見えないと気付けないし、意識するから見えてくるわけで
はじめに
こうなるといいなと思っていると結構な確率でそうなる。少し前までそう思っていた。後にそうなるのはそれなりにそれに向かう意志や行動を無意識のうちに採り始めた結果だとわかった。
少し違うかもしれないが確かカラーバス効果とか、自己成就予言とか何とか。心理学や社会学は大学で履修したのにすっかり忘れてしまった。のちにそれらの学問領域に新たな考えにとして提唱され、私が不勉強なだけだったと知る。それにしても何かスピリチュアルな印象がある。
きょうはそんな話。
こうありたいが寄ってくる
こんなことのできる人がいるといいなと思っていると、しばらくの間にほぼそんな人物が現れる。そんな例のひとつ。
転職してしばらくのちのこと。自宅近くに教室を持ちたいと探し始めて間もない頃。たまたま空き物件はないだろうかと歩いていた。地元の公民館長さんと顔見知りの方が立ち話されていた。挨拶もほどほどに「どうされました?」と声をかけられた。
とんとん拍子
「これこれで物件を物色中で…。」と私。「それなら、こちらの離れを貸してあげたら」と館長は話し合い相手の方へ話を振られた。こちらも顔見知りの方。地元の中学校のALTを自宅に住まわせたうえに、ALT氏の開催する英会話教室に一緒に通われた方。「そうねえ、ずっと空きっぱなしだし⋯。」と二つ返事でその場で早速見せていただけた。
ひと通り拝見し、あっさり決定。戦後すぐに建てられた古民家だが、元々は医院だったところ。入院室も備えていたらしい。そののち街の私立高校の先生一家が借りていたらしい。床下が高く、よく乾燥して屋根の手入れも行き届きしっかりしている。私は、業者による電気配線の工事の手配と、自らによる内装の整備と外壁を塗り直すことの承諾を得て、家賃をお互いで決めてお借りすることになった。
こんなにとんとん拍子であっさり決まるとは思ってもみなかった。小さな集落のメインストリートといっていい場所。中・高校生たちの使う駅からもほど近い。
ほしい方へ届いた
話は変わりもうひとつ。以前のことだが野菜を作り販売していた。周囲に迷惑のかかりにくい離れた場所でほぼ薬を使わず、機械を使わず、労力は人だけで作物を作った。できた野菜は一般の何か所かの販売所に並べていたが、ごく普通の作り方の方々とごちゃ混ぜの状態で売られてしまう。
どうせならばこだわって作りましたと案内したいが、それは勝手にはできない。所望する人へと届けたい。だが「有機~」とか「無~」とか表記するには、高価な審査費用をかけた上に、厳しい審査をパスせねば自由に表記できない法律がある。それを回避しながら欲しい方々に届ける方法はないだろうかと思っていた。
そう考え始めてしばらくのちのこと。ようやく車で20分ほどのところに、自宅の一部で野菜を置いて販売される方を見つけた。電話した上で飛び込みで「置いていただけないか。」とサンプルの野菜を持参して交渉に伺った。
身勝手にも
やり取りの後に私の希望を受け入れてもらえて、スペースを設けて頂けた。こうして振り返るとわが身の行動として甚だ身勝手で厚かましい。
それからしばらく後のこと。その店のには宅配で取引している遠方のなじみのお客さんがいる。そこへ決まった間隔で宅配により野菜を届けているとのこと。その方に私の手作りの野菜についてお話してくださったらしい。私の趣旨のとおりの方に繋がったと思った。感謝を申し上げつつ、より野菜作りに精が出た。
おわりに
何もスピリチュアルなことはない。すでに脳科学や社会学の学問領域で知られていることに過ぎないのに、「人の縁」とか「繋がり」をいろいろと考えてしまう。私からは何もそれに向けて積極的に立ち回っていないはずなのに、いずれも首尾よくこうなってしまった。
じつはそれは始まりに過ぎなかった。それからしばらくして、ここがきっかけで人が人を呼び、あまりにも偶然のように知り合い同士が繋がる。あれよあれよと当時は本業だった学習サポートのほうまで繋がり驚かされた。いくつもありすぎてきりがないほど。
科学で説明されてもやっぱり不思議。
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