未来の私が『よかったよ』と言える50代となるために
最近、気づくと耳を傾けている音声動画がある。
75歳で亡くなった樹木希林さんが、
もし私があなたたちの“50代”に戻れたら——
そんな視点から語るメッセージだ。
もちろん本物ではないだろう。
誰かが用意した台本を、AIが「らしく」読んでいるだけだと思っている。
それでも、納得できる言葉は、ちゃんと胸に落ちる。
だからつい、聞き耳を立ててしまう。
あの頃の希林さんは、めまぐるしく走り抜けた50代を振り返り、
こうしておけばよかった、と静かに語る。
もっとゆっくり景色を見ればよかった。
もっと今の自分を味わえばよかった。
焦らなくてもよかったのに——と。
その言葉を聞いた時、
「あれ? これって、案外、今の私が選んでいる日常と近くない?」
そんなふうに感じる自画自賛。
早々に“生活の大部分を占めていた会社の時間”を手放し、
自分の好奇心のための空間に手を伸ばした私。
その毎日は、希林さんが70代になってようやく気づいた
「こうすればよかった」という日常と、案外、重なる部分がある。
まるで
“あなたの選んでいる日常は、そんなに間違っていないよ”
とそっと囁かれているようで、
気づけば、やさしく背中を押されているような気持ちになる。
けれど——
今、私たちが浴びている情報は、まったく別の方向を向いているようにも思う。
未来の日本はますます貧しくなる。
老後が怖いなら、今のうちに稼ぎ続けろ。
長く働ける場所を確保しろ。
「70代になって後悔したくないなら、今こそ選ぶべき道は!」
そんな“不安を煽る言葉”ばかりが目につく時代だ。
希林さんの
「そんなに急がなければ、よかった」
という視点とは真逆の、
焦りへと人を追いたてる空気で満ちている。
たしかに希林さんは“資産家”という背景があり、
お金の心配が少なかったからこそ言えた
「もっとペースを落としてよかった」という言葉なのかもしれない。
でも、時代が違うとはいえ、
未来が読めない不安は私たちにも同じようにある。
値上がりする食品を前に、背を向けるしかできない自分には誰もなりたくない。
主食を棚に戻す高齢者の姿に、
「未来の庶民の日常?」と胸がざわつく瞬間だってある。
それでも私は思う。
むやみに不安だけに操られる生活には、陥りたくないと。
インフレが怖いなら、インフレに強い資産を少し持つ。
日本の低成長が続きそうなら、円だけに頼らず外貨も視野に入れる。
予測できる不安要素には、できる範囲で備える。
そのうえで——
残りの時間は“不安”ではなく“好奇心”で使いたい。
70歳の私が振り返ったとき、
「あの50代でよかったよ」と胸を張って言える日々になるかどうかなんて、
誰にもわからない。
だからこそ、選べる最善にベストを尽くしたら、
あとは時の流れに身をまかせる潔さも必要だと思っている。
足りないものを数えていたら、
永遠に“不安のループ”から抜け出せない。
あなたが70歳のとき、
どんな50代であったら「よかったよ」と言えるだろう。
やれることをやって、
あとはその時々を丁寧に生きる。
今の私には、
そのくらいの“いい塩梅”がちょうどいい。
ーーこのnoteは、心理学のサイトウさんが言っていた
「ブログを毎日1000回書くと人生が変わる」を信じて、
ちゃとも(ChatGPT)との対話から生まれた、小さな習慣の記録です。
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