教室にあった平和な凶器
昭和40年代
今の学校給食の牛乳は四角い紙パックが多いと思うが、私が小学校の頃はガラスのビンに入った牛乳だった。
ピンク色のビニールカバーを外すと、丸い紙のふたが付いている。
ちょっと爪が伸びている子は、自分で開けられるが、ほとんどの子は短く切った爪で悪戦苦闘。
結局、黒板の脇にひもで吊るされた「牛乳ビンのふたあけ」が順番に回ってくるのを待っていた。
それは今のアイスピックや千枚通しの小型版で、自分が開けたら後ろの子にリレーしていく。
最後に先生が開けたら「いただきます」ができる。
小さいとは言え黒板の脇に、いつも千枚通しが無造作に吊るされていた。
でもそれで「憎らしいアイツを刺してやる!」なんていう子は一人もいなくて、教室の中に千枚通しという凶器があるにも関わらずすこぶる平和だった。
また今のような電動鉛筆削りはもちろんのこと、手動の鉛筆削りさえ教室に設置されていなかったので、どの子の筆箱にも鉛筆を削るための小型のナイフが入っていた。
カミソリの刃を使った小型ナイフのような「ボンナイフ」である。形もいろいろあった。
7センチ位の「シンプルなボンナイフ」
床屋さんのカミソリのように折り畳める「折りたたみボンナイフ」
昔のお姫様が懐中に忍ばせていたような本格的な木の「小刀」
私の兄は、その小刀を持っていた。上級生になったら買ってもらえる憧れのナイフだった。
そんな風に今で言う「凶器」をクラス中の誰もが持っていたけれども、あの頃の子はそれで鉛筆を削るか紙を切ることにしか使わなかった。
授業中に退屈した子が、ノートの端を四角く切って折り紙にして遊ぶこともあったが、凶器として使うような子は一人もいなかった。
みんな一度や二度はそのナイフで手を切って、血を見て痛い思いをしたことがある。
だからこれで人を傷つけてはいけないと、誰に教えられるまでもなく学習していたのだ。
低学年の頃にはうまく鉛筆が削れなくて、でこぼこに仕上がった。
それでも練習するうちに、先がきれいに尖り、木の部分もまあるく削れるようになっていく。
「お母さん、こんなにきれいに削れたよ。見て!」
「ほんとだね。上手になったね。」
やるほどに手ごたえを感じることができた。
今は危ないものを大人がどんどん遠ざけてしまう
けれど本物のナイフを持たせて、見よう見まねで使い方を覚えさせるカウボーイの父親のように、危険な物に触れさせる経験も大切なのだろう。
凶器がそこら中にあったのに、子どもたちは平和に暮らしていた。
――それが、昭和だった。
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おわりに
牛乳瓶のふたは、爪がギリギリであけられませんでした~
このあと、安全な丸いガードが付いたのを知ってますか?
