欲しいけど買わないもの
文具で、ずっと買わずに我慢しているものがある。
シーリングスタンプのセットだ。
羊皮紙に羽ペンで書いて、くるりと丸めて、封蝋で封をする。
あの一連の所作に、無駄に憧れているのだ。
値段は高くない。100均でも揃う。
買おうと思えば、今日にでも買えるけど、買わないと決めている。
スタンプを買えば、私のイマジナリーお貴族様が、
「もちろん、自分の紋章で作るのよね」
と、主張するのだ。
「スタンプは真鍮、シグネチャーリングはシルバーがいいわ」
などと言い出す。
私の紋章のモチーフは、木蓮とツバメだ。
木蓮は「北」を指し示すコンパスプランツ。どんなに道に迷っても、自分の芯だけは見失わないための道標。
そして、ツバメ。
長い旅路の末に、必ず同じ場所へと帰ってくる「旅と再会」の象徴。
現実の暦では、木蓮が散る頃にツバメがやってくる。季節ですれ違うはずのこの二つを、真鍮の印面でだけ永遠に出会わせる。
私だけの紋章。
だいぶん拗らせてる自覚はあるが、治らない病なので仕方ない。
リアル庶民の私は、マイ紋章の為に彫金を習得しなければならない。
工具。練習用の地金……
Amazonで良さそうなのを探していたら、何故かカートの中に彫金グッズが入っていた。
慌てて「後で買う」に移動させる。
シーリングスタンプ道の入門、彫金からとは恐るべし。
凝り性の私は、インクも既製品では飽き足らず、絶対調色したくなる。
イマジナリーお貴族様が、
「特殊なインクだと先が詰まるからガラスペンがいるんじゃない?」
と、ささやく。
ペン先が詰まるのでは仕方ない。
ガラスペンは、体験工房で作ろう。
観光ついでに行ってみるのも悪くない。
ワックスも、色だけでなく香りをつけたくなる。
シーリングスタンプ道は「入口」が容易なだけで、無限に広がるダンジョンタイプの底なし沼。
だから怖くて手が出せないのだ。
こういうものは、妄想してる時が一番楽しいしね。
——あと、手紙を出す相手もいないし。
……未来の自分にでも、出してみようかな
開封日は、未定で。
