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100万回再生の時代に、古典を読む

AIと感性のあいだに、
小さな共鳴が生まれる場所。

clu(クラ)の世界へ、ようこそ。



「100万回再生」

そんな言葉を、よく見かけるようになった。



音楽でも、動画でも。
SNSを眺めていても、

○○万回再生。
○○万人が見た。
急上昇。
話題の作品。

数字が先に目に入ってくる。



もちろん、私も反応する。



100万回と書いてあれば、
「そんなに見られているんだ」と思うし、
少し覗いてみたくなる。



たぶん、それは自然なことなのだと思う。



数字によって、
遠く離れた人たちが同じ作品を知る。



国境もあまり関係ない。



考えてみれば、
とても令和らしい景色である。



でも、ふと思った



創作を続けていると、
ときどき妙なところで立ち止まる。



たくさん見られた作品と、
いい作品は、

同じなのだろうか。



もちろん、
100万回再生されて、
そのまま何十年も残る作品だってある。



一方で、

大きな数字にならなくても、
誰かの心の中にずっと残っている作品もある。



私はバズった経験がないので、
その向こう側の景色はわからない。



だからこそ、
素人なりに考えてみたくなった。



「残る作品って、なんだろう」

と。


そこで、古典が気になった



何百年。

ものによっては、
千年以上。



そんな時間を越えて、
いまも読まれている物語がある。



古典である。



学生時代には、

「覚えなければならないもの」

として見ていた気がする。



単語を覚えて、
意味を訳して、
テストの問題を解く。



でも、
創作をするようになった今、
古典を眺めると少し違って見える。



なぜ、
こんなにも長く残っているのだろう。



そこに書かれているものは、
本当に「昔の話」なのだろうか。



千年前にも、人は人だった




時代はまったく違う。



スマートフォンもない。
SNSもない。
YouTubeもない。


けれど、

誰かに好かれたい。

誰かに認めてもらいたい。

うれしい。
寂しい。
腹が立つ。
恋をする。
別れを惜しむ。

人の心そのものは、
意外と変わっていないのかもしれない。



だとしたら、

古典の中にある感情を、
令和に置いてみたらどうなるのだろう。



Situer *Le Conte du coupeur de bambou* à l'ère Reiwa

竹取物語』を、令和に置いてみる



たとえば『竹取物語』。

竹の中から現れた、
かぐや姫。



美しく成長し、
多くの男性から求婚される。



昔読んだときには、

「かぐや姫のお話」

くらいの感覚だった。



けれど今、
少し違った問いが浮かぶ。



これほど多くの人から、

「あなたが欲しい」

「あなたを選びたい」

と求め続けられる人生とは、
どんなものなのだろう。



それは、

「承認され続けることの息苦しさ」

とも読めないだろうか。



もちろん、
これはまだ私の問いでしかない。



原文をきちんと読めば、
違った景色が見えてくるかもしれない。

だから、面白い。



原文から離れすぎない



このシリーズで、
大事にしてみたいことがある。


まず、
原文を読む。

昔の言葉なので、
すぐにはわからない。


現代語訳や解説にも助けてもらう。



当時の時代背景も調べる。


そして、

「ここまでは作品に書かれていること」

「ここまでは歴史的に確認できそうなこと」

「ここから先は、私の想像」


なるべく、
その境界線を大切にしたい。



古典を使って、
自分の言いたいことだけを書くのではなく、

一度、
その時代の言葉に耳を澄ませる。



そこから、

「では、令和だったら?」

という問いを育ててみる。



専門家ではない。

だから、
わからないこともたくさんある。



でも、
わからないからこそ、

立ち止まれる場所もある気がする。



その時代には、どんな音があったのだろう



そして私は、
どうしても音のことを考えてしまう。

これは、
もう癖なのだと思う。



『竹取物語』の時代。

竹を切る音。

風で竹林が揺れる音。

人が歩く音。

衣が擦れる音。

夜の静けさ。

虫の声。

月を眺めていた場所には、
どんな音が流れていたのだろう。


Quel genre de sons flottaient dans l'air à l'endroit où tu contemplais la lune ?


もちろん、
物語に書かれていない音まで
勝手に「こうだった」と決めることはできない。



でも、

目を閉じて、
少しだけ想像してみることはできる。



文字だけだった世界に、

音や色や温度を
そっと重ねてみる。



それも現代だからできる、
古典との付き合い方なのかもしれない。



100万回より、千年



100万回再生。

その数字は、
やっぱりすごい。

一瞬で、
たくさんの人へ届く。



でも古典を見ていると、
別の数字もあることに気づく。



100万回ではなく、

千年。


どれだけ速く広がったかではなく、

どれだけ長く、
人から人へ渡ってきたのか。



誰かが読んで、
誰かが残して、
誰かが研究して、

そして、
いま私たちが読む。



そんな長いバトンがある。

もしかすると、
令和の創作にも、

再生数とは違う道があるのかもしれない。



今すぐ評価されなくても。

いつか誰かが見つけ、

また別の誰かへ渡していく。



私は、
そんな作品の残り方にも
少し興味がある。



だから、
古典を読んでみようと思う。



専門家としてではなく、

令和を生きる、
一人の素人として。



まずは、

『竹取物語』から。

原文を眺めながら、

かぐや姫は、
本当に「幸せな人気者」だったのか。

〖公開中です〗


そんなところから、
ゆっくり考えてみたい。


続きます。


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