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知性って、そんな便利な言葉だったっけ

 Yahooニュースへ孤独に関する記事があった。
『知性がある人ほど孤独を感じる』らしい。
 
 読んでいると納得する内容だったのだが、コメント欄は、いかに自分は知的な人間であり、そして理解されずに孤独だったかという、
『長文知性自己申告大会』になっていて笑った。

 
 孤独とは、その人が置く環境によって孤独の度合いが変わるように思う。
 
 私の話をすると、職場のシフトによっては孤独ゼロがある。親友のレオ氏がいて、幼なじみがいて、ご近所さんもいる。
 
 焚き火をしている最中に、
「孤独だ」と思ったことがない。
 なんなら、スタバやコメダ、タリーズで、
「私、孤独だな」と感じた回数が全くない。

 家に居ても孤独がないし、心の割合でいうと、8割はお気楽なもんだ。
 
 残り2割も、やはり職場。
前提が噛み合わない会話が続くと孤独を覚えやすいし、共有LINEでの公開処刑。
空気を読む圧力があると心が疲弊する。
 
 ネットも環境下にあるけど、片足しか突っ込んでないので、どうでもいいかな。
 
 で、コメント欄を見て思ったのが、自称・知的で孤独さんは、なぜ、他人を下げて自分を上げるんだろうな。
友達や仲間がいる人を見下すのかな。
 
 なんとなく、いままで生きてきて理解されなかった自分や経験に意味を与えるためなんだと思ってみたりする。
 
 自分が理解されないのは、能力が低いからではなく、知性が高いから。
そう置き換えたら、過去の孤独は救われる。
 
 でもその代わりに視野が単純になるのに。
「自分は知的」「他人は愚か」
という二分でしか人を見られなくなる。
そんなわけがないじゃんね。

 これは本当に知性と呼べるものなのだろうか。
 
 じゃあ、聞いてみるね。
「知性や知的とはなんですか?」

 答えが一つにならないと思いませんか?
私が思いつくだけ挙げてみるよ。

  • IQ

  • 学歴

  • 抽象思考

  • 哲学や読書好き

  • 感受性

  • 孤独耐性

  • 内向性、社交性

  • 観察力

  • 会話の齟齬

  • MBTI

  • ギフテッド……etc。全部ごちゃ混ぜ。

 なのに、『知的な人』という単語だけ共有されてるから、話が成立してるように見えるんよね。

 前提がズレたまま会話しているのに、あまり気にならないのかな。

 それで、めちゃくちゃ面白いのが定義が曖昧な言葉ほど、自分に都合よく使えるんよ。
優しいとか誠実とか賢いもそうか。

 そんなんだから、ツッコまれると
「自分は知的」「他人は愚か」の構図が一気に崩れ去るんだよ。たぶんな。
 
 私が思うのは、無数にある知的や知性が必ずしも自分に一致しないという前提に立つのがいいんじゃないかね。

 これが知性なのかもしれない、とは思う。
少なくとも、「自分は知的」「他人は愚か」と言い切る状態ではない気がする。
 
 あら、私、何と闘っているんでしょうね。

 笑えるネタだと思って書いたのに、
気がつけば、自分もその輪の中に立っている気がしてきた。
ヤだ、恥ずかしい〜。
 
 知性なんて言葉、やっぱりちょびっと厄介だ。

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