「少し休んでいました」でいい。ぬか床のように付き合う日々の発信
朝、冷蔵庫を開けると、奥にぬか床があった。
しばらく触っていなかったことを思い出し、少し気まずい気持ちでふたを開ける。
見た目は、それほど変わっていない。
けれど、以前より少し匂いが強くなっている。
毎日のようにかき混ぜていた頃は、小さな変化にもすぐ気づけた。
少し水分が多い。
今日は酸味が強い。
そろそろ塩を足したほうがよさそうだ。
ところが、忙しさにかまけて触らない日が続くと、ぬか床は突然駄目になるわけではない。
見えないところで、静かに少しずつ状態を変えていく。
その様子を見ながら、InstagramやX、noteも、ぬか床に少し似ていると思った。
投稿を続けていると、画面の向こうにいる人たちとの間に、ゆるやかな関係が生まれていく。
毎日会うわけではない。
直接話したことのない人もいる。
それでも、文章や写真や動画を通じて、
「最近は、こんなことを考えているんだな」
「こんな場所へ行ったんだな」
「今日も元気そうだな」
と、お互いの存在をなんとなく感じている。
コメントをもらうこともあれば、何の反応もないこともある。
けれど、反応がないからといって、読まれていないとは限らない。
通勤途中の電車で読んでいる人がいる。
寝る前に、なんとなく目を通している人がいる。
言葉にはしなくても、少しだけ考えるきっかけにしている人もいる。
そうした目に見えないやり取りが、投稿のたびに少しずつ積み重なっていく。
ところが、投稿が止まると、その関係にも少しずつ変化が起きる。
誰かと喧嘩をしたわけではない。
嫌われたわけでもない。
フォローを外されたわけでもない。
ただ、接点がなくなる。
投稿する側は、「少し休んでいるだけ」と思っている。
けれど、読む側の日常は、その間も動いている。
新しい人が現れる。
新しい投稿が流れてくる。
以前よく読んでいた人のことも、少しずつ思い出さなくなる。
関係が壊れたわけではない。
ただ、ぬか床をかき混ぜない日が続いた時のように、見えないところで少しずつ状態が変わっていく。
SNSで生まれる関係は、少し不思議だ。
頻繁にやり取りをしなくても、投稿があることで、お互いの時間がどこかでつながっている。
「私は今も、ここにいます」
投稿には、何かを主張したり、役に立つ情報を届けたりするだけではなく、そんな小さな生存確認のような役割もあるのかもしれない。
だからといって、毎日投稿しなければならないわけではない。
ぬか床も、たくさんかき混ぜれば、それだけおいしくなるというものではない。
無理に毎日言葉をひねり出していれば、発信すること自体が苦しくなってしまう。
誰かとの関係を保つために、自分が疲れ切ってしまっては続かない。
大切なのは、毎日欠かさず投稿することではなく、時々ふたを開けて、自分の状態を確かめることなのだと思う。
短い言葉でもいい。
写真一枚でもいい。
最近考えていることを、少しだけ書いてもいい。
大きな成果や、立派な気づきがなくてもいい。
今の自分から出てくるものを、そっと置いてみる。
それだけで、止まっていたつながりに、また少し空気が入る。
そして、一度投稿が止まってしまったからといって、それですべてが終わるわけでもない。
しばらく発信していないと、
「今さら、何を書けばいいのだろう」
と考えてしまう。
休んでいた理由を説明したほうがよいのではないか。
以前と同じ頻度で続けられるようになってから戻るべきではないか。
そう考えているうちに、さらに時間が空いてしまう。
けれど、久しぶりの投稿に、大げさな説明はいらない。
「少し間が空きました」
「最近、こんなことを考えていました」
それくらいでいい。
ぬか床も、状態を見ながら少しずつ手を入れれば、また整っていく。
投稿も同じなのだと思う。
止まった時間を、慌てて埋めなくていい。
以前と同じ自分に、無理に戻ろうとしなくてもいい。
むしろ、休んでいた間に見たものや、感じたこと、立ち止まって考えたことも、その人の言葉に新しい味を加えていく。
以前とは少し違う文章になるかもしれない。
発信したいテーマも、投稿の頻度も変わるかもしれない。
けれど、それでいい。
ぬか床が、入れてきたものや季節によって、その家だけの味になっていくように、発信にも、その人が過ごした時間がにじんでいく。
毎日変わらず続けることだけが、継続ではない。
休みながら、迷いながら、それでもまた戻ってくることも、ひとつの続け方なのだと思う。
発信を続けるというと、何かを積み上げることばかり考えてしまう。
フォロワーを増やす。
閲覧数を伸ばす。
反応を集める。
もちろん、それらも励みになる。
けれど、本当はもっと小さく、穏やかなものなのかもしれない。
誰かの日常に、時々顔を出すこと。
自分が今考えていることを、そっと置いておくこと。
忘れかけていた関係を、また少しかき混ぜること。
投稿は、ぬか床の手入れに似ている。
毎日完璧に続けなくてもいい。
少し休んでもいい。
その間に、味が変わることもある。
それでも、またふたを開ければいい。
今日、ひとつ言葉を置けばいい。
関係は、続けられなかったから終わるのではない。
もう一度、手を入れようと思った時から、また静かに育ち始める。
