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「た」から始まるタイトルでエッセイを書いてください。

運命開運ラボさんの記事を読み進めているうちに、
こんな言葉がありました。
そして、ありがたくも私を指名してくださっていました。

随分驚いたんですが、やってみるか。と。
しばらく考えて、「た」を探しました。

たこやき、タイパ、タイムスリップ、タイミー
たみちゃん(友人)、体調、怠慢、怠惰、太鼓、たまんない。
なんかちょっと違い過ぎるな、、、。

どこからきたのかな~って探していると、ここだった。
⭐マイキーさんはじめまして。

ところがなんと、この企画、明日までじゃん!(~8/31)
人の心理か、ここで終わらせたらいけない感覚になり、
超特急で記事書いています。


退屈がたまらない。

最近、退屈がたまらないんですよね。

……と言っても、
「暇すぎて無理。」
という意味ではない。

むしろ逆。

退屈が、ちょっと気持ちいい。

何もしなくていい時間。

誰かに返事をしなくていい。
何かを考えなくていい。
次の予定を確認しなくていい。

ただ、ぼーっとする。

これが最近、
たまらなく贅沢だと思うようになった。


昔の私は、退屈が苦手だった。

何かしていないと落ち着かない。

テレビをつける。
スマホを見る。
本を読む。
片づける。
予定を入れる。

しまいには、
「何か有意義なことをしなければ」

と、退屈な時間にまで
仕事を与えようとしていた。

退屈、ブラック企業勤務である。
無給だし。

ぼーっとするだけでは許されない。

「せっかく時間があるんだから」
「何か勉強したら?」
「発信のネタ考えたら?」
「掃除できるよね?」

頭の中の上司がまあまあうるさい。

いや。

休みの日くらい休ませてくれ。

というかあなた誰?という感じ。


何もすることがないと、
「こんなんでいいのかな」という気持ちが出てくる。

不思議なものである。

忙しい時は、
「あー、何もしたくない!」と思っているのに、

本当に何もしなくてよくなると、
「……何かした方がいい?」となる。

人間、ややこしい。

休みたいと言いながら、
休める状況になると
休み方がわからない。

「休む」という、
本来は赤ちゃんでもできそうな行為に、
なぜか説明書を求めている。


旅行先で
今日は何もしないぞ」と決めたのに、

気づけば
周辺の観光スポットを検索している。

「徒歩5分」
「口コミ4.8」
「ここでしか食べられない名物」

などを調べている。

何もしないために来たのに、予定を作り始める。


しかも予定表に、

10:00 何もしない
11:30 まだ何もしない
13:00 名物を食べる

と書きそうになる。


何しに来たんだ、私よ。

でも、退屈していると妙なことが起きる。

しばらく何もしないでいると、
頭の中が少しずつ静かになる。

最初は、

「スマホ見たい」
「お菓子食べたい」
「冷蔵庫を開けたい」

くらいしか思わない。

冷蔵庫はさっき見た。
何も増えていない。
それでも見る。

もしかしたら、
プリンが自力で発生しているかもしれない。
いや、そんなことはあるはずない。

しばらくすると突然、
「あ、あれやりたいな」と思ったりする。

「これ食べたい」
「ちょっと散歩したい」
「あの人に連絡しようかな」

そんな小さな気持ちが出てくる。

予定表には載っていない自分の声。

忙しい時は、こういう声が全然聞こえない。

「次これ」
「その次あれ」
「忘れないように」
「返信まだしてない」
「洗濯物、干したっけ」
「そもそも今日何曜日?」

頭の中がスーパーのレジ前くらい混雑している。

しかも全員、
カゴに長ネギを斜めに入れている。

そこに、
「私、本当はどうしたい?」なんて入る隙はない。

「最後尾はこちらです」と言われて終わる。

ところが退屈になるとレジが全部空く。

そしてようやく、私がやってくる。


遅い

ずっとここにいたはずなのに。

たぶん途中で、
気になったものを見に行ってたに違いない。


退屈は、余白なのかもしれない

何もない時間は、
無駄な時間じゃない。

何かが入ってくるための
空きスペースなのかもしれない。

冷蔵庫だって、パンパンだと
新しいプリンが入らない。

これは大問題である。

プリンは、
心の余白を確認してから買うものではない。

見つけたら買う。それがプリンとの約束だ。

心も同じで、
予定や情報や考えごとでいっぱいだと、
新しいものが入ってくる場所がない。

やりたいことも、
ひらめきも、
小さな幸せも、

入居不可。

満室です。

しかも管理会社が、
「現在、空きはありません」
と冷たく言ってくる。

だから時々、
空室を作っておく

何もしない。
ぼーっとする。
窓の外を見る。
コーヒーを飲む。

「暇やなあ」と思う。

そのくらいでいい。
暇を埋めようとしない。

暇に、
「お前は何者だ、何してんの?」
と問い詰めない。

暇は暇である

それ以上でも、
それ以下でもない。

最近は、
「今日は何もしてないな」

と思った時に、少し嬉しくなる。

おお。私、
ちゃんと何もしてない。

えらい。

何もしていないのに、達成感がある。

これはもう、かなり高度な技術である。

以前なら、
「一日無駄にした」と思っていたかもしれない。

でも今は、
「よく休んだ」と思える。

同じ一日なのに、
見方が変わるだけでずいぶん違う。

「何もしていない」と
「何もしなかった」は、
似ているようで違う。

前者は反省会になりがちだが、
後者はちょっと誇らしい。

今日は何もしなかった。

どう?

そして不思議なことに、
しっかり退屈した後の方が、

動きたくなる。

無理やりではなく、
「そろそろやろっかな」くらいの軽さで。

「やらなきゃ」ではなく、「やってもいいかな」。

この差は大きい。

前者は鬼教官、
後者は近所の気さくなおばちゃんである。

「まあ、ぼちぼちやりなよ」と言ってくれる。

この感じが、私は結構好きだ。


忙しい毎日の中で、

何かをしている時間ばかりが
大切なわけじゃない。

何もしない時間。

退屈な時間。

ぼーっとしている時間。

スマホを手に取ったものの、何を見たかったのか忘れている時間。

冷蔵庫を開けたものの、目的を失って立ち尽くす時間。

そういう時間にもちゃんと、
自分の人生が流れている。

たぶん人生のかなりの部分は、
こういう時間でできている。

壮大な夢を追いかけている時間より、
「靴下どこいった」と探している時間の方が長い。

でも、それでいい。

だから最近は、

退屈になるとちょっと嬉しい。
「あ、余白できた」と思う。

そして何もせず、しばらくそこにいる。

退屈。
最高。

できれば今日も、少しくらい退屈したい。

ただし長すぎると、
たぶん私はまたスマホを触る。

そして気づけば、
見たことのある動画をもう一度見ている。

さらにその後、
「時間を無駄にした」と反省する。

退屈を楽しんだ直後に、自分で退屈を壊す。

人間だもの。

というか、私だもの。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

さて、わたしからのバトンは
「退屈がたまらない話」ということで、
最後の文字は【し】ですね。

タイトル「」からはじまるエッセイをお願いします。

Xでも交流のある、ささぽんさんです。
この冬、仙台で訪問看護ステーション立ち上げという
目標に向かって頑張っていらっしゃいます。
私もめちゃくちゃ応援しています。
※今は無理かもって思ったら、全然スルーしてくださいね。


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