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#25「出雲神話のかたち」 続・高天原から見た出雲神話② ー国譲りとは何だったのか <高天原の思惑>ー

国譲り神話

 高天原(たかまがはら)の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の経営統治している豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)は、わが子天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の治めるべき国であると仰せられ、統治権の譲渡を要求されることになった。そこで使者として天穂日命(あめのほひのみこと)が派遣されたが、3年たってもなんの返事もしなかった。そこで2人目の使者として天稚彦(あめのわかひこ)を派遣したが、これも大国主命の娘下照姫(したてるひめ)と結婚して国譲りの要求などしなかった。そこで3人目の使者として武甕槌神(たけみかづちのかみ)を派遣した。

 武甕槌は天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を伴って出雲の稲佐の浜に降り、長い剣を波打ち際に逆さにたて、そのそばにあぐらをかいて大国主命と談判をした。大国主命は、自分の一存では何とも答えられない、美保埼で漁をしているわが子事代主命(ことしろぬしのみこと)に聞いてくれ、と言った。事代主命は、父大国主命に向かって、この国は天照大神の御子に奉献したがよろしいでしょう、と答えると、今乗ってきた船を踏み傾け、呪いの手打ちをした。すると船はたちまち青い柴の垣根に変じ、事代主命はその中に隠れて、再び姿を現さなかった。事代主命の弟建御名方神(たけみなかたのかみ)、国譲りに反対したが、武甕槌神との力競(くら)べに敗れて諏訪湖まで逃げてしまった。かくて武甕槌神は再び大国主命に国譲りの意思を問うた。これに対し大国主命は次のように答えた。「私には何の異存もありません。ただ一つの願いは、国を譲る代わりに、私の住居(すみか)として、高天原の大神の御殿と同じように、大磐石の上に太い柱を立て、大空に千木(ちぎ)が突き出ているような立派な御殿を建てていただきたい。」

 そこで武甕槌神は望みどおり出雲国の多芸志(たげし)の浜に、立派な御殿を建ててあげたのである。

しまね観光ナビより

 

さて、国譲りについてである。

 前回、高天原の不満が交易上の障壁(交易交換比率の変化)だったのではということを考察した。

 彼らの目的ははっきりしていた。交易交換比率を元に戻すこと。おそらくそれが国譲りの真相であろう。それにしても、この国譲りは不可思議なことが多すぎる。ちなみに今更であるが、「古事記」は上・中・下の三巻からなっており、その上巻に出雲神話が納められている。次の上・下巻から歴代天皇の歴史(それがすべて実話であるかは別として)となっている。

 中下巻は歴代天皇の記録だけあって、時に殺戮があったり、征服があったりが当たり前のように描かれている。それに比べて出雲神話の、特に国譲りに関していえば、そのような殺伐とした匂いが感じられない。大国主命の2人の息子の一人・事代主命は武御雷命の国を譲れという要望に対し、許諾し、自らは海の底に沈んだ。もう一人の息子・武御建命はその要望に抵抗するが破れ、諏訪まで追われ、命乞いをし、その場所を出ないことを条件に助命される。本来なら殺されたり、征伐されたと書かれるところがそのようには描かれていない。なぜ、そのようになってしまったのだろうか。

 そこで思うのだが、高天原には葦原中つ国の世界観、または死生観を覆すほどの世界観がなかったのではなかろうか。葦原中つ国では死んだ者は地下の黄泉の国にいくと信じられていた。

 そして、亡くなったものは黄泉の国にいくという世界観を基に黄金色の青銅器は作られたと考察した。

 ということは、葦原中つ国で使用された青銅器は黄泉の国に黄金色を流し込む役目を既に終えている。特に大国主命たちの使った青銅器の物量は群を抜いていた。それによって、これまでの功績はなかったものに出来ないほど、その世界観は人々のこころに刻まれてしまっていたのではなかろうか。よって国譲りによって地上の支配は高天原に譲るが、葦原中つ国の冥界(死後の世界)は自分たちが治めたままということになったと考えられる。

 しかしながら、このように国譲りが行われたとしても、尚、解けない疑問が残っている。最後に、弥生時代の遺跡と「古事記」からそれを考察していこう。


【次へ】

 このヘッダー画像は名古屋ランチさんの画像をお借りしました。ありがとうございました。



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