村上春樹『夏帆』/母親の目線で捉えた、母と娘の断絶と葛藤の読書感想文
村上春樹の長編小説『夏帆─The Tale of KAHO─』に描かれた、母と娘の対峙、そして象徴的な「母殺し」を軸に、
母親の目線から捉えた、娘・夏帆への思いや確執、その裏にあった葛藤を綴った、母親目線の読書感想文です。
「断絶の果てに与えられた解脱と祝福」
逃れられない「女同士」の断絶の矜持
親と言うものは、自分でも気づかないうちに、子どもを自らの美意識や価値観と言う、歪んだ枠組みへ閉じ込め、
知らず知らずのうちに、その存在を窒息させてしまう、ものなのかもしれません。
『夏帆』と言う物語の中で、娘・夏帆と、真正面から対峙する母親の立場に身を置いた時、
私の胸を占めるのは、溢れるような愛おしさではなく、激しい嫉妬や、恐れ、そして、逃れられない「女同士」の断絶の矜持でした。
私はこれまで、自らの美しさや若さ、そして洗練された、品位ある生活様式に、強い誇りとこだわりを持って生きて来ました。
家庭と言う閉じられた小宇宙の中で、夫を支配し、理想的な教育を施すことこそが正義であると、信じて疑わなかったのです。
しかし、娘が成長するに連れ、父親の面影を色濃く宿し、私が望む「可憐で都合のよい娘」と言う型から外れていく夏帆に対し、私はいつしか、歪んだもどかしさと、苛立ちを募らせていました。
上質な衣服を与え、完璧な佇まいを求めながらも、私の内側にある過剰な自己愛と身勝手な欲望は、静かに、けれど確実に夏帆の幼心を追い詰め、逃避させていたのでしょう。
「シロアリの女王に憑依された母」と言う形象
作中で描かれる「シロアリの女王に憑依された母」と言う禍々しく(まがまがしく)不気味な形象。
それは決して外から飛来した異物などではなく、母である私が長年抱え込んで来た執着や歪んだ性、そして娘を思い通りにコントロールしようとする、
支配欲の果てに結実した、私自身の真の姿だったのだと、痛感させられました。
自分が致命的な過ちを犯していると、どこかで察しながらも、湧き上がる欲望を抑えきれず、夫の精神を崩壊させ、娘の可憐な世界をも侵食していく。
私自身、自分の中に巣食う底なしの暗黒に、どう抗えば良いのか分からず、ただ狂気の中で身をよじらせていたのです。
母親と言う存在を象徴的に解体する
だからこそ、自らの意思で刃を握り締め、真っ直ぐに私に向かって、突き進んで来た娘・夏帆の姿を目にした時、
悲鳴と共に湧き上がったのは「これでいいのだ」という奇妙な救いでした。
私を突いた悲鳴の裏側には、奇妙なほど澄み切った救いが満ちていました。
母と娘と言う、あまりにも濃密で、過酷な血の結びつきは、穏やかな対話や甘い妥協などでは、決して解きほぐすことが出来ません。
夏帆が私と言う巨大な呪縛を切り捨て、自らの「顔」と本当の人生を獲得するためには、
母親と言う存在を象徴的に解体する――すなわち「母殺し」を遂行する以外に道は、残されていなかったのです。
絵本の世界の幻想と自立の強さ
夏帆は絵本と言う幻想の世界へ潜り込み、幾重もの恐怖と試練をくぐり抜けることで、ついに自立する強さを手に入れました。
彼女の刃が私の胸を貫いたその瞬間、私は母親としての完璧な敗北を悟ると同時に、ようやく、このおぞましい支配の役割から、解放されたのだと感じました。
剣を刺され倒れる私の視線の先で、私と言う障壁を打ち破り、二度と振り返ることなく、自らの足で歩み去っていく娘の背中。
そこには、私が与えることの出来なかった、圧倒的な神聖さと、自立した一人の女性としての、気高き輝きが宿っていました。
子どもを深く愛するがゆえに、その成長の最大の障害となってしまう親の悲劇。
しかし、娘が私と言う闇を切り裂き、自らの手で光を掴み取って呉れたことに対し、私は敗北の痛みを忘れ、ただ深く静かな祝福を贈るのです。
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