断酒12年。まだ酒の夢を見る。
2014年7月に断酒を始めたので、この7月で12年になる。
12年も酒を断っているので、さすがに日中に飲みたくなることはなくなってきた。
それでも、いまだに頻繁に酒を飲む夢を見る。ガバッと目が覚めて、「ああ、夢でよかった」と胸をなでおろすことは珍しくない。
依存症の背景には、愛着不安やトラウマの影響があるという話をしばしば耳にする。「消してしまいたい過去の記憶があるから人は何かに依存するのだ」といった話だ。実際、そういうこともあるだろう。
では、自分はどうだろうか。
これがやっかいなのは、当の本人が、その「消したい過去」を記憶の表面から消してしまっている点だ。だとすれば、自覚しようがない。
ひょっとしたら何か消したい過去があって、それゆえに酒に依存したのかもしれない。なんて言われると、ないとは断言できない。
だが、どうもそうではない気がする。
たとえば、両親との関係も依存症の原因としてよく挙げられる。関係がうまくいっていなかったとか、支配的な親のもとで育ったとか、そういう話だ。
自分の場合、親との関係に問題があったわけではない。それどころか、助けを求めたときに入院させてくれたのも、退院後に養ってくれたのも両親である。そのことには感謝しかない。
ほかに引き金になりそうな忌まわしい記憶があったのかなかったのか。
絶対にないと言い切れるかと問われると、言い切れない。ただ、酒に依存する前も依存している間も、また、断酒して今に至るまで、そういう記憶が意識に上ってきたことは一度もない。
だとすれば、ないと考えていいのだろうと思う。
そもそもどんなに健康な人でも、酒を浴びるように飲み続ければ、依存してしまうのは必然である。アルコールは薬物なのだから、ある量を超えれば、脳がそれに依存する回路を作ってしまう。
これは、人間の生理としてごく当たり前のことだ。
心身ともに健やかな人間であっても、意識を変容させるような物質を摂取し続ければ、それに対する依存は形成される。
だとすると、最初から手を出さなければよかったという身も蓋もない話になる。
ただ、すでに手を出してしまった以上、しかも、あれだけ深く依存してしまった以上、自分に残された道は一つしかない。
生きているかぎり、もう二度と酒を飲まない。それだけだ。
何か確固たる原因があって依存したと言える方が、心理的には楽かもしれない。
「消したい過去があったから、つらい記憶から逃げるために酒に頼ったのだ」
そう言えば、酒に溺れた十数年は自分のせいではなくなる。傷つけられた自分が、その痛みから逃れようとした結果なのだ、と。
同情もされるだろうし、自分自身を許しやすくなる。
しかし、現実はそうではない。
ただ、自ら選んで飲んだだけだ。酒に酔う心地よさにのめり込み、徐々に量が増え、やがて離れられなくなってしまった。
それだけのことで、そこに悲劇はない。強いて言えば、自分で自分を病気にしたというだけ。
私の依存に深い意味はない。乗り越えるべき過去も、許すべき誰かもいない。ただ、薬物を浴び続けた体が、それを覚えてしまった。
12年経っても夢に見るのは、その証拠だ。
原因が過去にあるなら、その過去を解決すれば「いつかまた飲めるようになるかもしれない」などと淡い期待を抱いていたかもしれない。
だが、原因がただの生理なら、そんな期待の入る余地はない。
酒を欲する回路がいったん脳に刻まれると、それは二度となくなることはない。
もちろんやめ続けることで、使われなくなった回路は徐々に鈍っていく。だが、鈍るだけで消えてなくなるわけではない。また酒を飲めば、眠っていた回路は一気に目を覚ます。
それゆえ、依存症の人間は、たとえ一杯だけでも酒を口にすると、坂を転げ落ちるように元に戻ってしまうのだ。
だから、いったん依存症になってしまった以上、一生酒をやめ続けるしかないのである。
冒頭で、いまだに酒の夢を見ると書いた。以前は「いいかげん忘れさせてくれ」と思ったものだが、最近は違うふうに考えるようにしている。
あの夢は警告だ。
「おまえの脳はまだ酒を覚えている。気を抜くな。」
そうやって、夢が繰り返し己の慢心を戒めてくれている。
意志の力などあてにならない。「12年やめているのだからもう大丈夫だ」という慢心がいつ忍び込んでくるかわからない。
そういうときに、夢がまだ終わっていないことを知らせてくれるのだと都合よく解釈しよう。
