その過程には全く違う質があります。
自然の物質は循環しても、その人とまったく同じ人生は戻ってこない。
そして、
人生CUT2
と考えれば、
生か、死か
という二つの状態が現れます。
自然そのものが、生と死を完全に切り分けているわけではありません。
自然は、ただ循環しています。
しかし人間は、その循環の中から始まりと終わりを認識する。
一人の命を、取り替えの利かない「人生」として見ることができます。
だから私は、自然の循環を理解することと、人間の命を大切にすることは、別の話だと思っています。
自然から見れば、モロは十分に生きた。
しかしサンは、
そんなはずはない。母さんは助かるはずだ。
と考えた。
私は、そこに人間の美しさを感じます。
自然の仕組みを知っていても、
それでも生きてほしい。
まだ死んでほしくない。
この人の人生は、自然全体の循環だけでは語れない。
そう思うことが、人間らしさなのではないでしょうか。
そう、「そなたは美しい」のです。
宮崎駿さん自身はそんなことも考えてないかもしれません。
ただ、声優さんとのアフレコの時
自分が生み出したキャラクターに声が生まれ
「そんな面があるのか」と気づいてました。
もはやこの作品は、監督の元すら離れ
キャラクターが生きています。
私の解釈が、正しい間違っているというジャッジよりも
キャラクターと視聴者の間に何が生まれたか
それが、素晴らしい作品に共通したことであると感じています。
シシ神とアシタカ
シシ神は、
生
⇒死
⇒次の生
という自然と時間の循環を表しています。
アシタカは、その循環の中から、
一人の命
一人の痛み
一つの始まりと終わり
そして、次の世代へ渡してはいけない因果
を切り取ります。
シシ神は循環する自然。
アシタカは、その中で切算をする人間。
だから『もののけ姫』は、
自然に従って生きなさい
という物語ではないと思います。
自然は善でも悪でもありません。
生ませる。
育てる。
枯らす。
分解する。
また生ませる。
それでも人間は、その循環の中で、
この命を守りたい。
この死を忘れたくない。
更に人間は、この憎しみを、次の憎しみへ渡したくない。
と選ぶことができます。
シシ神は、生と死をジャッジしているのではないのです。
生と死を含む、生命の時間全体を動かしている。
そしてアシタカは、その時間の中で
未来へ渡してはいけない因果を切りました。
それに挑むことは、人間としてはとても困難で
大きな試練だと思います。
ただやりきれば、たとえ大きな渦の中に巻き込まれていても
シシ神が「生きろ」と言ってくれると思います。
でもシシ神は、自然そのものですからそんな権限はありません。
私からすれば、シシ神は森そのものだし
あなた自身でもある と考えています。

以下、まとめです。
自然は循環させる。
人は因果の檻にもなる。
人間は循環を一つ一つを切り取ることができる。
因果も断ち切ることができる。
そしてその新しい「何か」は、全く違うことが生まれている。
これが、私が『もののけ姫』から感じたメッセージです。
次は、この反エントロピーについて
魔法少女まどか☆マギカ 考察です。
「まどか」が巻き起こす反エントロピーとは!?
この記事は、スタジオジブリさんのホームページより活用が許可された画像を拝借して作成しました。スタジオジブリさんありがとうございました。
また、ここまで長い文章を見てくださった皆様ありがとうございました。
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